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手塚治虫―深夜の独り言
2018年3月27日

手塚治虫―深夜の独り言(4)先生の一番怖いもの

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「描きたいから描く。それがどんな小さな出版社であろうと、商業主義に毒されていようが、頼まれたら断らずに描く。そうしないとすぐに忘れ去られてしまうのが、この業界なんだ。僕は一日中、電話が一本もかからなくなる日が怖いのだ」

先生はこう話した事がある。この天才もこんな恐怖におののいているとはと、慄然としたものである。また、
「量より質か、質より量かなどという議論はナンセンス 僕は量も質も一番でないと気が済まないんだ。どんなまんが家よりも多く作品を掲載し、誰よりもページ数が多いと、どうだという気持ちになるんです」

これは、連載が一本終了した時の先生の言葉である。その日は荒れに荒れて「どろろ」の執筆にいつまでも着手せず、担当の私も困り果ててしまった。ただただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない。先生はしばらく自室に閉じこもってから気を取り直して机に向かった。おそるおそる先生の顔をうかがうと、目の下がホンノリ赤かった。
「中村さん、まんが家は歌手や俳優と同じようなものですよ。人気がある時はチヤホヤされ人気がなくなればポイ。読者の人気投票が高い時は連載が続き、人気がなくなれば終り。だから僕はいつもヒヤヒヤしながらまんがを描いているんですよ」
「でも先生は別格でしょ?」と、私が反論すると、
「いや、僕も同じです」
その答えをきいた時、この天才も辛いんだなあと思ったものである。更に続けて、「僕のまんがどう思います?絵は古いですか?ストーリーはのろいですか?」
と、問いかけてくる。

当時、『月刊漫画ガロ』が刊行され、個性的な作風の作家が集い、比較的高い年齢層の読者にウケていた。その影響で、劇画が擡頭し従来のまんがには写実性がない、絵にパンチがないなどの風評が起こった。そうした状況に敏感に反応しての問いである。この問いが曲者で下手に同意しようものなら大変。「どこが?」「何故?」と執拗に問い質してくる。この術中にはまらないように話題を変えるのが当時の担当編集者に必要なテクニックだった。何故なら手塚作品は劇画ではないのだから。その時の私がどうしたかというと、
「先生の『ビッグコミック』や他のコミック誌に登場する女性は、なぜ丸顔の美人が多いのですか? 読者の中には細面の美人が登場するのを楽しみにしている人もいるかも知れませんが?」
とはぐらかす。すると先生、「僕は妻が好きなんです。愛しているんです。僕の妻は丸顔でしょ?だから青年コミックに登場する女性は丸顔になってしまう」
と答える。ゴチソウサマと言いたい所だが、それ以上にうまくはぐらかせてホッとした気分だ。この話を先生の奥様にぜひ伝えたいと思うが、この文章が世に出なければ、永遠に私だけの憶い出になる。
2018年3月23日 新聞掲載(第3232号)
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