ディレイ・エフェクト 書評|宮内 悠介(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月17日 / 新聞掲載日:2018年3月16日(第3231号)

ディレイ・エフェクト 書評
記録と記憶に溢れた時代に 
変えられない過去の解釈を変える

ディレイ・エフェクト
著 者:宮内 悠介
出版社:文藝春秋
このエントリーをはてなブックマークに追加
「ディレイ・エフェクト」「空蝉」「阿呆神社」の三作を収録した短篇集。芥川賞候補となった表題作は、一九四四年の光景が二〇二〇年の現在に重なって見えるようになった東京を描く、奇妙で味わい深い作品。タイムトラベルのように過去とインタラクションするのではなく、あくまで過去が見えるだけという渋い設定が光る。

七十六年前の同月同日の光景が、座標のズレなどなく同じ場所に重なって見える現象が突如発生したため、見ることを望んでもいない過去が日常に入り込んでくることに悩まされる人々。主人公は、家のなかで妻の母がまだ幼い頃に家族と過ごした日々が見えるようになり、現象は子どもへの歴史の勉強になると前向きに捉える。しかし、歴史に残されていなかった出来事も発掘されてゆき、東京では様々なトラブルが起こってゆく。

過去は過ぎ去るものだからこそ、そこに囚われずに生きていけるのであって、誰しも今の自分と切り離したい歴史を持っていておかしくない。作中から滲み出るこの観点は、記録技術とウェブが発達した今の時代において非常にクリティカルと言えよう。ウェブについ上げてしまった動画が人生の汚点になり、何度消しても他人にアップロードされ直して玩具にされる。あるいは、思いもよらないときに過去を掘り返されて現在の立場にヒビが入る。そんな消せない過去はそこら中に降り積もっている。

では、過去は忘却した方が良いのだろうか。この問いはこれまで様々に形を変えてフィクションの題材となっており、例えばカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』は、記憶を混濁させる霧に満ちた世界を舞台にして問題を提起していた。これに対し「ディレイ・エフェクト」は、過去の再現が場所のみ同じで現在に重なるという設定のため、個々人の第三者視点から過去を強制的に見ることになるのが特徴的だ。そこから示されるのは、過去を見直し記録と記憶をすりあわせることで、新しい解釈が生まれて現在の個々人の心に影響してゆく可能性である。

終盤、一九四四年の光景は東京大空襲の日を迎え、惨劇は二〇二〇年の東京で生々しく再現される。筆者はそのシーンで、東日本大震災の日、テレビ画面に釘付けになった自分を思い出した。荒れ狂う黒い津波に、自分には何もできないと分かっていても、心はかき乱される。東日本大震災でたくさんの映像が残されたように、近年の災害や事件では、映像記録が残りやすい環境が作られている。後世の人間はそれを見て、変えられない過去に何を思うのだろうか。

他の収録作にも触れておこう。「空蝉」は、マイナーバンドのカリスマ的メンバーの死を巡る物語。「阿呆神社」は、神社で起こる事件にまつわる人間模様を描いた物語。三作品の設定に関連はないが、どの作品にも共通して、過去と正面から向き合い、過去の解釈を変えることで、現在が変わってゆく様子が描かれている。

過去を過去のものにするのはとても難しい。過去は断片的に現在に浮かび上がってきて、その度に自分への態度表明を人間に迫る。無論、過去との向き合い方にも正解はない。「ディレイ・エフェクト」に描かれる主人公と妻の交流のように、過去と向き合う一人ひとりがお互いに歩み寄ることが、記録と記憶に溢れた時代を生きる我々には必要なのではないだろうか。
この記事の中でご紹介した本
ディレイ・エフェクト/文藝春秋
ディレイ・エフェクト
著 者:宮内 悠介
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
このエントリーをはてなブックマークに追加
宮本 道人 氏の関連記事
宮内 悠介 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学 > 人生関連記事
人生の関連記事をもっと見る >