室伏鴻集成 書評|室伏 鴻(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月17日 / 新聞掲載日:2018年3月16日(第3231号)

室伏鴻集成 書評
心と体とは、と問いかける 
――身体の光芒と舞踏の思想――

室伏鴻集成
著 者:室伏 鴻
出版社:河出書房新社
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室伏鴻集成(室伏 鴻)河出書房新社
室伏鴻集成
室伏 鴻
河出書房新社
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舞踏家室伏鴻は、麿赤兒率いる大駱駝艦の創立メンバーで、自分のグループやソロにより国内外で活躍したが、二〇一六年メキシコで急逝した。

室伏は身体の緊張を極めて高め、激しく倒れる動き、獣のように這う動きで知られるが、近年主宰したグループKo&Edgeがコンテンポラリーダンスで注目され、多くのダンサーに影響を与えた。その魅力は作品だけでなく室伏の思想にある。舞踏は、身体そのものの提示により言葉にできない感覚を感じさせ、そこには、舞踏家が身体をどうとらえるかという個々の追究が反映される。舞踏とは身体を通して思考する身体の思想なのだ。

室伏は哲学・思想に関心が強く、ドゥルーズやアルトーについて考察し、二〇一三年横浜赤レンガ倉庫の「〈外〉の千夜一夜」では、室伏の振付・演出による舞台とともに研究者との対話などのプログラムが実施された。室伏の残した書籍・文章・映像資料などはマネージャー渡辺喜美子主導で整理され、室伏アーカイヴとして公開されている。その膨大な文章から渡辺と中原蒼二、鈴木創士が選んだものが本書である。大半は思索ノートによるが、そこには舞踏とは何か、踊りとは何かという舞踏の思想を見出すことができる。収録された音楽学者細川周平、ダンサー山崎広太による二つのインタビューも室伏の思想を知る手がかりになるだろう。

おいを背負って歩いてゆく男がいる。古代的な相貌をした大男で、大股に歩く。笈のなかには、なにやら気味の悪い小人を入れているのだという。いや、それは正確にいうと、小人でもないようで、異様に輝く肢体に、したたかな踊りを仕込んでいるのだという」

初期の「鎖金令」というこの文章は幻想譚の始まりのようだ。笈は山伏が背負う法具の箱で、室伏はその名のとおり修験道修業の経験がある。室伏鴻は一九六八年、土方巽の『肉体の叛乱』の舞台に衝撃を受けて舞踏家となった。

室伏は、「踊りとは錯乱である」「錯乱を通じて生成変化の可能性と不可能性をひき入れる」「生成変化とは死の帯域へと踏み入り、自失と私の喪失=死とともに生きるという分裂的で危機的な様相である。己の死によって立つ別の生の様相だ」とし、土方巽の「命がけで突っ立った死体」とは「生成変化する生体のこと。日々刻々変化することをやめない私たちの生の、亀裂と分裂を孕んだ生の、その際どさ、危うさのことだ」と書く。

その土方の言葉は舞踏とは何かを示すキーワードとして知られるが、一つの解答がここにある。室伏には木乃伊、背火、常闇形ひながた、エッジといったキーワードがあるが、これらの考察から、室伏は〈外〉に至った。

「今・ここ」の〈外〉、意味の〈外〉、思考の〈外〉。室伏が引用するミシェル・フーコーの文章に依れば、「外の体験」はサドの欲望、ニーチェの力、アルトーの思考の物質性、バタイユの侵犯であり、それが引きつけるのは、「自分がどうしようもなく『外』の外にあるということを感じること」だという。フーコーの「外の思考」とは、語る主体が消滅することだといわれるが、室伏にとっては、語る=踊る主体の消滅でもある。

本書は、舞踏の世界に鋭い光芒を見せた室伏鴻の思索の軌跡であり、実践的に獲得した身体論である。室伏の思索を通して、私たちは世界で広まる舞踏の本質に近づき、身体とは何か、さらには心と体とは何かという問いを、改めて自らに課すことになるだろう。
この記事の中でご紹介した本
室伏鴻集成/河出書房新社
室伏鴻集成
著 者:室伏 鴻
出版社:河出書房新社
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