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更新日:2018年3月30日 / 新聞掲載日:2018年3月30日(第3233号)

追悼 石牟礼道子

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第4回
石牟礼さんという存在/福元 満治

石牟礼さんと初めてお会いしたのは、一九七〇年である。しかしどこでお会いしたのか記憶にない。その頃私は二二歳で、まだ大学に籍はあった。石牟礼さんも四一、二歳である。その後の数年間は、水俣のご自宅に伺いご母堂手作りの鯖の混ぜご飯を頂いたり、天草の講演会にアテンドしたり『西南役伝説』の取材で養老院の百歳近いおばあさんの聞き取りに付き添ったり、筑豊文庫の上野英信さんのお宅にも連れていってもらった。

ずいぶんいろんな所にご一緒したのに、その時々に何を話したのか、情けないことに細かい記憶がない。記憶がないと言うか、会話そのものが多分「語り」のようなもので、私はただ夢心地で聴いていたのだろう。最後に石牟礼さんにお会いした時も、パーキンソン病の震えの中で、常に弦楽器の演奏が聞こえてくると話された。その演奏のことを「幻楽始終奏団」と名付けられていたが、なんだか石牟礼さんの魂が蝶のようにひらひらと飛びまわるのが視えるようで、こちらも夢とうつつの境に迷い込んだような気になった。

石牟礼さんと親しくさせて頂いたのは、水俣病問題との関わりからである。一九六八年水俣病が公害認定され、翌年に患者と家族が原因企業チッソに対して損害賠償請求の訴訟を起こすことになった。その裁判闘争を支えるために、水俣では、「水俣病対策市民会議」が発足し、熊本では「水俣病を告発する会」ができた。その当時、私は熊本大学の学生で、報道で水俣病のことは知っていたのだが、前年まで全国に吹き荒れた全共闘運動のなかに身を投じており、熊本大学の文系のリーダーの一人だった。実はそれまではヨット部の副将で、土日と休みの日には天草の海の上、一日中レースの練習ばかりをやっている能天気な学生だった。

それがちょっとしたいきさつで運動に関わり続けたものの、当時流布した学生活動家の紋切り型のアジテーションや浮薄な革命幻想がしっくりこない人間だった。あのムーブメントは、高度経済成長へとむかう市民社会の中で、それぞれの個人が代替可能で均質的な存在として社会化されることへの、無意識の抵抗運動だったのだと思っている。運動が政治的に先鋭化し疲弊して行くと大半の学生たちは、当然のことながら就職という社会の第一ゲートを前に、旗をたたんで卒業していったが、私自身は、宙ぶらりんなまま無為の日々を過ごしていた。 

そんな頃だった、渡辺京二さんに会ったのは。最初の出会いは、渡辺さんに一喝されることで始まった。七〇年の春のことである。七〇年の五月二五日に、東京の旧厚生省で、一任派と呼ばれる水俣病の患者グループが補償処理委員会によって死者四百万円で葬られようとしていた。「水俣病を告発する会」は、それを「全存在をかけて実力で阻止する」ことを決め、その東京行動のための会議が開かれることになり、誘われて私も出席したのである。

白熱する議論を聞いていた私は、余計なことを口走ってしまった。「全存在をかけるなんて、できませんよ」と。すると間髪を入れず怒鳴り声が返ってきた「小賢しいことを言うな! これは浪花節だ!」。その声の主が、思想史家として高い評価を受けることになる渡辺京二さんだと知るのは、まだ後のことだが、「何だ、このおっさん」と思いつつ、その言葉は、私の脳裏に鮮明に刻み付けられた。多分渡辺さんは、私のことを「学生運動で小理屈を覚えた阿呆」と思われたはずで、石牟礼さんが『苦海浄土』で描いた患者さんの世界を、水俣病闘争としてディレクションしたのが渡辺さんだった。

行きがかり上ではあったが、結果として私は東京行動に参加することになり、旧厚生省の一室を占拠するグループの一員となり逮捕された。

その後、一九七三年の第一次水俣病訴訟が結審するまでの三年間は、チッソの一株運動やチッソ東京本社を占拠しての自主交渉闘争などに関わり、水俣で漁師をする患者家族宅に住み込み、漁の手伝いや畑仕事などもすることになった。

私は、石牟礼さんと渡辺さんに出会うことにより、学生運動や市民運動では掬いとれない世界があることを知った。自分の青年期の一時期だが、水俣病の患者さんを通して漁民の豊かな世界に触れることも出来た。石牟礼文学の「生類」とも交感するような独自性については、多くの人が語っているが、私が起こした出版社でも『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』を出すことができた。水俣病問題について私の言いたいことはひとつだけである。それは、石牟礼道子という存在がなければ、水俣病問題は他の社会問題同様「損害賠償請求事件にとどまったのではないか」ということである。高度工業化社会による「被害」をこえて在る〈水俣〉の豊饒で黙示録的世界は、石牟礼道子という存在がなければ開示されなかったのではないか。少なくとも私にとって、石牟礼道子、渡辺京二という二人の表現者、思想家の存在がなければ、この世界はひどく貧しく息苦しいものとなったといえる。(ふくもと・みつじ=石風社代表)
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