角幡唯介インタビュー 一生に一度の旅 極夜のカオスは自分の内面でもあった 『極夜行』(文藝春秋)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年4月6日 / 新聞掲載日:2018年4月6日(第3234号)

角幡唯介インタビュー
一生に一度の旅 極夜のカオスは自分の内面でもあった
『極夜行』(文藝春秋)刊行を機に

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第5回
風景の構成要素と強くつながるから、美しい

――「風景が美しく見えるのは、私が単なる観光客としてこの場にいるからではなく、生きようとする一人の人間としてそこにいるからだった」「このような壮絶なまでに美しい風景を目にしたことがある人間は、歴史上、何人いるのだろうか」とありました。氷、星、月、犬との関係が、直接、命と切り結ばれている。ここで書かれている「美しい光景」とは、どういう美しさなのでしょうか。
角幡 
 見た目だけではなくて、月とか星とか寒さとか、風景の構成要素と自分が強くつながっている状態です。つながっているから、月や風景の美しさがさらにリアルになる。身体的に美しさが感じられる。

――「ある意味、ぞくぞくした。この永続する不安感は探検がうまくいっている証拠なのである」とは、死に直結する不安と、極夜を体感する喜びを天秤にかける、かなり複雑な心境です。探検中の精神状態は実際、どうだったのでしょうか。

極夜の月の下で、麝香牛ジャコウウシもどきの岩「麝香石ジャコウイシ」を延々と追っていく姿は、真剣なだけに狂気がちらつくシーンでした。
角幡 
 単純に満月で明るいと気分は昂揚して何でもうまくいく気がするし、月が消えて暗いと気分が沈んで落ち込みます。麝香牛を追っていた時は気分が高揚していたので、もっと先へ、先へという気持ちが強かったです。

――そして、麝香牛を追う内に、「極夜の内院」と角幡さんが呼ぶ、極夜の奥の奥へ入り込んでしまうことになる。そのとき、角幡さんは遠い過去の人々の目になっている気がしました。
角幡 
 過去の人間と現代の人間との違いは、自然とのつながりとの強弱にあると思います。過去の人間にとって自然は、おのれを生かしもするし殺しもする、生存に関わる本質的存在として機能していた。でも現代人にとって自然はそうした本質的存在ではなくなった。時々、海水浴やハイキングで親しむだけの、利用可能な時に享受するレジャーの対象でしかない。極夜探検のときの僕の自然を見つめる目が、過去の遠い人々の目と同じだったとしたら、極夜世界という自然が僕にとって、生存と密接に関わった本質的存在になっていたのだと思います。

――出発前から極夜の影響で眠れなくなったり、自然環境に影響されて躁鬱になっているように見えたり。書いているのは探検を終えた角幡さんなので、探検中の心理状態からは少なからず乖離しているとは思いますが……。もっとも、極夜の狂乱に支配されたと思うときはいつですか。
角幡 
 ダラス湾での麝香牛狩りに失敗して、戻る途中です。もう犬を食うしかないとあきらめていた頃ですね。本当に暗い中、ヘッデンで歩くのが嫌でした。

――ウヤミリックは、狼が近づいても吠えず、角幡さんがふと振り返ったときに、「犬が二頭に増えている」と思ったシーンは、ゾクッとしました。そして、他の動物ならば喜んで食すのに、けして満足に餌をもらえていない状況にもかかわらず、狼肉をなかなか食べようとしなかった、犬の本能を目の当たりにする瞬間も、犯してはならない禁域に踏み入るようで怖いと思いました。角幡さんは暴風など、直接的な命の危険の恐怖だけでなく、今回の旅で恐ろしさを感じたことはあったでしょうか。
角幡 
 麝香牛をおいかけて極夜世界の奥深くに入り込んだ時、底なし沼に引きずり込まれているような感覚がしてゾッとしましたね。極夜の暗さ自体が怖いなとそのときはじめて思いました。
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この記事の中でご紹介した本
極夜行/文藝春秋
極夜行
著 者:角幡 唯介
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
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