横尾さんの絵画と言葉 蟬時雨とみどり零れるアトリエで 『千夜一夜日記』(日本経済新聞社)刊行を機に 鼎談=横尾忠則×建畠晢×加治屋健司|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年8月26日 / 新聞掲載日:2016年8月26日(第3154号)

横尾さんの絵画と言葉 蟬時雨とみどり零れるアトリエで 『千夜一夜日記』(日本経済新聞社)刊行を機に 鼎談=横尾忠則×建畠晢×加治屋健司

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美術家の横尾忠則氏が『千夜一夜日記』(日本経済新聞出版社)を刊行した。これは、本紙連載中の「日常の向こう側 ぼくの内側」一〇三六日分の日記を掲載した一冊である。この間に横尾氏は、国内外で展覧会を開催し、また高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。美術界での大きな活躍から、病気や交遊、愛猫、夢、ささやかな日常まで、内容も登場する人物も多岐に亘る日記である。刊行を機に、横尾氏と多摩美術大学学長で美術評論家、詩人の建畠晢氏、東京大学准教授で現代美術史・美術批評史研究者の加治屋健司氏に鼎談をお願いした。その日の模様は本紙八月十九日号掲載の日記に描き込まれている。(編集部)

横尾日乗、夢に現に 生老病死、老猫男女

加治屋
『千夜一夜日記』(日本経済新聞出版社)は「週刊読書人」に二〇一三年七月から二〇一六年五月まで、「日常の向こう側 ぼくの内側」として掲載されたもので、現在も連載は続いています。絵画をテーマにした連載一〇〇回までのエッセイは『絵画の向こう側 ぼくの内側』(岩波現代全書)として刊行され、一〇一回から日記形式に変わり、横尾さんの日常と、最新の活動を垣間見ることができる内容となりました。 建畠さんはこの本をどうお読みになりましたか。
建畠
これは一つには病床日記ですよね。喘息、足指骨折、不眠、難聴……ありとあらゆる病気が出てきます。実はぼく自身、帯状疱疹で悩まされていたときに、同じ病状の日記を読んだものだから、共感と慰めを得ました。日記には病院も、近くの水野クリニックから、玉川病院、東京医療センター、大学病院まで山ほど出てきて、大晦日、元旦、誕生日問わず、ほぼ毎週どこかにかかっていますよね。 病床日記なんて一見暗い話題かと思うけど、度を超えた夥しさが面白くてね。医師たちとのやりとりは、この日記の白眉ですよ。「生」のリアリティ、アイデンティティの在り処とでも言えそうです。第二に、交遊録ですね。ユニークなのは、生きている人と同等に死んだ人たちもたくさん出てくること。それから追悼記でもあり、これまた夥しい数の、国内外の文化人や著名人が哀悼されている。どなたも横尾さんが個人的な思い出を持つ知人ばかりです。 読書日記、芸術批評の要素もある。また夢日記でもあります。現実だと思って読んでいった途中で、夢だと分かるなんてことも、度々ありました(笑)。 
加治屋
NYから突然遊びに来るオノ・ヨーコさんや、タカラジェンヌの轟悠さん、大和悠河さん、美輪明宏さんや瀬戸内寂聴さんから電話がかかってくることもあって、現実が逆に夢みたいでもありますよね。 ピカソ、デュシャン、ベックリン、ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、三島由紀夫や澁澤龍彥、ジョン・レノンなどの回想も然ることながら、映画監督の山田洋次さんと、これほど頻繁に交流されていることや、国立新美術館の南雄介さんと東京都現代美術館の藤井亜紀さんが、毎年デヴィッド・ボウイのTシャツを横尾さんに贈っているというエピソードなど、初めて知ったことも多々あり、新鮮でした。
横尾
今日着ているのが、今年のデヴィッド・ボウイです。
加治屋
浅田彰さんや平野啓一郎さんとも交友があり、折に触れて横尾さんの創作活動に対して考察が向けられるのも興味深いですし、国内外の画廊や美術館から、人が展覧会の企画を持って訪ねてくる一方、細野晴臣さんや加橋かつみさん、新沼謙治さんや玉置浩二さん、花柳壽輔さんなど芸能関係者とのやりとりもある。保坂和志さんや磯﨑憲一郎さんと定期的に交流し、そうかと思うと、河口湖のNHK出版富士資料センターで、糸井重里さん、セゾン現代美術館の難波英夫さんらと卓球に興じているのも意外でした。
横尾
来週も行くんですよ。アトリエの地下にも卓球場を作っちゃった。
加治屋
横尾さんは若い頃から、いろいろな分野の方と交流がありますが、その縁が新たな輪を広げながら、ずっと続いているんですね。 また日常的に古本屋キヌタや、蕎麦の増田屋、オイルマッサージ、美容院ニコ・ピカビアなどに、気分転換にふらりと出かけていき、その途中でいろいろな人に出会う。横尾さんの周りには、偶然なのに必然のように見える、人との邂逅が頻繁に起こっています。 自伝と違うのは、現在進行形なので、書いている横尾さん本人にも、この先に何が起こるか分からないことではないでしょうか。最近はツイッターやフェイスブックなど、日々の雑感を記録するメディアがありますが、横尾さんの日記はそれとも少し違うように思います。社会の事実や出来事の紹介や寸評というよりも、自分の身の回りで起きていることの記述や感想・意見などが中心で(ツイッターやフェイスブックも本来そうであるはずですが、あまりそうなっていない)、いずれも筋が通っているので、読者の共感を呼ぶようになっていると思うのです。

個人を通して世界を知る 自分の中の他人への興味

建畠
 夢日記、病床日記、交遊録、追悼記、制作日記、本の話、芸術の話、宗教、哲学。この日記の中に、これだけいろいろなことを、かなりの分量で書きつけながら、横尾さんは「言葉は邪魔になる。ぼくにとって絵を描くことは頭から言葉を追放する作業」「頭の中の言葉が内側から出る肉体の声を封じている」などと言葉を副次的に扱うコメントを盛んに発します。 しかし横尾さんは美術家なのに、エッセイも日記も小説もかなりたくさん書いていて、小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞、『言葉を離れる』が最近、講談社エッセイ賞を受賞してもいる。といって、流行作家のようにしゃかりきになって机にかじりついているわけではなく、難波英夫さんと、会えば七~八時間も美術談義をしているし、絵を描くのはもちろん、公園で日向ぼっこをしたり、散歩したり。言葉に侵されないゆったりとした時間を過ごしてもいるようです。
横尾
ぼくの場合どうしても、自分の過去の経験や記憶を文章化することになる。自分から離れた外部の問題について書くことはほとんどありません。
建畠
確かに、あるテーマを立てて、調べて、客観的に書いたようなものはほとんどないですね。
横尾
知らないことは「知らない」って書いて終りです。
建畠
画家について書くときも、ピカビアの作品をいつ買ったとか、ウォーホルにいつ会って、彼が何と言ったとか、個人的なエピソードから始まります。もちろんそこには、横尾さんの直観的な分析も批評もあるのだけど。
横尾
三島由紀夫さんは「物を創るために、結局個人からしか出発できない。個人から出発して、普遍的な個へと芸術は昇華しなければならない」というようなことを言いました。三島さんの文学論だと思います。私小説的なものは好きではなかったようです。 寺山修司はぼくのところに来ると、本棚を片っ端から、この本は持ってる、これは持ってない、とかやってましたね。ぼくがどんな本を読んでいるのか、興味があるんです。アンディ・ウォーホルも、他人に興味を持つタイプ。寺山とウォーホルは似たところがあります。二人と違って、ぼくが興味があるのは、「自分の中にいる他人」です。自分の外部で起こっていることには興味がないですね。だから、日記というメディアに適しているように思います。 
加治屋
横尾さんは、もう四六年間も日記をつけているそうですね。公開用とは別に、非公開の日記があるとか。
横尾
そうです。非公開の日記には事実関係だけで、内省的なことは一切書きません。 
加治屋
先ほど「私小説」という言葉が出てきましたが、私小説と日記の違いは、重要ではないでしょうか。日記は、事実に即した日々の活動を記すので、否応なく外部との接触があり、それによって生じた、新たな考えや行動が書かれることになる。来訪者との会話から横尾さんはいろいろなことに気づいて考えを巡らせます。医者とのやりとりも読んでいて楽しいです。また鷲田清一さんの授業で「何もしなかったデュシャンは一体何をしたのか?」と質問する夢を見て、その答えが、連載を読んだ現実の鷲田さんから戻ってくるのも面白いですよね。「かれはデュシャンをした」という鷲田さんの言葉を受けて、数日後横尾さんは「ノスタルジー&ファンタジー」展の作品を描く。日記には、初発的な内面よりも、外部から影響を受けた「内面」がよく出てくるように思うのです。
横尾
成り行きまかせの姿勢は、子どもの頃からありましたね。主体性のない、よくいえば素直な性格。悪くいえば優柔不断。小学一年から六年まで、通知書の所感に共通して書かれていたことは、他人にちょっかいを出す、落ちつきがない、幼児語がぬけない……それはある意味で、創造の基本原則と言えると思うのです。他人にちょっかいを出すのは好奇心、幼児性はアンファンテリズム、ぼくにとって大事なものです。
建畠
野川公園でも蕎麦屋でも、著名人から見知らぬ人まで、いろいろな人に会い、横尾さんは周りの人たちに注目している。つまり自分の直接触れ合った世界をアンファンテリズムで吸収して、それが日記にも、絵画にもなっていくわけですね。
横尾
ぼくの興味はまず個人に対してあって、かつては三島由紀夫さんや黒澤明さんを通して、外部を知っていった。個人を通して世界を知る、それがぼくのスタイルです。
建畠
言葉による個人的な交流といえば、手紙の言葉もありますね。二〇一五年四月四日の日記に、若いころの両親や仲間たちからの手紙の束を見つけて読みふけったとあります。日記や手紙の、その時々のドキュメントともいうべき言葉が、単なる交遊録を越えた、闇や悪をもはらんだ伝記的神話に結び付いていくというのは、絵画の世界にも直結する横尾さんならではの「言霊のカルマ」なんでしょうね。

お医者さんと今川焼 死を過去完了形と定む

建畠 黒澤も三島もそうですが、この日記の交遊録には、故人がたくさん出てきます。またこの本の日記が書かれた十三年から現在までの間に、高倉健さんから愛猫のタマちゃんまで、夥しい数の死がありました。でもペシミスティックな読後感はなくて、生きている人も死んだ人も、横尾さんから等距離に感じられる。三島さんはたびたび登場しますが、回想というより、その言葉が現在に生きていたり、夢の中に同時代的に出てきたり。高松宮殿下記念世界文化賞の記念トークで、横尾さんは「死者として生きていけるなら、言うことはないと思うんですよね。だけどそれは肉体を持っている以上あり得ないことだから、しょうがないので、死の側から生の側を見てみようかと」(「週刊読書人」十一月二〇日号)と話していますが、夢と現実、彼岸と此岸が自然にクロスするような距離感は、横尾さん独特の死生観のように思います。
横尾
ぼくは手に棘が刺さっただけで、すぐ病院に駆けつけてしまう。この棘が死に至るかもしれない、という不安を感じるのです。同時に、棘が刺さっている瞬間の生の実感です。痛みから生じる存在の実感と、死ぬかもしれない不安、その二つが自分の中に常に共存していて、ぼくの作品にも無関係ではないように思います。 
加治屋
横尾さんが最初に出された『横尾忠則日記 一米七〇糎のブルース』という六二年から六九年までの文集には、各日付の横に著名人の死亡記事がそえられています。
横尾
あの日記の死亡情報は、ぼくと無関係の人ばかりです。 吉本隆明さんは、「死は他人事」だと言いました。吉本さんのように考えられるならいいけれど、ぼくは、他人の死も自分ごとになってしまうんです。
建畠
東京に出てきた直後、自分の「首つり」のポスターを創りますね。それが事実上、横尾さんの出発点でした。『遺作集』という本も作った。これらは非常にシンボリックな出来事だと思うのですが、どんな思いが働いていたのですか。
横尾
死亡広告も『遺作集』も、発想は同じです。死を過去完了形として定めてしまって、そこから出発しようというのかな。 戦争の恐怖と、老齢の両親の寿命への不安が一緒になって、ぼくの中に、「死」が肉付けされてしまった。浅田彰さんは、ぼくが「死の疑似体験の反復からのサヴァイブ」をし続けてきたと言ってますが、肉付けされた「死」が動かしようなく、ぼくの中にあったんですよね。他の画家の作品でも、死を感じる作品に惹かれる。アンディ・ウォーホルも、ジャスパーもそうですね。 
加治屋
『ウォーホル日記』は、日々の活動や感想をアシスタントが電話で聞いて、タイプしていたそうです。晩年ウォーホルは胆嚢の痛みがあり、それで入院しているときに亡くなるのですが、そのことは日記には書かれていません。横尾さんは率直にご自身の病気のことを書き連ね、死を恐れながら向き合われている。その点、ウォーホルと違いますね。
横尾
ぼくの思考は、棘が刺さったとき、この棘で死ぬのではないかと、未来に直結してしまう。だから過去完了形で「治った!」と考えてしまいたいんです。向き合っているのか、どうでしょうね(笑)。ぼくの周りのお医者さんたちは、ぼくの病気をほとんど信じてません。玉川病院の院長先生は、薬の代わりに鯛焼や今川焼を出します。病気かどうかは医者が決めるんだから、勝手に決めないでくださいと言わんばかりです。病気だと大騒ぎするだけで、病人ではないのかも知れない(笑)。 ウォーホルとぼくの違いは、表に出すか出さないか、それだけかもしれません。ウォーホルはトルーマン・カポーティの追っかけだったんです。ぼくは彼を、非常に自我の強い人間だと思っていたけれど、実際に話してみると、まるで他人事のように自分の話をして、自我を見せない。でも裏に非常に強い自我意識を隠しているのかも知れない。相手をはぐらかすというのか、ぼくは君が思っているようなウォーホルじゃないんだよ、というポーズを感じました。 三島さんは、俺と君との共通点は、二人とも土着を嫌悪していることだ。でも俺は土着を書かないことで、土着を嫌悪する。君は土着を吐き出すことで、土着を嫌悪していると言いました。三島さんは結局、ぼく以上に土着を抱えていたのだと思うんですよね。 
加治屋
おっしゃるように、ウォーホルは複雑な人物ですね。トマス・クロウというアメリカの美術史家が、ウォーホルには三人の人間がいると言っています。本人が述べている人物像、作品に刻まれた関心や感情などの複合物、そして、美術界を超えて非エリート文化の実験に取り組むペルソナです。私たちは、最初の人物像に惑わされがちですし、日記もそれに沿うように書かれているのですが、作品はそれとは別の、死に惹かれる人物像を浮かび上がらせますので、やはり注意深く読む必要があります。それと比べると、横尾さんが、日記を含め、文章で書かれていることの率直さには驚かされます。死や病気のことも包み隠さず書かれています。二人のアプローチの違いはとても興味深いですね。

断絶と飛躍と継続性 肉体感覚とロゴス


集合と分散―その力の働き  1991年/227.3×227.3cm/キャンバスにアクリル、金箔/作家蔵

建畠
土着という言葉が出ましたが、横尾さんはアングラ劇のポスターを作る前は、モダンな作風でしたよね。高校生のときのポスターを見ると、字体も含めて構成主義的な要素があり、その後ポップになった。それが、アングラ劇に関わることで、土着的、情念的なものが作品の全面に出てくるでしょう。
横尾
ぼくの実家は呉服商ですから、まさに前近代的な環境で育ちました。故郷にいた頃は、モダニスト思考が強かったかも知れません。ところが東京で、グラフィックデザインというモダニズムのカオスみたいなところに入ってしまったわけです。そうなると、ぼくがここでアイデンティティを証明するには、嫌悪していた時代の図像が必要になってくる。
建畠
「ガルメラ商会」の作品は、元は田中一光が土方巽に依頼されたのを、「これはぼくじゃない、横尾君の仕事だ」と言って、廻ってきた仕事だそうですね。田中一光は、横尾さんの資質に気付いていたんですね。それが横尾さんの転換期だったでしょう。
横尾
その通りです。寺山や唐十郎、土方巽などは、ぼくが嫌悪していた歴史的環境をテーマにしていたわけですよね。一光さんが「ガルメラ商会」にぼくを推薦してくれていなければ、それ以降の「首つり」など一連の作品は、生まれなかったと思います。でも、あの頃は、一光さんがぼくの経済的救済のために、仕事をくれたと思ってた(笑)。 土方さんに初めて会ったとき、話が非論理的で、土方さん自身がコンフューズを起こして、自分で言っていることがよく分かっていないという感じを受けた。自分の肉体感覚を、必死になって、ロゴスに置き換えようとしている。そういう土方さんを見て、これはぼくだ、と思ってね。解放される感覚を味わいました。
建畠
近代の分析的理性は土俗的な身体を切り捨てたと思われがちですが、実は理性の一面は病理的なものであって、土方さんのように身体の原初の闇を跳梁させたりもする。ミスティックで蠱惑的な病理を宿した横尾さんの世界と暗黒舞踏やアングラ劇との出会いは、おそらく必然的だったのでしょうね。 横尾さんの断絶と、飛躍と、継続性という振り幅の大きい活動を、いつも面白く感じているのですが、機に応じて宣言を出してきたでしょう。いわゆる画家宣言は、新聞記者が勝手に書いてしまったそうですが。実質的な画家宣言や休業宣言によって、横尾さんは繰り返し、自らの世界を変えていきます。でもガラッ、ガラッと世界を変換する裏で、ずっと変わらないモチーフが残る。その両面性が横尾さんの独自性だと思うんです。
横尾
過去の作品を反復させちゃうから、変わっているけれど、変わっていない。 
加治屋
実は、いわゆる画家宣言が出た新聞が何だったか、ずっと探しています。一九八二年、南天子画廊の個展の二か月前に出た、「油彩画家に転向する横尾忠則さん」という読売新聞のインタビュー記事(四月二六日夕刊)、これではないですか?

モナリザとタトゥー 2003年/80・3×65・2cm /
キャンバスにアクリル/個人蔵

横尾
記憶しているのは社会面で、「画家宣言」という言葉が躍っていた。
建畠
画家宣言は、有名だけれど幻なんだよね。
横尾
ぼくが自分で画家宣言と言ったわけではないから、「いわゆる画家宣言」と言ってました(笑)。
建畠
二〇一〇年に、国立国際美術館で、「横尾忠則全ポスター」展を行いましたが、驚いたのは、画家宣言の後に作ったポスターの方が、それ以前より多かったという事実。
横尾
実際は、そちらで飯食ってたみたい。ただぼくの中に、デザイナー意識はものすごく希薄だった。ぼくは、デザイナー廃業宣言はしていないんですよ。画家に転向すると言った途端に、企業関係がダーッと引いてしまって、広告関係の仕事がなくなったんです。その頃、「少年マガジン」の表紙を頼まれて、ぼくは今、デザインを一切やってないんだよ、と事実を伝えるためにあえて、自分のスタイルを出さず、全て他人の絵を使ったんです。その手法が、その後のぼくに影響しています。 
加治屋
『いわゆる画家宣言 横尾忠則の画家の日記'80―'83』という日記がありますが、横尾さんがNYに行き、画家転向のきっかけとなる「ピカソ展」を観たときの記載が、一切ないんです。NYにいた一九八〇年七月末から九月初めまで、全部空欄です。
横尾
えっ、そうなの? もったいない、一番面白いところなのに(笑)。きっと衝撃が大きすぎて、言葉にできなかったんですね。 
加治屋
ピカソ展は八〇年の夏に観たのに、日記で言及するのは、八十一年の三月から。半年以上経ってようやくピカソ展はショックだったと書いています。
横尾
ぼくが初めてNYに行ったのは、六十七年です。そのときに、ウォーホルやウェッセルマン、ジャスパーやラウシェンバーグなど、ポップアートを牽引していた人たちに片っ端から会った。ジョンとヨーコに初めて会ったのもNY。八〇年にも、たぶんいろいろな人に会っていると思う。惜しいなあ、写真も撮ってないんです。 
加治屋
ほとんど毎日日記を書いているのに、ここだけないというのは、逆に意味がありそうですよね。
横尾
ぼくにとってすごく重要な時期ですよね。この空白期間について伝えようとすると、たぶんに創作性が現れてくるでしょうね。

大傑作を生む老境 無手勝流は長生きの秘訣

横尾
このところたくさんの人が、八十歳前半でバタバタと亡くなっているでしょう。ぼくも射程距離に入っちゃった、という感じがしているわけ。 山田さんとはよく蕎麦屋で映画の話をします。山田さんはつい先日、クランクインしたけれど、この映画が最後まで撮れるか不安だ、と言ってました。どこが悪いわけではないけれど、過酷な仕事だし、始めたら途中で止めるわけにいかないから。老境の心境は誰も共通していますね。
建畠
ピカソは長生きで最後まで現役でしたよね。横尾さんにもそうなってほしい。
横尾
北斎は九〇歳のときに、あと一〇年欲しい、一〇年あれば宇宙の真理が描けると言った。きっとそうだったと思う。九十一歳で亡くなりましたが。
建畠
富岡鉄斎も八〇歳を過ぎてから、それまで以上にどんどん絵が良くなって最高傑作を描きました。
横尾
無手勝流になるんでしょうね。無手勝流は長生きの秘訣でもある。
建畠
マチスの「ヴァンスのチャペル」も、晩年の傑作ですよね。
横尾
それについては、傑作と関係なく、ピカソが「マチスには宗教がわからない」と辛辣なことを言っています。ピカソはいわゆる宗教者ではないけれど、悟性の境地に到達していたと思うんです。マチスがいかにも宗教的なものを作ろうとしたことに対して、彼は批判的だったのかな。
建畠
ポンピドゥー・センターやニューヨーク近代美術館で、二〇〇三年に「マチス・ピカソ」展が開かれましたね。二人はライバルで仲が悪かったけれど、展示の中に、ピカソの言葉だったと思いますが、「二人のうちのどちらか一人が死ぬと、私たちは永遠に対話の相手を失うだろう」と。嫌悪しつつも、画家として認め合っていたということなんでしょうね。
横尾
ぼくはピカソの息子のクロウドと友達で、よくマチスの話やブラックの話をききました。ピカソはいろいろ言いながらも、マチスのことを好きだったみたいですね。

乗り越えゆく先達の屍 優れた作品の持つ批評性

建畠
最近は、外国の展覧会からの出品依頼が、多いのではないですか。
横尾
海外の展覧会が多いです。今、予定されているのが四本です。 
加治屋
そのような中でも、八月二十八日まで『横尾忠則迷画感応術』展が、箱根彫刻の森美術館で開かれています。他の画家の絵画を参照する横尾さんの絵画を集めた、非常に面白い展覧会です。画家の特徴や思考を巧みに捉えて、描くことを通して作品の解釈・分析を行っている。トム・ウェッセルマンの「グレート・アメリカン・ヌード」を参照したとされる「ピンク・ガールズ」シリーズをはじめ、デュシャンの「LHOOQ」をモチーフとした「デュシャンピアン」、デ・キリコ、ピカビア、ピカソ、ベックリンを参照した絵から、新作の「At Box Roots」まで、三〇点近い絵が並んでいます。 横尾さんは、例えばアンリ・ルソーの「眠るジプシー女」を、ライオンが女を食べ殺す絵に変換したり、「フットボールをする人々」のボールを、人間の頭部にすげかえたりして、アンリ・ルソーの絵の不気味さを強調し、プリミティブな表現のおぞましさを明らかにしています。 また例えば、ベラスケスの「ラス・メニーナス」は、フーコーが『言葉と物』で論じたように、古典主義時代の表象を体現しつつも、近代の端緒を示している絵画です。横尾さんの「集合と分散―その力の働き」は、表象空間を成り立たせている枠組みを問おうとしたベラスケスの試みを、横尾さんのやり方で、より明示的に論じている作品だと思います。古典主義的な遠近法の空間を変容させ、オールオーバーな近代の新たな絵画空間を作り出そうとしている。そうした対話と批評が他の絵画にも見られる、一見の価値ありの展覧会です。
横尾
オマージュは、その作家に対する尊敬や憧れに端を発するわけですが、ぼくはむしろ悪意を持って描くべきだと思っています。どちらにしても敗北で、先人には敵わないのだけど。ピカソの「マネ 草上の昼食」とか、「ラス・メニーナス」にしても、悪意以外の何物でもないですよ。 
加治屋
それは、批評性とも言えますよね。作品の特徴を捉え、それをさらに押し進めようとしている。批評とは、決して批評家の専売特許ではなく、作家による、作品を通した批評も立派な批評ですし、とても重要なものです。そして、優れた作品の中には、そうした意味での批評性を持った作品が少なくありません。横尾さんの絵画もそのような観点から解釈することができるのではないかと思っています。 二〇一四年に開かれた国立国際美術館の「ノスタルジー&ファンタジー」展でも、ウォーホル、ピカソ、デ・キリコを扱った新作三点が出品されています。横尾さんはこれまでにもいろいろな画家の作品を参照しており、今後も新作が楽しみなシリーズです。
建畠
「農道時間」という作品には、たくさんの画家の名前が、たくさんの骸骨と一緒に書かれていますよね。そしてY字路の左側にはミレーの「晩鐘」のシルエットが描かれている。「450」と書いてある左の人物は、横尾さん本人ですよね。
横尾
Y字路はもともと農道が発達した結果、できた道なんです。だから農夫のテリトリーということで、ミレーなんですよ。
建畠
絵にはときどき文字が入り、逆に朝日新聞の書評は絵で描くときがあって、横尾さんの言葉と絵画の関係は興味深いです。 
加治屋
ぼくはこの絵に、アンゼルム・キーファーの「ドイツの精神的な英雄たち」を想い起こしました。芸術の歴史に立ち向かうために、キーファーは、ドイツの精神的な共同体を召喚するのに対し、横尾さんはあくまでも個人の力で立ち向かい、先達の美術家たちの屍を越えていこうとしています。新たな絵画史の可能性を探求する、横尾さんの覚悟をぼくはこの絵に感じました。
建畠
横尾さんのアートの本質は、幼少期の模写から発していると言われますが、独創のほとんど全てが、模倣から始まる、過去に対する批評だといえますよね。無から有を生むというのではなく、悪意も含めて過去を見つめ、超えていこうとするわけですよね。 
加治屋
横尾さんの模写は、シミュラークルといったポストモダン的な現象ではなくて、身体を通して、作品をまさに「体得」するという、肉体的な運動ですよね。

四〇年後のリターン現象 日本はグローバリズムの渦中


農道時間 2009-2013年/180.0×240.0cm/ダンボールに油彩、スプレー塗料/作家蔵

加治屋
昨年から今年にかけて、ウォーカー・アートセンター、ダラス美術館、フィラデルフィア美術館と巡回した「インターナショナル・ポップ」展に、横尾さんの「ピンク・ガール」シリーズと、アニメーション作品「KISS KISS KISS」が出品されました。「KISS KISS KISS」はニューヨークタイムズにも大きく掲載されました。横尾さんのグラフィックデザインの仕事は、世界的な評価を得ていますが、最近は、絵画やアニメーションにまで、評価が広がっている。これはいい傾向ですね。
横尾
来年ニューヨークで、「ピンク・ガール」だけを集めた展覧会のオファーがあります。アメリカの若い女性アーティストとの二人展で。「ピンク・ガール」の特徴が、そのアーティストの作品にも見られるらしく、並べて見せようという試みです。企画自体が批評的で面白いですよね。六〇年代にアメリカに行ったとき、ウェッセルマンに「ピンク・ガール」シリーズを見せているんです。ウェッセルマンは、すぐにニューヨークで展覧会をやりなさい、と言いました。作品をもっと大きくして、と彼自身の作品を引っ張り出してサイズまで示してくれたけれど、ぼくはまだ絵を描く準備ができていなかった。「インターナショナル・ポップ」展には、ウェッセルマンの作品も出品されています。同じ展覧会に並んだところを、ウェッセルマンに見てほしかった。 
加治屋
理解が不十分であれば、それを是正していくのは、研究者や歴史家の役割です。遅ればせながら、それが進んでいるのではないかと思いますね。
横尾
今年、ワルシャワのヴィラヌフ・ポスター美術館で、「横尾忠則生誕八十年、ポスター展」が行われました。それから、スイスのローザンヌにあるSFミュージアムとロシア国立東洋美術館でも展覧会があって、その後はオーストラリアのシドニーで「戦争」をテーマに個展を行います。引いていった波が返ってこないと思ったら、遠くから大きく返ってきたみたいな、面白い現象が起こっています。 以前、建畠さんが館長をしておられた国立国際美術館で、「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展をやったでしょう。
建畠
あれは二〇〇四年だから、ぼくが館長になる直前ですね。
横尾
あの後いろいろな国から、ぼくの作品とデュシャンを絡めた展覧会や出版の話がきたんです。ぼくとデュシャンを結びつけるという発想は、国内ではほとんど皆無だった。ぼくはデュシャンがものすごく好きだからうれしくて。海外の人たちの取り組みは、フロンティア精神、もしくは考古学的な発掘にも通じるような気がしてね。 「ピンク・ガール」も、六六年の日本国内では一切無視されたけれど、四十九年経って、アメリカでもう一回見直されるというのが面白い。日本発の現代アート「具体」も、繰り返し海外で評価されてきて、近年ニューヨークで展覧会が開かれました。音楽でも、BABYMETALは海外で火が付いたでしょう。アニメもそうですね。日本が外ばかりみて、グローバリズムがないとか言っている間に、日本の国内はすでにグローバリズムの渦中にあったのではないか。そういう時差ボケが、これからの日本の芸術や文化の発展の邪魔にならなければいいが。
建畠
ぼくらの世代は国際性が欠けているとか、メンタリティの弱さだとか、ずっと反省を促されてきた。でも横尾さんは、反省するメンタリティとは全く関係ないところで、当時からずっとやってきた人。
横尾
日本「反省」展を催したら、面白いかもしれませんね(笑)。
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