対談=土田ヒロミ×アラン・グリースン フクシマを記録/記憶するために 『フクシマ 2011―2017』(みすず書房)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年3月23日 / 新聞掲載日:2018年3月23日(第3232号)

対談=土田ヒロミ×アラン・グリースン
フクシマを記録/記憶するために
『フクシマ 2011―2017』(みすず書房)刊行を機に

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写真家の土田ヒロミ氏は東日本大震災による原発事故以来、約一二〇回福島を訪れ五万点にものぼる写真を撮影してきた。その中から精選された一九〇点でまとめられた『フクシマ 2011―2017』(みすず書房)。本書には美しい自然を覆い尽くす見えない不安が写し出されている。この刊行を機に、テキストの英訳を担当したアラン・グリースン氏との対談をお願いした。漫画『はだしのゲン』(中沢啓治著)の英訳編集を手がけたグリースン氏と福島そして広島について語ってもらった。 (編集部)
第1回
当事者も非当事者も考えるような記録を

土田 ヒロミ氏
土田 
 グリースンさんは日本の地震をこれまでも経験されていますか。
グリースン 
 五歳から高校卒業までは日本にいましたから日本の地震は経験しています。二〇一一年には既に日本に住んでいたので東日本大震災も経験しました。地震が起きた時はこれほどまでに酷い状況だとはわからず夜になって津波のことを知りました。
土田 
 大きな地震だとは思いましたけれど、津波や東京電力の問題が起こるなんて予想もしませんでしたね。
グリースン 
 私も情報はテレビに頼っていましたが、その時に感じたのは、日本のテレビは視聴者にショックを与えるという理由で死体や流されている人を映そうとはしません。これは却って被害の状況を不鮮明にさせてしまう気がします。
土田 
 外国人特派員の報道はありのままを記録することが多いようですね。日本人の場合、撮る側が意識的に避けてしまう。溺れる人を撮り続けられないメンタリティがあるようです。ですからその種の記録がそもそも少ない。客観的に切り込めないのは、大きな災害の時に起こる日本的傾向ですね。
グリースン 
 原発事故の報道でもそうです。解説の木下直之さんの文章に「白い噴煙」のことが書いてありますね。テレビ報道されたのは白い煙で、これは爆発のしばらく後の映像です。白い蒸気には悪性のイメージはありません。でもインターネットで海外に流れた映像には爆発の瞬間に真っ黒な噴煙がのぼるシーンがあります。原爆投下のきのこ雲とかなり似ている。この映像を最初に見れば、放射性物質が撒き散らされる危険度の高さがひと目で分かったと思います。
土田 
 日本の報道では黒い煙の映像はほとんど流れませんでした。原発事故報道では白い煙のイメージが強いですね。
グリースン 
 安全だと誘導している気がしますね。さて『フクシマ』ですが、とても美しい写真集だと感じました。まずどのような経緯で福島をテーマにされたのですか。
土田 
 東日本大震災が起こり、皆さんは何かできることはないかと考えたと思います。ある人は寄付を、ある人はボランティアを、と様々な立場で何かをしたでしょう。その中で私自身の仕事として記録しなくてはいけないと強く感じました。津波被害は報道も多く、瓦礫が山積みとなった場所もやがて整備され時間とともに町が癒えていくことが記録されています。

しかし福島の場合は原発が爆発して汚染物質が拡散した複雑な事故です。その後どのように展開するか予測できない。私は過去に広島の核と人間の問題を写真表現しました。その流れで福島についても考えなくてはいけないと思いました。
グリースン 
 広島の原爆と被爆者をテーマにした『ヒロシマ』の延長線上に『フクシマ』はあるのですね。
土田 
 私が広島をテーマにした時期は終戦から三十数年後です。町はきれいに復興されて被害状況が表に現れなくなっていました。その中で被害はどういう形で人や風景に残されて、どのように記憶しようとしているのか見えない広島の被害を視覚化しようと試みたわけです。写真というメディアは見えないものを意識化させることは難しいです。今回の原発事故は多くの人が避難したけれど、被害の本質を映像化することができない。視覚化できないからこそやるべきだと思いました。
グリースン 
 『フクシマ』に収められた風景は何事も無かったかのような美しい大自然そのままです。この風景からは何か問題があるようには思えません。でも写真集を繰っていくとどこか不思議さや違和感があります。
土田 
 日本的な美しい風景ではあるけれど、湿度のある写真ではなくカラッとした乾いた表現にあえてしています。
アラン・グリースン氏
グリースン 
 それが違和感に繋がるのでしょうか。人がいる写真も少ないので不気味ですし美しい風景の中に突然フレコンバッグが現れて、また消えていく。或いは人間が残した家や畑が荒廃していきます。この風景の中には未だに高い濃度の放射性物質があるけれど、それは目に見えません。
土田 
 田畑は除染をしましたから放射能の濃度は減っていると思いますけれど山地はやっていません。風景を自然と捉えれば、自然から人間が逃避することが福島では現実に起きました。日本人の営みは自然から学び自然を共有することで多くの文明文化が育ってきたけれど、そこから我々は拒否され自然と人間の乖離が起きてしまったのです。福島で起こった、人間と自然との関係が危ないところまで立ち至っている状況を意識化する作業をしてみたいというのが私にはありました。美しい自然を災害と対比して示すことで、あまり振り返ることのなかった何でもない山里風景、些細な日常の中にある小さな自然をもう一度意識化して、我々が何を失ったのかを被災した当事者も非当事者の我々も考えるような記録を作りたかったのです。
グリースン 
 私が写真を見た時に感動したのはやはり自然の美しさです。福島は里山が多く、人間が自然を操作しつつ穏やかに共存しあっている。原発事故前の福島はシンプルライフを求める若者にも人気の場所でしたね。
土田 
 福島は浜通り、中通り、会津の海、高原、山と大きく区分されている県です。飯舘村などは農業共同体としても自立して頑張っていた地域です。それを可能にしたのは風土として豊かだったからです。

福島は首都圏に比較的近いこともあって、大消費都市である東京に対して供給の役割を果たしていた。電力でもそうです。発電所だけでも福島には四つもあります。東京にとっての便宜的な位置であることは確かです。
グリースン 
 日本人以外の外国人がこの写真集をどう思うのかを考えた時に、ヨーロッパは日本と近いかもしれませんけれど、アメリカと比べるとまず地形が違います。アメリカは人間が手を加えた広大な農場や牧場がある一方で山は野性的なままです。誰も住んでいないような砂漠の風景もあります。日本の里山のように人間と自然の共存で出来上がった風景はほとんど無いです。アメリカ人が見た場合、まず自然の美しさに感動し、原発事故のために破壊された経緯を知って衝撃を受けると思います。
土田 
 日本人の自然との共生関係は境界線が入り組んでいますよね。自然の中に人が入り林や山をつくっています。世界的に見ても珍しく、さらに福島は四季がはっきりとした典型的な日本特有の風土だと思いますね。
グリースン 
 日本人は人間も自然の一部という考えで、区別する思想がないでしょう。それに対して西洋では自然は人間が支配すべきものだという考えがあります。自然は敵で、それを押さえつけて自分のものにすべきだという意識が、特にアメリカは開拓の国なのでありますね。
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この記事の中でご紹介した本
フクシマ 2011-2017/みすず書房
フクシマ 2011-2017
著 者:土田 ヒロミ
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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