対談=樋田 毅×永田浩三 記者人生を掛けた赤報隊取材 樋田毅著『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年4月13日 / 新聞掲載日:2018年4月13日(第3235号)

対談=樋田 毅×永田浩三
記者人生を掛けた赤報隊取材
樋田毅著『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)刊行を機に

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第5回
 幼い頃、家の本棚に並んでいた『世界文学大系』や『世界文学全集』が好きだった。文字どおりに床から天井まで本で埋め尽くされた父の書斎と、『ブリタニカ国際大百科事典』や『オックスフォード英語辞典』が地層のように積まれた母の書斎を、おなかをすかせた夕暮れどきに行ったり来たりしていたあの日、二人の部屋に別々に並べられた二種類の文学全集の背表紙に並ぶ、同じような名前の連なりに気がついた私は、そこに世界をつなぐゆるやかな「環」のごときものを見つけた気がして、ひとり安堵の息をついたものだった。
だが、そんな私のノスタルジーを、『世界文学アンソロジー』はやんわりとたしなめる。「かつての『全集』とは対義的なものでさえあります」と前置きされた本書は、今の「世界文学は不協和音」であり、「世界文学を読むとは(……)不安定な流れの中に身をゆだねること」であり、さらには、世界文学とは「不断に更新されるソフトウェア」であると主張するのだ。果たして、自分はこの「ソフトウェア」をインストールすべきなのか? するとしても、いったいどこに? まさか、私のこの世界文学ノスタルジーを上書きしろとでも?

ためらいながらもページを繰ると、エミリー・ディキンスンがあらわれた。李良枝があらわれた。サイイド・カシューアがあらわれた。そして第1章が終わり、「読書案内」があらわれた。そこにはきわめてシンプルに、「言葉の空しさ、世界の捉えがたさは、現代文学において、重要な主題となってきました」とあり、続く「コラム」には、「世界の全ての文学を原語で読むことなど不可能なのだ」という、明白でありながらもなぜか受け入れがたい事実が書きつけられていた。

世界文学という言葉の向こう側に夢見た何かが、今ここで消されようとしているのかもしれない――。そんな疑念に囚われた私は、この段階で本書を閉じることもできたはずだ。だが、手が、目が、そして何より、あの日の思い出がそれを許さなかった。「環」は、きっと閉じるはずだった。その瞬間は、きっと来るはずだと思った。

やがて、編者たちによって念入りに仕掛けられた「不協和音」は、実体を持ち始めた。影が主人を殺害するアンデルセンの「影法師」が、食人種たちへの怯えを吐露する魯迅の「狂人日記」とぶつかり、水俣病の悲劇を語る石牟礼道子の「神々の村」が、川の魚殺しを趣味とする男を描いた宮沢賢治の「毒もみのすきな署長さん」とぶつかり、さらには、第1章にあった「まずは声を出してみましょう」という編者の呼びかけが、莫言の「白い犬とブランコ」のクライマックスに女がしぼりだす「でも結局みんな啞だった」という言葉とぶつかる……といった具合に、本書のなかで響きあいながらも決して共鳴することのない物語たちが、私の「環」への希望を徹底的に打ち砕き、残酷なる現実を直視せよと迫る、新しい「世界文学」の姿をそこに立ち上げたのだった。

最後のページにたどり着き、せめてこの本の「環」だけでも閉じようと「まえがき」に戻ってみると、そこに待っていたのは、編者からのこんな言葉だった。

「そして、『世界文学アンソロジー――いまからはじめる』も、読者を護りません」。

かくして、この刺激的かつ周到な世界文学アンソロジーは、私の中のほこりくさい世界文学ノスタルジーを破壊した。だが、これはもちろん創造の第一歩に他ならない。本書に収録されたディラン・トマスも書いているではないか、「激怒せよ、憤怒せよ、消えゆく光に向かって」と。このアンソロジーをきっかけに、私たちはまた、次世代の「世界文学全集」を夢見てしまう。
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この記事の中でご紹介した本
記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実/岩波書店
記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実
著 者:樋田 毅
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
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