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更新日:2018年3月30日 / 新聞掲載日:2018年3月30日(第3233号)

追悼 石牟礼道子

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第2回
〈と言うのです。〉/姜 信子

石牟礼さんを想えば、「あの年寄り」たちを思い起こすのです。水俣の椿の花咲く丘の上の大きな樹の下で、稚いものたちを慈しみ、鳥も獣も虫も魚も目に見えぬモノもすべての小さきものたちを愛おしむ、なつかしい村の年寄りたち。「あの年寄りたちは自分とはまるで生まれ替わりではなかったか」と石牟礼さんは書きます。年寄りたちに「ときどきひとみを合わせて寄り添う」稚いものたちは、「死んでゆく自分の生まれ替わりであるまいか」とも書いている。いま、私は、稚いものの心で、樹の下で生まれ替わり死に替わる命たちの声に耳を澄ましては、石牟礼さんを想うのです。

実を言えば、相対する石牟礼さんの眼差しはいつも私を越えて、私の背後に広がる遥かな時空を見ているように感じて、それはとても恐ろしかった。親しみを全身で表わすような幼子の無邪気さとは縁遠い私にとっては、その近づきがたい空恐ろしさこそが石牟礼さんとのひそかな絆でした。なにより、石牟礼さんと語り合えなかったこと、石牟礼さんが口ごもったこと、それこそが真に語りつぐべきこととして、石牟礼さんからひそかに受け取った重い約束でした。

たとえば、朝鮮にまつわること、代用教員時代に学校の男の先生たちが酒を飲むと演じて見せた朝鮮桃太郎の話、「ムカシ、ムカシ、アルトコロニ、オチイサント、オパアサンカ、オリマシタアリマス」、それを語る石牟礼さんの心に宿った文字の罪、コトバの罪、口の罪、存在する罪。あるいは、村のはずれのゴミ捨て場のような場所に住みついた朝鮮人たちのこと、(彼らは水俣の山を崩し、道を開いた労働力、新興財閥日本窒素の発展の最底辺の礎、もしくは人身御供)、そしてそこに暮らす朝鮮人の教え子の少女の眼の色の深さ、美しさを語るときの石牟礼さんの羞恥の念にまみれた心。

あまりに罪深くて、朝鮮の土などとても踏めません、と私にぽつりと言った石牟礼さんは、『苦海浄土』の「わが故郷と「会社」の歴史」の章では、『日本窒素肥料事業大観』をひもといて、朝鮮の漁村で強行された土地買収のことを記しています。「「人情風俗を異にする鮮人の土地買収」には「随分面倒」があったから、「警察官の立合いの下に行われた」とはどのようなことであろうか」と呟き、朝鮮窒素の大化学コンビナートを建設するために、まるでもともと無人の地であったかのように消された朝鮮の漁村・湖南里(現在の北朝鮮の興南)に想いを馳せて、「数々の湖南里の里が朝鮮でうしなわれ、そこにいた人びとの民族的呪詛が死に替わり死に替わりして生きつづけていることをわたくしは数多く知っている。この国の炭坑や、強制収容所やヒロシマやナガサキなどで。この列島の骨の、結節点の病の中に。そのような病いはまた、生まれくるわたくしの年月の中にある」と語っている。

水俣には、日本の近代には、その闇の底には、朝鮮の消えた村々が声もなく埋められている、その闇はきっと福島にもつづいている、このままならばきっと福島の先の先までゆきゆきて、滅びの闇へとゆき果てるのだろう。と、これは、罪びとのような心で朝鮮を語ろうとしては口ごもる石牟礼さんから、植民地の民の末裔たる私が受け取った無言の声、重い付託。

私もまた、消えた朝鮮の村々のかつての姿を『聞書水俣民衆史5 植民地は天国だった』で見たのです。村には大きなエノキの木が立っていた。神木です。この木も工場建設の為に伐り倒された。朝鮮の漁村の失われた神木の下でも、水俣の漁村の「あの年寄り」たちのように、朝鮮の「あの年寄り」たちが脈々と生き替わる小さな命たちのことを稚い者たちに語りかけていたことでしょう。私は遥かな時空を超えてその声に耳を澄まします。ばっさり切り捨てられた声たちの、歴史から消されるばかりの空白の記憶があることを、ぎりぎりと胸に刻む。苦海が浄土であると同時に、植民地が天国でもあるような、われらの生き直されるべき、さもなくば滅ぶべきこの世を、明日の稚きものたちのために私たちはなんとしても生き抜かねばなりますまい。

石牟礼さんを想う私は、気がつけばしきりにこんな韓国の歌を口ずさんでいました。日本語に訳せば「と言うのです」という奇妙なタイトルの歌。



吹雪の興南埠頭には行けなかったけれど/この歌だけはよく知っているのは、僕のお父さんのレパートリーだから/(中略)/残された人生、あとどれだけ残っているのかと言いながら/涙で夜を明かした僕のお父さん/(中略)/死ぬ前にきっと/一度だけでも行けるのならば/と言うのです



「僕のお父さん」とは、朝鮮窒素の興南工場で、水俣から来た工員の下で牛馬のように働いて、解放後の南北分断の混乱の中で家族と生き別れ、帰るべき故郷を失くした人でした。この歌は、「……と言うのです」と、朝鮮の無名の民の小さな声にじっと耳を澄まして語り伝える歌でした。この歌を私は石牟礼さんへと歌っているようなのでした。(きょう・のぶこ=作家)
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