こころの病に挑んだ知の巨人 ─森田正馬・土居健郎・河合隼雄・木村敏・中井久夫 書評|山竹 伸二(筑摩書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月24日 / 新聞掲載日:2018年3月23日(第3232号)

世に棲む思想家たち 
本を読むように人の心を読むことに打ち込む

こころの病に挑んだ知の巨人 ─森田正馬・土居健郎・河合隼雄・木村敏・中井久夫
著 者:山竹 伸二
出版社:筑摩書房
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世の読書人の中には、十代の頃に膨大な量の本を読み、学び、考え、人格を作り上げるが、二十代位でそのことに飽き足らなさを感じ始め、生活しながら生身の人々と接することから、人間性や世界についての思考を深める、というタイプの人がいる。

その「考える人」としての生態は、港湾で労働をしたり、ホテルマンになったり、タクシードライバーになったりと様々であろうし、ホーキング青山の本のタイトルのように「考える障害者」も多く存在するのだろうが、市井に棲み仕事をしつつ自らの思想を築き上げるといった人間が比較的見つかりやすい場所の一つに精神科の現場がある、と私は思う。

日本の精神科医や心理学者のうちに、そういった「世に棲む思想家たち」を見出したのが、本書『こころの病に挑んだ知の巨人』である。本を読むように人の心を読むことに打ち込んだ人たちについて書かれた書物だと言える。

本書については、まず、序章と終章を先に読んで、大きな見通しを得ておくことを勧めたい。

序章では、日本における精神科医療や心理臨床の歴史をざっと辿り、現状の問題点も指摘する。本書で採り上げる五人(森田正馬・土居健郎・河合隼雄・木村敏・中井久夫)の理論には共通点がある、と山竹は書く。それは、「人間のあり方に対する本質的な洞察、患者の日常的な存在様式へのまなざし」だという。

終章では、五人の「心の治療者」についてそれぞれ詳述した五つの章を踏まえ、患者に限らず、広く人のあり方を決めているものとして、人間の「自己価値の承認に関わる欲望と不安」を抽出している。さらに、「人間は愛と承認を求めると同時に、自由を求める存在」だとし、自己への気づき=自己了解によって、人は、自らの「物語」を再構成し、どのように生きるべきなのかが見えてくる、とする。五人は「治療者の主観」を重視している、という共通性も発見している。そして、日本人論として捉えられることが多い彼らの思想を、他の文化圏にも適用できる治療原理である、とする。ただ、世にひっそりと「棲む」思索者たちについて論じるのに、本書は、「承認」という観点に重きを置きすぎているのではないか、と私は考えてしまった。それは、「現代の日本」という文脈において、特に目立って見えるものであろう。

一章から五章までについては、読者が、自らの関心の高いものから順に読めばよいと思う。若年時の読書体験と同様に、治療者になる以前の人生経験や、他者や自己への観察や洞察が、思考や思想を形成するには重要なのだ(病院や診察室は、「本」にも似て、閉じられた世界である、と私は思う)が、その点についても山竹は承知しているようで、一章で森田正馬を論じるに当たっては、その生涯を生い立ちより辿ることから始めている。八十年前に亡くなっている森田と違い、同時代人の伝記的事実―特に十代までの事柄―は、明らかになっていないことが多いのかもしれないが、他の四人についても、その全体像を、ほぼ過不足なく描くことに成功している。

この本で論じられた五人から、適宜、つまみ食いのように学んできた私などには、各人の思想を家族的類似性のもとに切り出してみせた本書は、噛み応えがあり、読後、頭の中が整理され、満足感を得ることができた。が、どうにも消化しきれない、残余のようなものが、ある。それは、本書で「証明できない仮説」だとされる、木村敏の「生命論」的な思想である。フィクションというか、楳図かずお『14歳』のような創作として提示するしかないものだ、と私は思う。
この記事の中でご紹介した本
こころの病に挑んだ知の巨人 ─森田正馬・土居健郎・河合隼雄・木村敏・中井久夫/筑摩書房
こころの病に挑んだ知の巨人 ─森田正馬・土居健郎・河合隼雄・木村敏・中井久夫
著 者:山竹 伸二
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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