対談=横尾忠則×平野啓一郎 寒山拾得のように デ・キリコのように 『創造&老年』(SBクリエイティブ)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年3月16日 / 新聞掲載日:2018年3月16日(第3231号)

対談=横尾忠則×平野啓一郎
寒山拾得のように デ・キリコのように
『創造&老年』(SBクリエイティブ)刊行を機に

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第5回
§作品から、「芸術性」を排除する§


横尾 
 最近、ワイドショーで、パワハラ問題が取り上げられているでしょう。
平野 
 はい、レスリング協会の。
横尾 
 スポーツ選手には、たいていコーチがいるんですよね。ぼくもコーチがいれば楽だなぁと思うわけ。なんで画家にはコーチがつかないのかな。
平野 
 横尾さんがコーチになったらどうですか。
横尾 
 教えるというのは、嫌いではないのよ。選手よりコーチになった方が、才能を活かせるかもしれないよ(笑)。
平野 
 かつてのヨーロッパでは、著名な画家のアトリエで、弟子たちが見習いとして手伝いながら、絵画の技術を学んだわけですよね。二〇世紀になってからですか、そういう仕組みがなくなったのは。
横尾 
 二〇世紀以前は芸術家はいなかったからね。だからもう一度、アーティストが職人に戻ればいいのよね。ぼくの現在のテーマは、自分の中にある「芸術性」をできるだけ排除すること。かといって、「反芸術」「アバンギャルド」ではなくて、芸術から足を洗うことが理想的な境地ではないかと思う。
平野 
 絵画と芸術は、横尾さんの中で一緒ではないんですか。
横尾 
 絵の持つ芸術性と言ったらいいのかな。例えば新しい様式の探究などと言えば、芸術的行為のようでしょう。でもそんなことはどうでもいいと思うようになった。芸術の世界に教育されてしまうところから逃れるということかな。それは、別の言い方をすると、脳と肉体をわけるということ。脳がぼくを支配したり、教育したりしているところがあると思うのね。

六〇代までは、芸術年齢と肉体年齢が乖離していた。つまり、肉体と脳が分離していた。そのときはよかったんです。ところが七〇歳になった途端、それが一緒になって、「老い」というものを感じるようになった。ぼくは、肉体の支配を受けるようになってしまいました。あそこが痛い、ここが痛いと。でもそれも、本当は体が痛がっているのではないんです。脳が指令して、痛いと思わせている。その痛みの想像力で、脳が肉体を支配し、肉体にぼくが支配される。

それから十年経ち、八〇歳になってやっと、肉体の脳化が必要だと気づいたんですよね。
平野 
 七〇代の作品には、そのことが表れていると思いますか。
横尾 
 表れています。ほとんど全部迷っている。
平野 
 例えば「Y字路」シリーズなど、横尾さんの代表作の一つも、その時期に描かれていますよね。
横尾 
 そうね。でも、いつしか「Y字路」が、駆け込み寺になってしまってね。本当は他のことをやりたいのに自信がなくなるというか、「Y字路」さえ描いていれば安心だと思うようになって。これはまずいと思って、「Y字路」の中でいろいろ表現を変えて、物語性を持ち込んだり、夜の風景を昼に変えたり、黒で消して見えるものを見えない絵にしてみたけれど、結局それでは一歩も抜け出していないんです。それも脳が支配していたのだと思います。

脳と肉体は、三島さんにとって大きなテーマだったでしょう。でも作家は肉体がなくてもいいわけよね。
平野 
 単純に、体調が悪いと、小説を書くのがつらいですよね。自分の体調が気になって、作品世界に集中できないんです。だから小説を書くときは、体を感じないぐらい健康だといいと思っていますけど。
横尾 
 面白いね。自分の体を排除しようとしているわけですか。三島さんが肉体を獲得しようとしたこととは反対だ。でもたぶん、体調が悪かったり、痛かったりするのは、ぼく流に言えば、脳の指令のせいですよ。

いずれにせよ、作家から体の話はあまり聞かないね。といって、美術家もあまり体のことを語らない。むしろ観念的な話の方が多かったりします。
平野 
 でも絵は体を使って描くわけですから、どこかが痛めば影響しますよね。
横尾 
 実際に、ぼくは一九六〇年に骨折した、手の親指が今も痛い。
平野 
 それは脳のせいですか。
横尾 
 たぶんね。数年前には足の親指を骨折したのだけど、医者に言わせると、骨折は五〇年治らないって。そうだとすると、ぼくが死んでも、骨折の痛みだけがこの世に生き残るわけです(笑)。
平野 
 アトリエに、横尾さんの骨折の痛みだけがいる(笑)。

キリコの晩年の絵は、線やタッチが歪んでいて、とても味があるという話でしたね。キリコ自身は、その歪みを嫌だと思っていたのか、それとも楽しんでいたと思いますか。
横尾 
 ぼくは、楽しんでいたと思う。キリコはスピリチュアルな人で、奥さんも霊能的な力を持っていたのね。過去を含め、全てを認めているし、形而上絵画が終わってからも、形而上絵画時代の自己模倣を試みたりしているでしょう。ああいうのは、芸術界に名を残したい、というような発想ではないんですよね。名を残したいとか、そういう欲望があると、あそこまで長生きできないかもしれない。ダリは多少名誉欲が勝ったところがあったから、晩年は本当に衰えた、という感じだった。でもキリコの衰え方は新鮮だった。
平野 
 ダリは衰えが目立つ画風のまま、いい老い方ができなかったんですね。
横尾 
 ぼくはキリコの自宅に行ったことがあるんです。アトリエに六〇号くらいのキャンバスが置かれていて、海岸に女性が寝そべっている構図がデッサンされている。これは昔、彼が描いた奥さんの絵なのだけど、それをいま再び描こうとしているところで死んでしまった。なぜ死ぬ瞬間に、昔描いた絵をもう一度描こうとしたのか。よたよたしても、昔の絵を描こうとしたと思うんです。ぼくはそこに何か、自分の未来像を見る気がするのね。ぼくもそういうことをしたい。過去に描いた自分の作品を持ってきて……まあ、いまもしていますけれど。
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この記事の中でご紹介した本
創造&老年/SBクリエイティブ
創造&老年
著 者:横尾 忠則
出版社:SBクリエイティブ
「創造&老年」は以下からご購入できます
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