妻籠め 書評|佐藤 洋二郎(小学館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年9月23日 / 新聞掲載日:2016年9月23日(第3157号)

妻籠め 書評
物語の根源にある神話 神話への畏怖がある者たちに約束された心

妻籠め
出版社:小学館
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妻籠め(佐藤 洋二郎)小学館
妻籠め
佐藤 洋二郎
小学館
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すべての物語の根源には神話があると言われているが、この物語のように、人生の深い霧のなかの謎を追求するさなかに、不思議さが忽然と出現したとき、そう言うのだろうか。そうだとすると神話とは、謎を追求する人間たちの物語を見まもる、もう一つの「物語」と言えようか。

この物語の主人公は、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る」の歌で有名な神話の国・島根の出身で、中世哲学専攻の熟年の大学教授の男である。彼は若い頃キリスト教神父からの影響で自分も学問で身を立てようと志したのだが、この頃小説家志望の友人と親しくなり、突然自死にあう。友人は八歳ぐらい年上の女を慕っているようにみえたのだが、その頃神父がその女と突然失踪する。なぜ友人は自死したのか。なにか深い秘密でもあったのか。また失踪した神父は、棄教したのか、その後の信仰は、神は、どうなったのか。孤独のせいからなのか。心のなかがたまらなく淋しくなって、忘れることのできぬ謎になっている。友人が慕っていた女に似た年恰好の女に、喫茶店で声をかけられると、心の傷を舐めるように仮装や肉欲にふけり自堕落をまぎらす。主人公を慕ってたびたび研究室に訪ねて来る女子大学生に郷里への神社を巡る旅をねだられ、二人で神話の国への旅をする途中で、ふとしたことからその学生が若き日の友人の子であると知る。

旅に「行ってみましょうか」―特定の女子学生と二人だけの旅はすべきではないと躊躇っていたし、また嘘を言ってはいけない、言葉は人を結ぶ大事なものだ、といつも思っていたにもかかわらず、予期せぬ一言であると主人公は呟く。ついポロリと出てしまった一言である。けれども、ふだんから謎を追求する姿勢をもっているし、学生の魅力に惹きよせられる心をもう抑えられなかったから当然出てきそうな無意識的な一言でもあるのだ。となると、この一言は主人公自身が言った、というより、謎が謎を呼ぶように、物語の謎が神話という「物語」を呼んでいるから、今度はその「物語」から主人公へはたらきかけがあって、「物語」の力によって主人公が吐露した一言ではないか。

主人公は母の手一つで育ち、友人は男手一つの家庭で、学生は母の手一つで育ってきたことからすると、友人が八歳ぐらい年上の女性に惹かれていったのも、学生が父親のような男を求めてくるのも、ごく自然のことであって肯けないではない。ただそのことを、だれかに見られているのではないかとなぜか過剰な反応をしている。たとえば主人公は小学生のとき地区の集会があった晩に薄暗い森で人目を避け男と話にふけっている母を盗み見てから、母がその密会を子に知られたと負い目を感じ寡婦で通すと決意したのではないかと言うのだが、そもそもその密会を、闇のなかで自分以外のだれが見ていたであろうか。主人公がだれかに「いつも見られている気がして生きてきた」と言うのも、いま学生との仲を隠し通そうと気にしているのも、いつも自分たちの秘密を見るだれかの眼を気にしているからだろう。それほどまでに気にしているのは、いったいだれの眼か。その眼こそ、この世らしからぬところから自分たちの秘密をそっと覗き見ている眼、いわば異界から見つめる眼であり、この物語の根源である神話がもたらすものにほかならない。

友人も、その子である学生も、宍道湖に沈む夕焼けの美しい風景を同じように見とれ、「神様しか造れない景色だよ」、「でもどこかで目にした景色のような気がするんです」と叫ぶが、その声を聞くと主人公は彼らの秘密にふれることができたと感じる。だが、この世にそれほどまでに美しい景色がほんとうに実在するのであろうか。おそらく美しいのは、それを美しいと見る心が豊かにあるからこそ美しいのであろう。そして、その心は神話への畏怖がある者たちに約束されていることにちがいない。
この記事の中でご紹介した本
妻籠め/小学館
妻籠め
著 者:佐藤 洋二郎
出版社:小学館
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