差別は文体の乱調にあり 森友学園と「スリーパー・セル」発言|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

論潮
2018年4月9日

差別は文体の乱調にあり
森友学園と「スリーパー・セル」発言

このエントリーをはてなブックマークに追加
朝日新聞が森友学園の決済文書の改竄を報道した。週刊誌でも連日特集が組まれている(「安倍首相が怯える財務省の逆襲」『週刊朝日』3/30ほか)。この手の問題については次のような認識をもつことが重要だ。「資本主義に陰謀は確かに存在するが、〔…〕陰謀はその働きをより深いレベルの構造によって支えられることで初めて可能になる」(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』堀之内出版、2月)。たとえ、トップの首をすげ替えても、事態が変わるわけではない。「悪習は構造から生じ、そして構造が残存する限り悪習が自らを再生産していく」のだ。

森友学園の問題は、国有地を民間に引き払う新自由主義の論理によって支えられた陰謀だ。また、新自由主義的な官僚制批判の悪しき帰結ともいえる。政治主導を目指した民主党政権、橋下徹の公務員バッシング、そして安倍政権の内閣人事局によるコントロール、といったものの帰結だ。だが、今回の決済文書の改竄は異次元の大問題だ、と騒がれているが、はたしてそうか。

フィッシャーによれば、官僚は「自分自身で何も決断でき」ず、「(大文字の他者によって)つねに・すでに下されている決断を参照することしか許されていない」。「大文字の他者の意向の解釈に努める」主体だという。官僚制は、住民の生活、安全、衛生や経済といった、フーコーでいう「統治性」を差配する政治集団で、中国のほか、西欧の絶対君主制などの中央集権国家に存在してきた。しかし、君主の恣意的な決定にしたがう「家産官僚制」(ヴェーバー)にたいして、近代官僚制は文書主義や法の形式的運用といった「合理性」を徹底することで区別できるとされてきた。だが、いずれの官僚制も「大文字の他者の意向の解釈に努める」主体であることに変わりはない。アーレントが指摘するように近代官僚制が「専制の遺産」だとしたら、「大文字の他者の意向」次第で文書主義をすてることなどなんら不思議ではない。いうまでもなく、「大文字の他者の意向の解釈」とは「忖度」そのものだ。

先日、ティラーソン国務長官の解任が、本人に通達される前に、トランプ大統領のTwitterで発表された。星野太がレトリックの観点から興味深い指摘をしている。トランプのツイートには「独断的な断定、その敷衍、そして最後にひと言「Bad!」のような言葉で締めくくる」といったパターンがよく見られるが、このレトリックには「崇高のエッセンスが技術的につまっている」という(星野太×佐藤雄一「超越性、文体、メディウム」『現代詩手帖』3月)。『崇高の修辞学』(星野太、月曜社)は修辞学にとどまらない言語の根底的な修辞性をロンギノスの『崇高論』に見出しているが、詳細は措く。簡単に紹介すると、ロンギノスにおいて「崇高」は、聴衆を熱狂や陶酔にみちびき、傑出し卓越したロゴスを示すことで、語り手の偉大さに永遠の名声を与えるものだ。そして、「崇高」は、言葉の順序を入れ替える「倒置法」や、対象のある側面を強調する「誇張法」といったレトリックによって生み出される。しかし、「崇高の修辞学の悪しき帰結」としてトランプが登場したというわけだ。

トランプの発言がいかに論理的に破綻しているか、しばしば指摘される。そして、それは愚かなポピュリズムの象徴だとみなされる。しかし、逆に考えれば、「崇高」をうみだす「文体の乱調」が、論理の破綻にみえるのではないか。事実を正しくとらえ、論理を展開するのではなく、事実のある側面を誇張し、結論を飛躍させること。トランプが「文体の乱調」をつうじて怒りや憎悪といったヘイトを支持者らと共有するのだとしたら、論理の稚拙さばかりを指摘してすむ話ではない。これは文体=文学の問題だ。

橋下徹の公務員バッシングが熱狂を集めたのも、句読点の位置まで計算された「霞ヶ関文学」とは対照的な、独断と誇張に満ちたTwitterの文体ゆえではないか。ではこの国の首相は、というと、あまり得意ではないようだ。「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」(2/6)というFacebookのコメントも、いまひとつ「崇高」に欠ける。それもそのはず、安倍晋三が得意とするのは、「誇張法」や「倒置法」ではなく、「黙説法」だからだ。かつてNHKの上層部を呼び出し、「勘ぐれ!」と番組の改変を迫ったことは知られている。「黙説法」はあえて語らないことで、そのまま語る以上の印象を相手にあたえる。しかし、この場合「黙説法」は、自らの意向を「忖度」させて相手を従わせるいっぽうで、具体的な指示がないために責任回避できるレトリックとして悪用されている。もうひとつ例を引くなら、国政に関与できないという憲法上の規定から、高齢による公務の困難さを語りつつも、しかし「退位」という言葉自体は一言も使わずに、「お気持ち」を表明した天皇の「おことば」も高度に洗練された「黙説法」だった。結果、多くの国民が「忖度」し、特例法が制定された。

潮匡人が三浦瑠璃の「スリーパー・セル」発言を擁護している(「「スリーパー・セル」とは何者なのか」『Voice』4月)。テレビ番組にコメンテーターとして出演した三浦は次のように発言し、在日朝鮮人への差別だと批判された。「実際に戦争がはじまったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されてもスリーパー・セルと言われて、指導者が殺されたのがわかったらもう一切外部との連絡を絶って都市で動き始める〔…〕テロリスト分子がいるわけです。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも、今結構大阪ヤバいと言われていて……」

厳しい警備体制が敷かれるG20サミットの開催が先ごろ決まった大阪がなぜ「ヤバい」のか。批判に対して三浦は「私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います」と反論している。しかし、差別主義者はしばしば文体を乱調させる。三浦の発言もまた「黙説法」だ。「ヤバい」「~と言われていて」というあいまいな表現で、批判をかわす逃げ道を残しながら、あからさまに語らないことでよりいっそう差別的な印象をかもしだすわけだ。

批判を受けて三浦は安全保障の議論を展開している(「朝鮮半島をめぐるグレートゲーム」blog山猫日記、2/12)。しかし、発言の根拠となる情報源は「政治家や官僚との勉強会」や「非公表と前提とする有識者の会合」であることを理由に明らかにされない。ここでいう「機密情報」は、確固とした証拠があるように見せかけることで、差別につきものの「事実の誇張」や「独断的な断定」を覆い隠すための、お手軽な言葉だ。保守系雑誌に掲載される安全保障の議論には、こうした技術を駆使した中国や朝鮮への差別的言説がしばしば見られる。また、三浦は論拠として英国紙デイリー・メールのネット記事をあげているが、Wikipediaでさえ信憑性に欠けるとしてデイリー・メールからの引用を禁止しているのだった。「文体の乱調」は論理の破綻と紙一重だ。三浦は整合性を持たせようとして失敗したといえる。

森友学園問題で、決済文書中の「本件の特殊性」が被差別部落問題のことだというデマが拡散されたことは、この意味で象徴的だ。一部報道によれば、首相秘書官が「〈特殊性〉は人権問題に配慮してそう書いた」という情報を流し、事態の沈静化をはかったという(「安倍首相夫妻の犯罪」『週刊文春』3/22)。修辞性を極力排除した「霞ヶ関文学」に「黙説法」をほのめかすこと。差別問題を「忖度」させ、差別する享楽を共有すること。密かに語られることで差別そのものが再生産されること。このデマを「黙説法」で語った知識人はなんら責任が問われないこと。この国では「黙説法」は、差別をふくめたあらゆる権力の階層を維持するために悪用されている。撃たねばならないのは、レトリックがうみだすこの政治性なのだ。
2018年4月6日 新聞掲載(第3234号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
綿野 恵太 氏の関連記事
論潮のその他の記事
論潮をもっと見る >
社会・政治 > 日本の政治 > 森友学園問題関連記事
森友学園問題の関連記事をもっと見る >