村上春樹のフィクション 書評|西田谷 洋(ひつじ書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月31日 / 新聞掲載日:2018年3月30日(第3233号)

壮大な思考実験の書 
この上もなく挑戦的な一冊

村上春樹のフィクション
著 者:西田谷 洋
出版社:ひつじ書房
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五百ページに達する浩瀚な書物である。本書は、本論が「修辞的構成」「幻想の物語」「視覚性と物語」「倫理とイデオロギー」の全四部二十六章から成る、村上春樹及び村上関連の総合的な作品研究である。取り上げられている作品は、表題に挙がるものだけでも四十編を数え、実際にはその倍を優に超えるだろう。一冊の本としては、分量においても対象作品の数においても、従来の村上論の中で随一である。それだけでなく本書は、他の村上研究とは異なる次のような特徴を備えている。

第一に、村上を論じる際に当然俎上に載る小説のみならず、あまり触れられないエッセー・評論・紀行・翻訳などをも横断的に取り上げている。多数の短編、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『アフターダーク』など幾つかの長編、『またたび浴びたタマ』『うさぎおいしーフランス人』などの超短編、『ふわふわ』などの絵本をはじめ、『辺境・近境』などの紀行を写真との絡みで論じ、『職業としての小説家』『若い読者のための短編小説案内』などの評論や、オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』、オールズバーグの『西風号の遭難』といった翻訳作品も対象とする。その意味で文字通り総合的であるが、翻訳も創作も全く同列に分析の対象とするのには、少々引っ掛かるところもある。

第二に、村上関連の作品として、山川直人『パン屋襲撃』『100%の女の子』などの映画、新海誠の数編のアニメーション映画を村上との関連から追う。新海『星を追う子ども』には、『ノルウェイの森』の死と生をめぐる言葉が響いているという。山川作品の方は、原作との関わりよりも字幕や合成などの手法や、現勢性と潜勢性などの独自の様式が追究される。特に新海作品への論及は、村上の影響圏の広がりを実証するものとして貴重である。

第三に、国語教材としての村上作品、あるいは国語教育論における村上文学という観点からも論じられている。「鏡」「レキシントンの幽霊」「バースデイ・ガール」などが追究され、指導書の記述や国語教育分野の論文が検証されるほか、田中実の理論に対する批判的言及も随所に見られる。国語教育に携わる読者にも有益だろう。国語教育以外にも、対象となっている作品に関するこれまでの研究論文を網羅的に参照しており、現段階における村上研究史の鳥瞰としても大きく参考になる便利な本である。

第四に、これが本書の最大の特徴と言うべきだが、認知言語学・認知意味論・関連性理論や言語哲学に学んだ著者の「認知物語論」を基盤とした、言語表現の分析とそれに基づく解釈による、初めての本格的な村上のテクスト研究である。「事象を構築するテクストの表現と合成パターンは『記号構造の集合体』である構文として、具体的な集合体は物語表現を構成し、スキーマ的な集合体は構文スキーマとなる」。この文を含む「蛍」論では、「蛍」に即して「越境」や「容器」のスキーマ論が展開される。コンストラクション、プロトタイプ、フレームなどを含む認知系の用語でポピュラーな作品が論じられるのは、村上を離れてもごく稀である。視点・焦点化・スキャニングなどの語りの分析や、自由間接話法・エコー発話などの文体論も併せて、この方面の術語系と応用例を学ぶために本書は最適だが、村上論としては異色で、好悪の別れるところかも知れない。それ以外にも、フォルマリズム以来の文芸理論や、ホワイト、ハーバマス、デリダらの所説も縦横に援用され、現代の理論体系を果敢に横断して論述は展開する。

ただし、言語技術的な追究に重点が置かれるため、分析・解釈は次々と積み重ねられる反面、なぜ他ではなく村上なのか、という評価についてはその分、物足りない印象もなしとしない。だが、贅言の前に、まずはこの壮大な思考実験の書を繙いてみよう。本書は、文芸研究における理論的な前線を構築する、この上もなく挑戦的な一冊と言える。
この記事の中でご紹介した本
村上春樹のフィクション/ひつじ書房
村上春樹のフィクション
著 者:西田谷 洋
出版社:ひつじ書房
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