収容所のプルースト (境界の文学) 書評|ジョゼフ・チャプスキ(共和国)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月10日 / 新聞掲載日:2018年3月9日(第3230号)

文学はなぜ必要であるか 
いまこそ日本で読まれるべきプルースト論

収容所のプルースト (境界の文学)
著 者:ジョゼフ・チャプスキ
出版社:共和国
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本書を、いまの日本の読者に読んでもらおうと選択した訳者の批評性と出版を引き受けた編集者の炯眼は、特筆に値する。プルーストを借りて、文学がなぜ必要であるかをこれほど根源的な形で差し出す書物はない。

日本ではなじみのないジョゼフ・チャプスキとは、いったいどんな人物か。一八九六年、貴族の両親からプラハで生まれ、一九一八年、ワルシャワの美術アカデミーに入学。ポーランドが独立を果たすと、対ソヴィエト戦に志願兵として従軍もしている。やがて仲間と「パリ委員会」を結成し、一九二四年には、六週間分の滞在費をもってパリに赴き、滞在は六年にも及ぶことになる。パリ滞在中にチフスにかかり、恢復期をロンドンの伯父宅で過ごしたのだが、そのときプルーストの『失われた時を求めて』を原書で読んだ。作家が没して数年後の、広義の同時代人としてこの小説に触れたことになる。一九三〇年、ポーランドに帰国。一九三九年、ポーランド侵攻がはじまると、チャプスキは将校としてソヴィエト軍の捕虜となり、スタロビエルスクをはじめ三つの捕虜収容所に合計十八か月ほど収監される。同じ時期、スタロビエルスクから捕虜たちがどこかに移送された。そのうちの数千人はスモレンスク近郊のカティンの森に連れて行かれ、処刑される。のちに「カティンの虐殺」として知られる事件を偶然にもくぐり抜けたチャプスキは、画家としての活動の傍ら、秘密扱いされたこの虐殺の真相解明に終生をささげることになる。

この捕虜収容所に収監されているあいだ、過酷な労役のあと、死に瀕した自分たちの精神性を何とか維持しようとして、だれかがそれぞれの得意な分野を毎晩語りつぐという「連続講義」が企画される。そしてチャプスキが引き受けたのが『失われた時を求めて』の講義であり、本書はそのようにして準備された。あの膨大な小説を、すべて記憶のなかの場面と引用をもとにチャプスキは収容所のなかで語ったのだ。本書を読んでもらえば、それが恐ろしいまでに正確であることが分かる。

だが本書の重要性はそこにはない。成り立ちから本書に託されている死に抗する力のようなものこそを、本書から読み取らねばならない。逆説的になるが、これを読むのに、いまの日本ほど向いている状況はない。われわれは自由を享受しているのに、いまここでは文学が死に瀕し、精神性の重要性が壊滅していて、その危機的状況さえほとんど自覚されていない。結果、その意味で、収容所で語られたプルーストが今日の日本の文学状況の陰画たり得るのだ。

本書には、われわれが自らの精神性を生き延びさせるための糧としてのプルーストがある。そうした糧としての文学を問題にする状況が、もう来ているのではないか。本書にプルースト研究の新たな知見を求めてもはじまらないが、それでもプルーストをスノビスムから見ることへの疑問や小説のなかの社交界をめぐる指摘には貴重な示唆がある。なかでも、イタリア語をよくする批評家のラモン・フェルナンデスをプルーストが夜中にたたき起こして、作中で使いたいイタリア語のひと言を実際に自分の前で発音してもらう挿話は感動的で、言葉に対するこの作家の姿勢が見事に示されている。じっさいそのひと言は、作中でオデットが発することになる。あるいは作家・ベルゴットから見える同時代の文学者や書き手自身の書くことに向けた指摘は鋭く、魅力的でもある。いまこそ、日本で読まれるべきプルースト論と言える。(岩津航訳)
この記事の中でご紹介した本
収容所のプルースト (境界の文学)/共和国
収容所のプルースト (境界の文学)
著 者:ジョゼフ・チャプスキ
出版社:共和国
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