ボブ・ディラン、歌の力 ボブ・ディランの音楽・詩・パフォーマンス|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年11月18日 / 新聞掲載日:2016年11月18日(第3165号)

ボブ・ディラン、歌の力
ボブ・ディランの音楽・詩・パフォーマンス

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『ブロンド・オン・ブロンド』
スウェーデン・アカデミーは十月一三日、二〇一六年度のノーベル文学賞を、ボブ・ディラン氏(米国/七五歳)に授与すると発表した。授賞理由は、「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を生み出した功績による」。シンガーソングライターがノーベル文学賞を受賞するのは初となる。小紙ではこの報を受け、十二月一〇日に行われる授与式を前にノーベル文学賞受賞記念の対談を企画。ボブ・ディランの大ファンで『ディランを語ろう』(小学館)の共著もある漫画家の浦沢直樹氏と、『ボブ・ディラン全詩集1962―2001』(SBクリエイティブ)の全篇新訳を手掛けたフォークシンガーの中川五郎氏に対談をお願いした。(編集部)


“ボブ・ディラン芸術”とノーベル文学賞

浦沢
今回のノーベル文学賞が画期的なのは、今まではほぼ印刷された文章が文学だったのが、ディランが受賞したことによって、口から発せられた音ということが文学になるんだろうなという感じがしますよね。
中川
そうですね。今回ボブ・ディランがノーベル文学賞に選ばれて、そしてボブ・ディランを選んだスウェーデン・アカデミーの人たちが、ディランのどこが凄いかを正しく認識していて、ディランの言葉というのは耳で聴いて楽しむものだと、声に出す文学だということを認めている。もともと文学や詩というものは、活字で本になって届けられる以前に言葉なんだと。僕はそれは素晴らしいと思うし、よく分かっているなと。こんなに理解が進んでいるのかと思いました。
浦沢
ポエトリー・リーディング、吟遊詩人というか。
中川
それこそ古代ギリシアに竪琴を弾いて歌うようなかたちで始まったわけだから、活字の文学というのはうんと遅れて出てきたと僕は思うんです。
浦沢
そうですよね。伝達方法としてはあとになりますよね。口承という、口から発せられた音で伝承していくものということの、いわゆる基本に立ち返ったという感じがしますよね。
「ジョアンナのヴィジョン」(『ブロンド・オン・ブロンド』収録)のディランの弾き語りをライブ・ヴァージョンで聴いていると空間感が分かるんですね。

六六年のライブでは割と大きいホールで一人で立ってギターで歌っているんですけど、「ジョアンナのヴィジョン」の七、八分もある曲の長い歌詞を、彼は完全にそらで覚えていて、それを歌っているときに会場を埋め尽くした観客が息を詰めてシーンとディランが紡いでいく言葉を聴いている、あの空間が素晴らしい感じがするんですよね。ディランの言葉が空間を埋めてイメージが立ち上がる。そこにひとつの一大絵巻というか映画の空間のようなものが出来上がっていくのを、観客がそれに身を任せて陶酔しているようなシーンとした空間で、終わると嵐のような拍手が起きる。あの瞬間、あれがディラン芸術の本来のあるかたちだろうかと。

だから六五年のニューポート・フェスティバルとか、六六年のツアーもそうですけど、き語りで後半エレクトリック・バンドが出てきたときにブーイングが上がる。あれは歌詞が聴き取りづらいということへの抗議だったんじゃないかなって。たんなるエレキ転向、ロックバンド転向という問題ではなく、彼のあの滔々たる流れのような歌詞の世界が聴き取れないじゃないかということへのブーイングだったんじゃないかな。
中川
言葉の魔力に没頭したいのが、ああいうバンドサウンドになってすごく邪魔されたというか、掻き消されたわけですからね。
浦沢
というぐらいに弾き語りのボブ・ディランが創りあげる世界観。きっと古代ギリシアでも、優れた吟遊詩人が道端でああいうものを始めて、人垣が出来てみんながそれをシーンと聴いていたという世界があったんだろうなという気がしますね。
読むな、聴け 肉体から発せられる言霊

中川
僕が知る限り、ボブ・ディランは登場してきて、一人でアコースティックギター一本で歌っている時代からロックバンドになり、そしていろんなことをやっても、彼が歌詞カードを見て歌っている場面というのは見たことがないんですね。
浦沢
ないですよね。
中川
何も見ないということは、つまり彼が自分にとっての言葉を、体の中、頭の中、自分の中に入れて活字に頼らないで肉体の中から出てくる言葉ということで表現している。
浦沢
本当ですよねえ。
中川
やっぱりそれって、歌詞カードを見て喋る言葉とはまったく違うと思うんですよね。だからボブ・ディランは自分の中に言葉が入らないと表現できない人だと思うんです。
浦沢
まあ、間違えたりもしますし。そのときそのときのライブで、思いつきで変えているときもありますし、忘れちゃったら別の言葉を紡いでいくということで。
中川
まあ適当にね、それは作った人だから(笑)。ボブ・ディランは自分のやっていることは活字、紙には頼っていないんだよということをものすごく意識している人だから、自分のアルバムに歌詞を絶対載せないというのも、紙の上に連なる文字の表現ではないということを意識しているんじゃないかなと思うんですよね。
浦沢
「読むな、聴け」というやつですね。
中川
そういうことですよね。だから目で理解するんじゃなくて、やはり聴いて感じてという。そのときに文学や詩が好きな人だったらやっぱりテキストがないと不安になるというか、歌詞を見てきちんと確かめて聴かないとちゃんと受けとめられないみたいな、そういう不自由さみたいなものがあるように思うんですけれど、ディランはそうじゃなくてとにかくこの言葉に体を預けろというか、そこにぶつかってこいというか、自分も肉体から発しているんだからと、やっているように思えて。
浦沢
それは落語だとか講談だとかは言葉がパフォーマンスとしてあるように、ああいうものに近いというか、ああいう解釈でいけばわかりやすいのかもしれませんよね。
中川
ディランの長い歌って講談みたいなところがありますよね。
浦沢
昔は割と装飾語がたくさんあったけど、最近のボブ・ディランの長い曲は装飾語というよりもなんかコラムみたいですよね。
中川
事件を伝える人というか、語り部みたいなところがありますよね。例えばここ一〇年ぐらいのディランの自分の作った曲を集めたアルバムを聴いていると、はっきり言って全部元があるんですよね。曲自体も使い古されたブルースだったり、フォークのどこかで聴いたメロディーで、どこがボブ・ディラン作曲なんだと思うような。オリジナリティということで言えば、新しい曲なんかメロディーは作ってなくて。
浦沢
「風に吹かれて」(『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録)だって、黒人霊歌の「ノー・モア・オークション・ブロック」ですしね。
中川
もともとディランは全部そうですけどね。
浦沢
黒人のブルースや黒人霊歌から来ているもの、あとイギリスのトラディショナルとか、いい曲だなというとそこに別の歌詞を当てはめちゃう。
中川
それこそ最初から現在まで六〇年近くディランが作っている歌というのは、極端な言い方をすると全部元があると僕は思うんですよね。でもディランはそれをうまくアレンジして自分のものにしているというか、そういう才能が誰よりもずば抜けてある。オリジナリティということで言えば、もしかして何もないところからすべてを創作するのが一番素晴らしいオリジナルだと言う人もいるかもしれないけど、僕は逆にいろんなすでにあったものを料理して取り入れたり切り捨てたり変化をつけながら、ひとつの今までになかった歌を作っていくというのがボブ・ディランの凄いところだと思うし、やはりノーベル文学賞が今回ディランを選んだというのは、そういうアメリカの歌の伝統の上に立って新しいものを作り続けているということをきちんと評価しているので、そういうことまでノーベル文学賞の人たちはわかっているのかと思って結構びっくりしたんですけどね。
プロテスト・ソングではない、本当のプロテスト

浦沢
若い頃、いわゆるアイ・ラヴ・ユー、ユー・ラヴ・ミーじゃない歌詞をロックンロールに当てはめるということをやったときには、とても先鋭的な人として見られていたと思うんですけど、現にそれでいわゆるロックの歌詞というものが根底から変わって、ジョン・レノンなんかも影響を受けて「HELP」とかあの辺の歌を作り出したりする。でも実はあの頃からすでにトラディショナルをちゃんと崇拝して、そのトラディショナルの上に乗っかっている人ですよね。
中川
そうですよね。だってデビューアルバムからしてほとんどトラディショナルのカバーだったし、自分のオリジナルは二曲しか入っていなくて、それだってそういう伝統的なスタイルに乗っかって作っている曲だから。
浦沢
最初から温故知新の人ですよね。
中川
そうですよね。まったく温故知新だなということは感じますよね。すごく詳しいし、勉強しているし、もう何でも知っているんじゃないですかね。
『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』
浦沢
『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(一九六三年)の(ジャケットにも写っている)スージー・ロトロさんは当時の彼女ですが、ディランは彼女の持っているレコードが目当てで彼女の家に転がり込んでいたらしいから(笑)。そのぐらい本当に研究熱心ですよね。大好きなんでしょうね。
中川
そうでしょうね。だから本当にミュージシャンという以上に研究家だなというところもすごく感じていて、誰よりもよく知っているんじゃないかなと。
浦沢
ラジオのDJをやったときも、よくまあこんな曲を引っ張り出してくるなみたいなね。こんな曲があったんだみたいなものをいろんなところから引っ張り出してくる。
中川
誰も知らないようなミュージシャンを知っていたり、そういう曲、音源を見つけてきて紹介したり。だからいわゆる音楽評論家のほうが知識があると言われるかもしれないけど、ディランの前に出ると、そういう人でも太刀打ちできない感じじゃないかなと思うんですよね。
浦沢
よく世にボブ・ディランを紹介せよなんてことを言われるんですけれども、まあ、伝わらないですね、面白さが。
中川
例えば僕はボブ・ディランの歌は全部元があるし、ゼロから作っているものなんてほとんどないんだよなんて言うと、その面白さ、やっていることのすごさが分からない人は、なんだ真似しているだけじゃないかとか盗作なんじゃないかとか、パクっているだけだというふうに判断をしちゃうんですよ。そういう人はすごくつまらない歌でも、今までになかったようなメロディーを作ったり歌詞の書き方をしてたりすると、そういうのが新しいと評価しちゃうんだけど、実はそんなのは別に新しくも面白くもない。まさに温故知新で今までにあったものをすごく研究して、そこから何か斬新なものを作り出すことのダイナミックな面白さみたいなのをディランはやっているんだけど、そこはやっぱり伝わりにくいかもしれないですよね。
浦沢
そうですよね。あと、よく言われるメッセージやプロテストみたいなものは、実はこの人はほとんどやってないですよね。たまたま六三年のあたりが公民権運動のところで、「風に吹かれて」や「時代は変わる」とか、あの辺の曲が、そういうものに使われてそういうイメージになってますけど、これぞ抗議の歌であるとかは少ないのにそういう人として見られてしまっている。その不運もありますよね。
中川
ありますね。そういうはっきりとした分かりやすいメッセージが伝わるような、あるいは公民権運動の黒人活動家のこととか、アメリカの南部で起こったリンチのこと、あるいはベトナム戦争のことを歌っているような歌は最初の数年だけですよね。
浦沢
でも、その歌のまとめ方も諦観というか、「風に吹かれて」自体もそうなんですけど、答えは風に吹かれているなあという諦観じゃないですか。答えなんか出ないよねという。人類の愚かしさのことを言っていて、どうしなきゃいけないかなんてことは言ってないですよね。
中川
そうですね。
浦沢
この間プロテスト・ソングを選んでくれというお題を出されて、ディランの中で何かいいのはないかなと思いながら見てたんですけど、ほぼほぼ言ってないですよね。ちょっと斜め四五度のラインから見たりとか見渡して、いやあどうしようもないねって言ってるぐらい。断固反対みたいなのってほぼない。
中川
ないですね。ただ、取り上げて歌う人がそこに自分の感情なり主張とか、自分はこうしたいというのを注ぎ込めるというか、そういうところがある柔軟な、どうとでも受けとめられる歌を作っているわけだから。
浦沢
そういうふうに歌えばそうも聞こえるという。
中川
「風に吹かれて」という歌も歌う人によっては平和を願う戦争反対の歌としてみんな聞くだろうし、ボブ・ディランがどういう意味で「答えは風に吹かれている」と歌ったのかは分からないですけど、それは風に舞っているから答えは一生つかめないのか、あるいは風に舞っているから手を伸ばせばつかめるのかもしれないと言っているのかって、その辺もどうとでも受けとめられる感じでディランは書いていて。
浦沢
ピーター・ポール&マリーが歌うのとボブ・ディランが歌うヴァージョンではまったく意味が違う歌に聞こえますよね。
中川
歌い方によって答えは永遠に見つからないよという諦めている歌にもなるし、力強く歌われると頑張れば答えは見つかるんだ、平和は来るんだというふうな歌にも受けとることができるような。それでいて、ディラン自身の歌を聞くとなんかよく分からないような。
浦沢
分からないですよね。ただきっと、あの人のたかだか音楽じゃんという軽みがあると思うんですよ。これにメッセージを込めてうんぬんかんぬんというのではなく、音を楽しむ音楽という。それがまず第一だということで、だからいろんな歴史的局面、九・一一だとかある中で、彼は一切何も表明はしていない。逆にそういうときこそ引っ込むんですよね。いわゆる本当のプロテストというか、音楽を楽しんでる空間を作ることの方が戦争反対と声高に叫ぶよりも一番の戦争反対になるというぐらいの考え方をしていそうなほど、音楽が大好きな人という感じがしますね。
「オレはいいけどディランはどう思うかな」

浦沢
僕はよくいろんなところで言うんですけど、ロバート・ジマーマンという青年がボブ・ディランというキャラクターを思いついて、そのボブ・ディランという架空のキャラクターが、どういう人生を全うすると一番面白いストーリーになるかという。要するに矢沢永吉さんが、「オレはいいけどヤザワはどう思うかな」というぐらいヤザワというキャラクターが遊離しているというそんな感覚で、ロバート・ジマーマン青年が作ったボブ・ディランという人の人生がみごとにピースがはまりだしているというか、あの時期に未発表曲を出し始める『ブートレッグ・シリーズ』(一九九一年~)の構成を見ると、そこまであった音源が全部パズルが組み合わさって面白く見えてくる。人生をかけたミステリーの作り上げみたいなことをやっているんだろうなと思って。
中川
後で全部が繋がってくるというか。それは綿密に計算しているのか、それとも……。
浦沢
僕は勘なんじゃないかと思うんですよね。明らかに未発表ヴァージョンの方で出したほうが良いヴァージョンがあって、あのときに未発表ヴァージョンの良い方を採ってアルバムを構成したら、ものすごい名アルバムがたくさん出来ていたはずだろうというところを台無しにしている部分もあるんです。あれが計算かと考えると、そんなことないよなあって。一体頭の中どうなっているんだろうなと思いますよね。
中川
今になって出てくる『ブートレッグ・シリーズ』の音源をそのときそのときに聞いてたら、やっぱりボブ・ディランの見方も変わっちゃうし、評価もすごく変わっていたというか、もしかしたら正しく理解できてたかもしれないけど、面白くはなかったかもしれないですよね。やっぱり謎がある方が面白い。
浦沢
あとからカードを切るように出してくる、あの演出はすごいですよね。
『セルフ・ポートレイト』
中川
『セルフ・ポートレイト』(一九七〇年)が出たときも、何だよこれはひどいなあって言われて、でもその倍くらいの録音をしてたわけでしょう。それが今頃になって出てきて、それを聞くといいじゃないって。後になって出てきた音源が当時出ていたとしたら、やっぱりみんな何だコレってなるよね。
浦沢
彼の中では、レコーディングやパフォーマンスであのヴァージョン演ったよねって、記憶としてはあるわけだから。もしかしたら出してるレコードに何が収まってるかなんて興味がなかったかもしれないですよね。それで、「あれっ、出てなかったの?」なんてことで(笑)。
中川
(笑)、自分で聴くんですかね?
浦沢
まあ、聴かなそうですよね(笑)。グリニッチ・ヴィレッジのカフェに二十歳のディランが最初に現れた日のことを、かなりの人が覚えていて、「見かけないけど、あの子なに?」ってみんな気になってるんですよ。それがカリスマなんですよね。「最初に来た日のことをよく覚えてるよ」って言って、変な帽子かぶってでっかい靴履いてチャップリンみたいな恰好だった。それでステージに上がるとお手製のハーモニカフォルダーをガチャガチャやりながら、なかなか演奏が始まらなくてブツブツ言ってるのを、みんながクスクス笑いながら見てたっていう。彼はたぶん意識はしてないんですよ。それらの挙動不審な感じだとか、ノーベル文学賞の返事をしない感じとかも、意識してないけど、彼が何となくやることをみんなが面白がる。それをチャップリンは映画にしたけど、ボブ・ディランは普通のたたずまいの中でアドリブでやるんでしょうね、面白いなあっていうことをね。グラミー賞のライフタイム・アチーブメントの受賞で、俳優のジャック・ニコルソンの紹介を受けてディランが登場したのですが、「親父がよく言ったもんです」と言って、しばらく考えて、「いろんなこと言ったからよく覚えてないんですけど」って(笑)。
中川
素のままなんですか、行動そのものが。
浦沢
うーん、天才的にそういう面白いことをする。
ボブ・ディランの普遍性、カッコよさ

ディランを語ろう(浦沢 直樹)小学館
ディランを語ろう
浦沢 直樹
小学館
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浦沢
アーティストのピークっていろいろありますけど、ディランは今が一番ピークになってるんじゃないかっていう気がする。このノーベル文学賞も、もちろんこれまでの偉大な作品があってなんですけど、年老いた作家が二〇代のとき傑作を書きましたねではなく、ノーベル文学賞を貰った段階で今が旬、一番のピークを迎えたアーティストっていうのはなかなかない。
中川
長年継続して新しいことや凄いことをやり続けたということがきちんと評価されていると思うので、今までの六〇年近い活動そのものが認められたんだなと思いました。とにかくずっと続けてやってきたことが素晴らしいんだと思うんですよね。
浦沢
ディランは一度たりとて懐メロ歌手になったことがない。
中川
ボブ・ディランの歌っていうのは五〇年以上前に作った歌でも全然懐かしい歌じゃない。六〇年代に作った歌がその時代に貼り付いてその時代の思い出を歌った青春の歌っていう風にまったくならずに、六二年に作った歌を今彼が歌ったらやっぱり今の歌なんですよね。それは確かにひとつのものすごくわかりやすいメッセージを伝えるんじゃなくて、いろんな受けとめ方が出来て、いろんな解釈ができる柔軟な歌だから、今聴く「風に吹かれて」は、今現在の世界をボブ・ディランは歌っていて、それを聴くことによって自分たちが学生の頃に聴いた懐かしい歌が今眼の前で歌われているという気には僕らは一切ならない。
浦沢
意味が固定化されないんですよね、ボブ・ディランの歌は。
中川
そこはすごいなと思いますし。ディランにみんないろんな影響を受けて、ディランの真似してというか、六〇年代の後半にボブ・ディランがカントリーの世界に行ったら、フォークシンガーたちもみんなカントリーのアルバムを出す。それはそれだけディランのやることを注目していたし。
浦沢
カッコいいよね、カッコいいから真似する。今回もオーチャードホールの来日公演(二〇一六年四月)を観てカッコいいなあと思ったし、これをミュージシャンの人たちが見たら影響受けてこのステージ構成を真似したくなる感じだと思うんです。
中川
確かに真似したくなる感じですね。
浦沢
最後にバンドメンバーがステージの中央に集まって、まったく無愛想に観客を睨みつけて、MCもなく、ありがとうもサンキューもなく、フンッどうだって感じで帰っていく(笑)。
中川
今回はじめてディランが日本語で「アリガトウ」って言った。奇跡ですよ(笑)。
浦沢
「アリガトウ」「二〇分間の休憩です。すぐ戻るから」って言って。
中川
ボブ・ディランは自分で説明しない。ボブ・ディランの歌について解釈をしたり、こう聴くんだとかこういうことを歌っているんだとかそういうことを言う人たちは山ほどいるんですけど、本人は黙して語らずで、勝手に解釈しろよっていう感じなんですね。ディランは何も気にしてないんだろうけど、勝手なことを言ってるなと思ってるかもしれませんね。
『血の轍(わだち)』
浦沢
『血の轍』(一九七五年)なんて、割と夫婦間がうまくいってないときに作ったアルバムで、それがディランの最高傑作なんて言われてますけど、ディランはあんな暗くて陰鬱で泣き言、言ってるようなアルバムをみんながいいって言う意味がわからないって言ってますもんね(笑)。ひねくれてるんですけど、そのひねくれ方っていうのは、この局面においてどういうひねくれ方が面白いかっていう、それは言ってしまえば、ビートたけしであったり松本人志であったり、あのへんの人たちと共通してるんだと思うんですよ。この局面で何でそういうことするのっていうことがとっても面白くて、それがカッコいい。何言ってんのってことが、突然ポーンと出てきてハッとなる。そのカッコよさですよね。照れくさそうに立ってるだけでもカッコいいし、何を言うんだろうなって、その瞬間も文学だったりしますよね。貧乏ゆすりしながらマイクの前で今から何を言うのかなって固唾を飲む。その固唾を飲む瞬間って、志ん生の落語の、うーーーって言ってるあそこすら文学になってるのと同じで、パフォーマンスとしては。
中川
そういう面白みなんでしょうね。ディランが受賞したからって、じゃあボブ・ディランの詩集なんだと思う人がいるかもしれないけど、残念ながら今絶版で手に入らないですけど(笑)。今までのノーベル賞だったら、その人の書いた本が持ち上げられて飾られるけど、ボブ・ディランの場合は取り上げられて飾られるべきではないと思うんですね。あくまで本になったボブ・ディランのリリックス、全詩集っていうのは単なるテキストなんですよ。ディランの歌を聴く為の手引き、ガイドブックにしか過ぎなくて、ボブ・ディランの今回の受賞というのは、彼の歌そのものが受賞したと僕は思うので、詩集みたいなのはその一面だということを僕はすごく感じています。
意味を逆転させる歌の力 「ライク・ア・ローリング・ストーン」

浦沢
僕が中学生の頃、和製ボブ・ディランと言われていた吉田拓郎さんの大ファンになったので、ボブ・ディランを理解しなければ吉田拓郎を理解したことにならないんじゃないかと一生懸命毎晩のように聴くんですよ。でもボブ・ディランの良さがわからない、何だろうと思いながら毎晩聴いてたんですけど、『偉大なる復活』(一九七四年)がちょうど発売で、ラジオで『偉大なる復活』の「ライク・ア・ローリング・ストーン」が流れたときに、ワーッとわかった。すっごいわかったんですよ。そこを入口にして入っていったんですけど、でも「ライク・ア・ローリング・ストーン」って、ある女性を指差して罵倒するような歌で、それなのに『偉大なる復活』のライブ・ヴァージョンでは、「Howdoesitfeel?」って歌ったときに、ワーーーッていう歓声と演奏が一緒くたになった大歓声で、何でここで高揚するんだろうと。僕も聴いてて高揚感があるけど、なぜ高揚するんだろうって、ずっとわかんなくて謎な曲だなと思ったんですけど、時は流れて漫画家になり、『YAWARA』(小学館)っていう作品で一応人気漫画家の仲間入りをさせていただいて、アニメも始まって高視聴率みたいな感じのときに、『バイオグラフ』(一九八五年)のCDが出て、初めてCDでボブ・ディランを買ってかけたら、「ライク・ア・ローリング・ストーン」がかかった。訳詞をパラパラ見ながら、わけわかんないんだよなこの曲って思った瞬間にわかった。『YAWARA』という作品が一本当たったくらいで、やれやれヒットしたぞなんて思っている自分に対して指差してるっていうことがその瞬間に全部わかっちゃったって。これは僕に対して歌ってたんです。「おまえはそんなもんで満足してるのか?」「どんな気分だ?」って。どっちみちおまえなんか転がる石みたいなものなんだっていうことを指差されて、あの瞬間に第二波の二回目の理解がきたという。それで漫画の作品作りも、次へ次へどんどん転がしていかなきゃいけないということで『MONSTER』とか『20世紀少年』という作品に繋がっていった。『YAWARA』のヒットとかで小さくまとまるのではなく、どんどんどんどん転がしていくんだという気持ちになったのはあの曲のおかげですね。指差されたんです。お前はなんぼのものなんだという。
『テンペスト』
中川
確かに歌詞だけを読むと惨めったらしいというか、全然カッコよくない。でもボブ・ディランが歌い、バンドが演奏したときに、人のことを文句付けて攻撃しててお前あんだけいばってたけど、今はもう惨めさのどん底だろうっていうすごい嫌みな歌が確かにカッコいいわけですよね。
浦沢
肯定してるんだか、否定してるんだかわからない。
中川
でもディランが歌ってると、その石のように転がることのカッコよさみたいのがそこで出てくるわけですよね。
浦沢
帰る家もなくなって転がる石みたいで、それがどんな感じがするって問いかけてる。そうすると観客がワーーーッてなる。
中川
そこで意味が逆転するというか、石みたいに転がってどこにも落ち着けないっていう否定的な歌詞が、逆に石のようにどこにも落ち着かずに生きることがカッコいいんだっていう意味に逆転する、それは歌の力だと思うんです。言葉だけ読んでる限りでは、それは絶対出てこない。
浦沢
ディランは九〇年代後半からネバーエンディング・ツアーで世界中を回ってますが、もしかすると「ライク・ア・ローリング・ストーン」からきてる精神性なのかも知れないですよね。屋敷を構えてどっしりしてるのは自分じゃないっていうのはあるかも知れない。年間一〇〇本も世界ツアーしてたらほとんど家にはいない、もうそれで二〇年くらいほとんど家には戻ってないんじゃないかな。
中川
少なくともお金のため生活のためとかじゃなくて、やりたいからやってるだけでしょ。もしお金を稼ぐためにツアーするんだっていうんならそんな必要は全然ない人だから。
浦沢
世界中のどこかでまだ自分の曲が聴きたいっていう人がいるんだったら、ギター担いでどこでも行くってインタビューで言ってましたから。
中川
僕にとってのボブ・ディランは、僕自身が歌い始めたきっかけでもあって、中学生の終わりとか高校生の頃にギターを取って日本のフォーク・ソングをやりたいと思ったきっかけがボブ・ディランだったので、何に一番影響を受けたかというと、世間的にはプロテスト・ソングだとかメッセージだと言われている「風に吹かれて」とか「時代は変わる」といった初期の歌で、僕の中ではそれは強いんだけれども、今回ノーベル文学賞に選ばれて話題になっても、いまだにそのボブ・ディランしかみんな取り上げないんですよね。それなんて最初の五年間くらいの話で、その後五〇年以上、どんどん違うことも面白いこともやっているのに、特に八〇年代以降のディランのことなんて、ほとんど触れられることがない。
そういう意味で言うと、僕がボブ・ディランに入るきっかけになったのは一番初期だけれども、でもどのボブ・ディランがいいかと言われたら、今一番新しいディランが一番いいよって言いたい。一番新しいディランを聴いて欲しい。だから書きおろしでは最新の『テンペスト』(二〇一二年)っていうアルバムは、彼にとってのベストアルバムじゃないかもしれないし、内容的にはそんなに新しいこともやってないかもしれない、似たようなメロディーで歌ってるかもしれない、でも僕は一番新しく彼がこんな曲を作ったということで、ベストは何かと言われたら一番新しいのを選びたい、そういう気持ちがあるんです。
この記事の中でご紹介した本
ディランを語ろう/小学館
ディランを語ろう
著 者:浦沢 直樹
出版社:小学館
以下のオンライン書店でご購入できます
ボブ・ディラン全詩集1962―2001/SBクリエイティブ
ボブ・ディラン全詩集1962―2001
著 者:中川 五郎
出版社:SBクリエイティブ
以下のオンライン書店でご購入できます
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