『維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅』 (姜尚中著・集英社)  刊行記念トークイベント 姜 尚中氏講演|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年3月23日 / 新聞掲載日:2018年3月23日(第3232号)

『維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅』 (姜尚中著・集英社) 
刊行記念トークイベント 姜 尚中氏講演

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去る2月1日、『維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅』(集英社)の刊行を記念して、著者の姜尚中氏によるトークイベントがジュンク堂書店・池袋本店で開催された。明治維新から一五〇年という節目にあたる本年、急速な近代化と繁栄を享受してきたこの国が得たものと、失ったものは何なのか。そうした問題意識のもと、共同通信で二〇一六年一月から二〇一七年九月にかけて連載された「姜尚中 思索の旅『1868~』」を、大幅に改稿・加筆。本書の刊行を記念して、刊行までの経緯や「思索の旅」におけるさまざまな出逢い、本には収めきれなかった思いまでもが語られた。講演の一部をレポートする。 (編集部)
第1回
■新・和魂洋才

■新・和魂洋才
姜尚中氏
姜尚中氏は冒頭、本書がいろいろな人の手を通じてこのような形になったと感謝を述べ、今回の取材を通して、それぞれの現場で記者や関係者の方々と交流を持てたことは至福の時間だったとして、本書で目指したことをこのように述べた。

「明治維新一五〇年を迎え、ある意味「明治翼賛」的ないろいろな動きが出て来ているが、光があれば影があり、またその影は深いはずである。このことを各地を歩きながらずっと考えていた。最初に長崎の軍艦島(端島)を訪れたが、ちょうど岩波新書から山本義隆さんの『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』が刊行され、奇しくも同じようなことを違う視点から執筆されていた。山本氏は科学史の立場から、私は政治や社会との関わりから書いているが、共通しているのは、一五〇年来無限の前進運動を続けてきたこの文明が、人口減少と福島第一原発の事故でもう終わったのではないか、そして終わったにもかかわらず、代わりのものが打ち出せていないという日本の行き詰まり、こういうものを一五〇年前から遡って考えるということだった。私はこの本の中では「和魂洋才」という言葉を用いたが、取材を終えてこの一五〇年にどういうフレームワークを付けるかといったときに、日本のグローバル化に対応する明治一五〇年の新しいメッセージは、「新・和魂洋才の時代」ではないかと思った」。


■痛切に感じた二つのこと


姜氏は『共同通信』での連載中、取材を続けながら二つのことを痛切に感じていたという。

「その一つは、どうして国というものは神を畏れないのかということ。国家を操舵する官僚、政治家、そういう人々が神を畏れていない。本書の中で優生保護法の問題を扱っているが、旧優生保護法は一九九六年まで続いた。公害の問題ひとつとっても、足尾銅山を取材して問題が今も続いていることに愕然とした。この一五〇年の間、そういう問題が、ずっと引き延ばされてきた。なぜ、かくも五〇年、一〇〇年という単位で神を畏れることがないのだろうか。それが私の中にずっとあった。

もう一つは福島第一原発事故と東日本大震災のことだった。あれだけの黙示録的事件が起きたにもかかわらず、今でもそれがどうなっているのか、なかなか知り難い。広島と長崎に二発の原爆が投下され、熊本では二〇世紀最悪と言われている公害・水俣病が発生した。そういうことが起きたにもかかわらず、なにゆえにこれほどまでに科学技術へのオプティミズムがなくならないのか。科学技術に対するさまざまな懐疑や考察とは別に、能天気なほどのオプティミズムがある」。

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この記事の中でご紹介した本
維新の影  近代日本一五〇年、思索の旅/集英社
維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅
著 者:姜 尚中
出版社:集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
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