メルロ=ポンティ哲学者事典 第一巻 東洋と哲学・哲学の創始者たち・キリスト教と哲学 書評|モーリス・メルロ=ポンティ(白水社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月24日 / 新聞掲載日:2018年3月23日(第3232号)

西洋哲学史の広がりと深さ 
充実した内容に心憎いほどの工夫を凝らす

メルロ=ポンティ哲学者事典 第一巻 東洋と哲学・哲学の創始者たち・キリスト教と哲学
著 者:モーリス・メルロ=ポンティ
監修者:加賀野井 秀一、伊藤 泰雄、本郷 均、加國 尚志
出版社:白水社
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本書編集者の一人である加賀野井さんから本書の書評を依頼されて、気安く引き受けてしまったが、読み始めるや否や、学識も教養も乏しい私にとって恐れ多い仕事を引き受けたことがわかった。だが、だからこそこの機会に「哲学を勉強しよう」と謙虚にも(?)思い立ち、二ヶ月かけて本書を熟読し終えて「ああ、西洋哲学史とはこういうことだったのか」と感嘆したのだから、じつに哲学(研究)者の末席にも置けない輩である。とはいえ、居直ると、本書には現代日本の少なからぬ哲学(研究)者が「知らない」ことが詰まっているように思われる。あらためてフランスにおける哲学の広がりと深さを、全身の痛みをもって思い知らされた次第である。全体は三巻から成り、さらに別巻「現代の哲学」は元の事典にはなく、編集者がメルロ=ポンティの思想を受け継ぎながら付加したものであって、これだけでも一つの「現代哲学者事典」となるほど内容が充実している。しかも、本書はその全体構成に心憎いほどの工夫を凝らしている。


第一に、一ページ全体を占める写真を付した「大物」の哲学者たち五〇人(別巻除く)には多大なページを割いており、その内容は事典のレベルを超え、すぐれた学術論文と言えるほどの個性的で刺激的なものとなっている。主として現代フランス最高の知性が執筆しているが、書き振りには独特の「くせ」があり、すでに語りつくされた観のある「大物」たちを、あえて新鮮な切り口で料理しようとの気概が感じられる。かつて、どの事典がパスカルについて「そのどの企てにおいても卓越したアマチュアでしかなかった」と語り、ロックについて「いまなお、参照点としては役に立つものの、彼を研究する人はほとんどいない」と語ったであろうか。ヒュームについて「大陸の思想家たちからすれば厄介者でしかない」と語り、ヘーゲルについて「信じがたいほどに簡潔で、正確さに気を遣い、他のことには無関心な彼の文章」と語ったであろうか。


第二に、各項目のあとに翻訳者による懇切丁寧な解説が付されていて、その項目の執筆者紹介やわが国で手に入りやすい関連文献の列挙など、現代日本の読者との架け橋となっている。この部分は、項目の執筆者が熱していれば冷やし、冷えていれば熱しという具合に「温度調整」しており、そのバランス感覚はすばらしい。これも編集者のセンスのよさを浮き彫りにするものであろう。これだけではない。


第三に、件の「大物」に関連する五〇〇人を越える膨大な数の哲学者たち(あえて言えば、本書においては「小物」)を拾い上げ、さらにアインシュタインやマックス・ウェーバーなどの近隣諸領域の最高の知性も取り込んでいる。


そして、第四に(本来は第一なのだが)、まさに本書の「魂」を形成するメルロ=ポンティの言葉である。彼は、柔軟ではあるが譲れない方向を示す卓越した将軍であり、彼の哲学をそれほど評価していなかった私は、その偉大な統率力にあらためて感嘆した次第である。彼は、本書において、みずからの個性を貫くことがそのまま最も普遍的であることの最良の範例を示している。凝り固まった哲学を何よりも嫌ったその態度は、あらゆる優れた思考形態を受け入れる柔軟な基盤を提供している。それは、相対主義や複眼主義とは正反対の柔軟性であり、西洋哲学の伝統に連なる「統一的な知」を信じる過激な柔軟性である。挙げれば切りがないが、その宝の山からあえて二箇所を選び出してみる。「哲学は、ひとたびある種の思想にいわば「感染」すると、それをなかったことにすることはもはやできない。もっとよい発明をすることによって、その感染を治療しなければならないのだ」「具体性を求める哲学は、かってあったような苦労知らずの哲学ではない。それは経験のすぐそばに突き添い、それでいて、経験的なものにとらわれてはならず、経験の内側から経験を開示する存在的な記号を、一つ一つの経験の中で、復元しなければならない」。こうした部分を束ねれば、メルロ=ポンティの哲学および哲学史に関する豊かな見解が窺える一作品をなすであろう。


もちろん、これほど充実した事典であるが、数々の疑問や異論を挙げることはできる。古代においてだけ、ブッダや荘子など、東洋の哲学者(?)を四名挙げていることもメルロ=ポンティの柔軟性を現わすものであろうが、取って付けたような(かえって西洋中心主義を露呈する)印象を与えてしまう。また、「大物主義」は、そこに選ばれた哲学者と選ばれなかった哲学者との差異を際立たせる(その差異は行数にしてほぼ一〇〇倍前後である)。


なお、本書に関する疑問ではなく、本書を通じた疑問として、ぜひ言っておきたいが、これほど気を配った事典であるからこそ、なぜここに一人の日本人も登場してこないのか、明治以降のわが国の西洋哲学研究とはいったい何だったのか、という怨念にも似た問いが燻り続ける。さらに、あえて付加すれば、いったい本事典をわが国(日本語)で専門研究者以外の「誰が」利用するのだろうかと問いかけると、少々疑問が湧いてくるのである。


それはさておき、本書は日本語訳の完成が奇跡的とも言えるほどの偉業であって、この翻訳を企画し構成した加賀野井さん他三人の編集者の方々と、そのもとに結集した多くの翻訳者ならびに解説者の方々に、あらためて心からの敬意を表したい。
この記事の中でご紹介した本
メルロ=ポンティ哲学者事典 第一巻 東洋と哲学・哲学の創始者たち・キリスト教と哲学/白水社
メルロ=ポンティ哲学者事典 第一巻 東洋と哲学・哲学の創始者たち・キリスト教と哲学
著 者:モーリス・メルロ=ポンティ
監修者:加賀野井 秀一、伊藤 泰雄、本郷 均、加國 尚志
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
メルロ=ポンティ哲学者事典 第二巻 大いなる合理主義・主観性の発見/白水社
メルロ=ポンティ哲学者事典 第二巻 大いなる合理主義・主観性の発見
著 者:モーリス・メルロ=ポンティ
監修者:加賀野井 秀一、伊藤 泰雄、本郷 均、加國 尚志
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
メルロ=ポンティ哲学者事典 第三巻 歴史の発見・実存と弁証法・「外部」の哲学者たち/白水社
メルロ=ポンティ哲学者事典 第三巻 歴史の発見・実存と弁証法・「外部」の哲学者たち
著 者:モーリス・メルロ=ポンティ
監修者:加賀野井 秀一、伊藤 泰雄、本郷 均、加國 尚志
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
メルロ=ポンティ哲学者事典 別巻 現代の哲学・年表・総索引/白水社
メルロ=ポンティ哲学者事典 別巻 現代の哲学・年表・総索引
著 者:モーリス・メルロ=ポンティ
監修者:加賀野井 秀一、伊藤 泰雄、本郷 均、加國 尚志
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
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