戦争の長い影と向き合って 中村 江里著 戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年4月3日 / 新聞掲載日:2018年3月30日(第3233号)

戦争の長い影と向き合って
中村 江里著 戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症

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私が歴史教育を受けた1990年代~2000年代初頭は、戦後補償を求める市民運動が活発であり、各地に残されたアジア・太平洋戦争の傷跡が可視化されてきた時代であった。また、1995年の阪神・淡路大震災以降、日本社会でトラウマや心的外傷後ストレス障害(PTSD)への関心が高まり、ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』(中井久夫訳、みすず書房、1996年)をはじめ海外のトラウマ研究が翻訳書の形で次々と刊行された時期でもあった。さらに、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロへの報復として始まったアフガニスタン・イラク戦争は、戦場の住民と兵士たちに破壊的な被害をもたらした。私がトラウマという観点から近現代の戦争を考えてみたいと思うようになったのは、こうした時代状況の中でのことであった。

戦争が人間の心身に及ぼす長期的な影響には高校時代から関心があった。中でも印象に残っているのが、中村梧郎氏の写真集『戦場の枯葉剤』(岩波書店、1995年)で見た、化学兵器の後遺症に苦しみながら孤独に生活するアメリカや韓国のヴェトナム帰還兵の姿だった。ヴェトナムの人々にとっては加害者であり、自らの心身に被害も負っている彼らの姿は、その後私が戦争と人間について考察する上でも、ずっと刺さって抜けない棘のようなものであり続けた。
大学時代は、日本史研究者としては珍しい経歴かもしれないが、西洋史(ドイツ史)のゼミで学んだ。ホロコーストに関する文献を読み進める中で、イタリアのユダヤ人作家プリーモ・レーヴィの一連の著作と出会い、生存者が戦争体験について語ることの難しさや戦後抱えた深い孤独感についてもっと知りたいと、トラウマに関する研究書を貪るように読むようになった。

今から振り返ってみればこのように整理できるが、大学で卒論を書く段階では、心理学や精神医学で議論されてきたトラウマ研究と歴史研究が一体どのように結びつくのか、皆目見当がつかない状況であった。そのため、比較的歴史研究の蓄積があった第一次世界大戦期の英国軍の戦争神経症についての研究のレビューを行うことになった。リサーチを進めていく中で、イギリスでは戦争神経症が歴史研究のみならず文学や映画においても非常に重要なモチーフになっていることを知った。その中で、アジア・太平洋戦争期の日本軍でも同じような現象はなかったのだろうか、という疑問を抱き、調べてみると歴史研究はまだほとんど行われていないことがわかった。なぜ戦争神経症の兵士は、戦後長らく日本社会の公的な戦争の記憶から排除されてきたのか。この問いに答えるために、大学院からは日本近現代史に専攻を変え、研究を始めることとなった。

大学院での研究は、史料上の制約が大きく、十年近くの歳月がかかった。まず、敗戦時に軍関係の公文書が焼却されたために、断片的な記録しか残っていない。また、戦時中はもとより戦後も根強くあった精神疾患に対する偏見や戦争体験者の高齢化のために、当事者への聞き取りも困難であった。こうした中で注目したのが、陸軍病院や民間の精神病院に残された医療記録であった。これらの記録には、当時の医学的解釈や軍隊・社会の状況に加えて、自ら記録を残すことがほとんどなかった患者たちの言動が残されていた。

こうして様々な軍事・医療アーカイブズを渉猟して、ようやく昨年12月に『戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症』を上梓することができた。研究を進めていく過程で、当初は聞き取りをすることも難しいだろうと思っていた当事者・ご遺族や、治療に関わった医療関係者の方々と出会う僥倖にも恵まれた。本書の余白には、数多くの語られなかったトラウマがあると思われるが、恐怖を言語化することが憚られた社会を事例に、トラウマを負った人々への理解を阻害/促進する要因を考える一助としていただければ幸いである。
この記事の中でご紹介した本
戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症/吉川弘文館
戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症
著 者:中村 江里
出版社:吉川弘文館
以下のオンライン書店でご購入できます
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