【横尾 忠則】芸術の理想はひとりひとりが芸術そのものになっていくことだ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
更新日:2018年3月27日 / 新聞掲載日:2018年3月23日(第3232号)

芸術の理想はひとりひとりが芸術そのものになっていくことだ

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2018.3.12
 神戸のY+T横尾忠則美術館のロビーが突然祝祭的な空間に変じてカーニバルのような華やかさになった。一体何が起こったのかすぐには理解できないが、興奮の渦にどんどん巻き込まれて人々はそれぞれ思い思いの服装をして、全員が手に絵筆を持って辺りかまわず触れる物に色を塗りつけていく。アマとプロの区別もなく、「これでいいんだ、芸術の理想はひとりひとりが芸術そのものになっていくことだ」と誰かが叫んで、人の渦は輪舞しながら、睡魔境の底にぼくはどんどん堕ちていく。ふと気がつくと、9時間ばかり眠り続けていた。

風邪は峠を越したのか、躰が冷んやりして気持がいいことに気づく。あの熱病のような喧騒が躰の毒素をどこかに撒き散らしてくれたのかも知れない。

今日一日ベッドの中で過ごせば明日は床離れができそうな予感がする。おでんはほぼ終日ぼくと頭を並べて寝ているが、彼女は病人ではない。

2018.3.13
 一気にベッドから離れて邪気を払う。まだ躰の重心がとれないが思い切って自転車でアトリエに行く。なんだか久し振りに帰ってきたという感じで、描きかけの絵もそのままだ。バルコニーに覆いかぶさるように椿の樹が真紅の花をつけてドサッと侵入してきた。小さいローズ色の花がくしだんごのように枝に鈴なりにしがみついて、まるで樹木全体が花火が炸裂したように華やいでいるのはあんずの花だ。やがて花に変って黄色のあんずの実がつく頃になると、それを目当てに小鳥の群が騒ぎ出して、いよいよ春の到来である。そんな自然界の移ろいに刺激を受けたぼくも新しいキャンバスを引っ張り出して、竜巻の絵を描き始める。3年前の9月6日に千葉で発生した竜巻によって難聴になったのを記念して「竜巻と耳」と題する絵に取りかかる。昨日まで2日間寝ていたのがウソのように熱は下っていくのがわかる。

ところがぼくの風邪が妻にうつったらしく、昨夕あたりから様子がおかしいと言う。ぼくと添い寝をしていたおでんには風邪の兆候はない。

さて、2日間出前をとったが、今夕は温かいナベ物で一気に邪気を払いたい。妻の口ぐせは、食べ終るなり「明日何にする?」と聞かれる。24時間後のメニューは浮かばない。食事の用意は主婦にとっては悩みの種だ。ぼくの明日の悩みの種は「何を描こう?」だ。

2018.3.14
 やっと「風邪と共に去りぬ」だ。気分転換にシャンプーに行こうと思ったが、平熱より4分高いので下るのを待つ。アトリエで日向ぼっこをしながら下熱を待つが一向に下らない。部屋が暑いせいかも知れないので、Tシャツ一枚になったり、脱水症状気味かもと思って水分多量に補給。こうした躰の声が正解だったのか、急に体温が下り、平熱になった。そこで急いでピカビアでヘアーシャンプーをする。ちょっと逆療法的かなと思ったが、これが功を奏して、サウナから出てきたみたいに風邪のカルマは見事に撃退。

夜、森英恵さんから可愛いお花が届く。本のお礼だそうだ。

2018.3.15
 イタリア版とフランス版の「ZOOM」誌の取材。主に60年代後半のアングラの文化活動について話す。

夕方、スポーツマッサージに。うっかりして施術用の下着をつけたまま帰ってきた。

玄関にいつも来る2匹の黒猫の他にもう1匹(死んだホームレスに似ている)、3匹並んでエサを待つ。野良同士は仲がいいようだが、彼等の誰かがおでんをいじめるらしい。
世田谷美術館の酒井忠康さんと

2018.3.16
 誰からか日本刀をいただいた。骨董趣味がないので、全体(刃の部分も)を奇抜な原色で彩色してみたくなった。様々な色に塗った刃をズラッと並べてみたい。

この間夢で会った世田谷美術館の酒井忠康館長に本紙の掲載紙を持って訪ねる。館の修復工事で長い間足が遠のいていたので何かとつのる美術談義に盛り上る。開催中の「パリジェンヌ」展を塚田美紀さんの案内で観る。どの作品も完成度が高く、刺激を受けまくる。
世田谷美術館の塚田美紀さんと

2018.3.17
 寝つきが悪く、不眠気味。まだ完治していないのか、漢方薬の処方に成城漢方へ。肩、背中、首のコリが強いので、それに効く漢方も処方してもらうが、飲むのはしばらく様子を見てから。帰りに旧山田邸でコーヒーを飲みながら読書。午後、暖かくなってきたので野川のビジターセンターのテラスで一時間ばかり日向ぼっこ。午前中の微熱は下り、平熱に。

2018.3.18
 時間と意識。意識の流れがなければ時間は存在しないんじゃないかな? 肉体があるから意識があるのだが、もし死によって肉体が消滅すると、瞬間に時間も消滅する? では時間のない死後の意識とは如何なるものなのだろうか。時間がないから意識は流れないのでは? では流れない意識はどのような存在の仕方をするのだろうか? 死んだらわかることを今考える必要はないか。

夕方、マッサージへ。(よこお・ただのり=美術家)
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