黄金時代 書評|ケネス・グレアム(翰林書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月31日 / 新聞掲載日:2018年3月30日(第3233号)

子どもを語り手に描かれる日常 
訳者による充実の注と解題も見逃せない

黄金時代
著 者:ケネス・グレアム
出版社:翰林書房
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黄金時代(ケネス・グレアム)翰林書房
黄金時代
ケネス・グレアム
翰林書房
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ケネス・グレアムといえば、ファンタジー作品の『たのしい川べ』(以下『川べ』)を思いだす人が多いだろう。児童書として出版された『川べ』は、複数の訳者や挿絵の版もあり、日本でもよく知られている。

同じ作者の『黄金時代』は、一八九一年から九五年にかけて雑誌に掲載された短編を集めたもの。子どもの「ぼく」を語り手とし、きょうだいの日常を描いている。その描写に時折、微妙なバランスで子ども時代を振り返るおとな(オリンピアン)の視点も加えられている。

原作の全訳に訳注や作者の年譜、解題を加えた本書は、一般読者だけでなく、研究者にも興味深いものだ。なかでも解題は、評者の出番がなくなるほどの充実ぶりである。

読者によっては、注を読むのを面倒に感じるだろう。だが本書の注を無視すると、大きなものを取り逃がすかもしれない。

十一章の「アルゴ船の遠征隊」の場合。これは、末っ子のハロルドが豚用の飼い葉おけをアルゴ船に見立てて遊んでいると、長兄が農夫のボートを使った川での航海を提案する。そこでぼくたちはボートを無断借用し、小川を「オリノコ川」に見立て、上流へと冒険に向かうというもの。

作者グレアムが川へこだわりを持っていたことはこの短編にも出ている。また子どもたちが「見立て」と「ごっこ」遊びに習熟していることもわかる。

注や解題で訳者も触れているが、こうした遊び方は、アーサー・ランサムが描いた、休暇中の子どもたちと共通する。ただし、ランサム作品の子どもたちが役割に徹し、持続性のある遊び方をするのにたいし、グレアムの子どもたちは、より年少だからか、次々に新しい遊びに入っていく。また文中には神話やアーサー王伝承、童謡など、幅広い言及があるし、それらが遊びのヒントにもなっている。

十一章の注ではギリシア神話の各登場人物の説明に加え、文中の「信頼とは成長の遅い木である」といった、日本でなじみの薄いことわざの説明、さらに当時の子どもがオリノコ川に抱いていたイメージなどが補われている。

十二章「ローマへの道」は、ローマ行きを夢みていた「ぼく」が、風景を描いていた画家と会話を楽しむ話だが、「エンタイア・ビール」や「商人用の部屋」、「ネフェロなんとか」といった、わかりにくいものやイメージが浮かびにくいものを、注が助けてくれる。

なかには関連情報が挿入されることもある。八章「収穫のとき」でのフォーンの注では、『川べ』に登場する牧神パンが、フォーンと同様、半人半獣であることに触れている。

『黄金時代』は、「ぼく」が風に導かれるように戸外を走り回り、春の息吹きを体いっぱいに感じる章に始まり、長兄が寄宿学校に入ることできょうだいにも変化が訪れる章で終わっている。きょうだい間のやりとりは、それぞれの性格をはっきり見せているが、全体として、出来事を事細かに描写するというよりは、懐古的にさらっと伝えている印象を受ける。ただし子どもの本音や、葛藤する心などは描かれている。

残念ながら、人種的、性別的な偏見も顔をのぞかせている。とりわけ顕著なのが、女の子への軽視と蔑視である。これが気になる読者は、F・H・バーネットの自伝『わたしのよく知っている子ども』で見えてくる女の子の内面と読み比べてはどうだろうか(同書も同じ二人の訳書である)。

本書は、グレアム作品を味わえる読み物だが、同時に、注と解題を通して児童文学や文化に関連した訳者両名の幅広い知識をも、存分に楽しむことのできる本である。(三宅興子・松下宏子訳)
この記事の中でご紹介した本
黄金時代/翰林書房
黄金時代
著 者:ケネス・グレアム
出版社:翰林書房
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