伴走者 書評|浅生 鴨(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年4月14日 / 新聞掲載日:2018年4月13日(第3235号)

一途に駆け抜ける「見えない者」と戸惑いさまよう「見える者」を描く

伴走者
著 者:浅生 鴨
出版社:講談社
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伴走者(浅生 鴨)講談社
伴走者
浅生 鴨
講談社
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この物語はマラソン編とスキー編にわかれており、いずれも視覚障碍者アスリートの目となって寄り添う伴走者を主人公に語られる。ふたりの主人公はピークを過ぎてはいるが、健常者レースの世界では優秀な選手だった。どちらもやむを得ない事情で不承不承、経験したことのない障碍者競技の伴走を引き受けることとなる。

恥ずかしながら私は、視覚障碍者のスポーツについて、なにも知識がなかった。 「伴走者」と聞いてなんとなく、なにをやる人なのかは想像できるが、なにを察知し、どんな洞察をし、どのような伝え方をすることが要求されるのか、これっぽっちも知らなかった。ましてや、どんな気持ちで視覚障碍者とむきあうべきなのかなど、想像することもできない。本作のふたりの主人公達も、それは同じだった。

そんな手さぐり状態の主人公を、視覚障碍を持つアスリート達が導いていく。どちらが伴走者なのか、わからなくなるぐらいに。そう、本作では一途に駆け抜けようとする「見えない者」と、戸惑いさまよう「見える者」が描かれていくのだ。そこにおおいに引き込まれた。

「見えない」とは、なんだろう。

「見える」とは、なんだろう。

この小説は、行間からしきりにそう問いかけてくる。

かつて私は、脳性マヒの人々と仕事で接したことがあった。思うように動かない顎や関節のため、会話は難しい。私は彼らに「やさしく」接したつもりでいた。ところが、彼らとメールのやりとりをするようになると、彼らが健常者と変わらない感受性で物事をとらえていることがわかり、心がざわめいた。

私は、彼らを見ていなかった。彼らの中には「私はずっと自分で自分を差別していた」と訴える人から、「とても愉快な毎日です」と書く人まで、実にさまざまな状況の人がいるにもかかわらず、私はただただ一様に「やさしく」しようとしてしまった。それを非常に悔いたものだった。

そんな経験があったにもかかわらず、本作を読むと、視覚障碍者に対しても同じような意識でいた自分が見えてきた。十把一絡げにし、やさしい眼差しを向けて誤魔化し、きちんと見ようとしない自分がだ。

世界大会での勝利のため、目の見えないアスリート達は主人公に対して、本心を見せることをためらわず、露悪的なまでの言葉をぶつけてくる。なにをしてほしいのか、なにをしないでほしいのか、なにをわかってほしいのか。主人公たちは殻ひとつ破れない自分の弱さを、それまで見えていなかった己の弱さを見せつけられていく。

さらに、障碍者という弱者であるアスリート達は、弱さについても主人公に問いかけてくる。「弱さを持つ」ことと、「弱い」ことは違うのではないかと。

レース場では伴走者がアスリートを守り走るのだが、心の中ではむしろ、アスリートのほうが主人公の伴走をしているかのようだった。

そもそも人生とは、先になにが起こるか予測などできない。明日の天気さえ、完全に的中させることなど不可能だ。ほとんど見えずに走るのと似ている。だからこそ人は、伴走してくれる誰かを求める。ともすれば、なんでもかんでも見えるわけではない伴走者の非を責めることに終始してしまうこともある。

本作には、お互い相手になにが見えていて、なにが見えていないのか、徐々にわかりあいながらゴールを目指していく主人公とアスリートの姿が描かれている。それは、読者である私の生活の中にある「見えない場所」に、灯りを点してくれる姿のような気がした。
この記事の中でご紹介した本
伴走者/講談社
伴走者
著 者:浅生 鴨
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
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