重力の帝国 世界と人間の現在についての十三の物語 書評|山口 泉(オーロラ自由アトリエ)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年4月14日 / 新聞掲載日:2018年4月13日(第3235号)

フクシマ以後の原発文学の中で最も本質を衝いた小説

重力の帝国 世界と人間の現在についての十三の物語
著 者:山口 泉
出版社:オーロラ自由アトリエ
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七年前の二〇一一年三月一一日に起こったフクシマ(「レベル7」に達する福島第一原発の過酷事故)について、山口泉は「被曝地・東京の三三〇日」の副題を持つ『原子野のバッハ』(二〇一二年四月 勉誠出版刊)の「あとがき」で、次のように書いていた。
〈日本はいま、すでに精神の「内戦」状態に突入している。

危機を危機として認識した上で、それに立ち向かおうとする者と――危機の現実を否定し、時には覆い隠し、さらには消極的ないしは積極的にその危機の進行に加担しようとする者との。この絶望的状況にあっても、なお人間として生きようと志す者と、“株式会社東京電力的なるもの”との……。〉

「序章〔これらすべては、ほんとうにそのとおり……〕」以下、「Ⅰ灰色の虹」という題でまとめられた「第一話 原子野の東」から「第五話 愛の遺跡」までと、「Ⅱ遠い腐刻画」と題する「第六話 かくも才能溢るゝ同時代者らと共に生きる倖せ」から「第八話 人権の彼方へ――二〇〇八年『世界人権宣言複式化宣言』制定会議基調報告」まで、更には「Ⅲ冬の無言」収められた「第九話 強制和解鎮魂祭」から「第十三話 世界終了スイッチのために」までの全十三話は、短編連作というよりは長編の各章と言った方が相応しいものになっている。そして、結論的に言えば、これらの各話に通底しているのは、世界の在り様がそれ以前とは全く異なってしまった「フクシマ以後」をどう生きることが「正統=正当」的であるのか、といった問いである。

作品内容に即せば、「ヒロシマ・ナガサキ」以降、世界の盟主となった「重力の帝国」UAD=“貪婪な大腸”(アメリカと読む)の属国であり続けてきた「イムペリーオ・ヤマト」(「日本」と読む)は、UADの意を汲んで「灰色の虹」(原発)を作り続けてきた結果、四基の「灰色の虹」を爆発させてしまい、国中に「虹色ノ灰」=放射能を撒き散らし続ける「この世の終わり」とも言うべき最悪の状況を迎えることになるが、そのような「絶望的な状況下」の日本に「否」を突きつけることにこそ「生きる意義(意味)」があると考える「酉野森夫」たちの活動が、様々な場において展開していく。

作者の意図は明快である。作者は、本書の「後記」で「私にとっては、世界が疑いなく暗いものであるとき、その暗さに正面から、どこまでも向き合いつづけることだけが、ほんとうの意味での『希望』です」と書いている。ここからわかるのは、作者の本意(モチーフ・テーマ)がヒロシマ・ナガサキを経験したにもかかわらず、戦後七二年、その「世紀の災禍」をもたらしたアメリカの「属国」として在り続け、その挙句に「フクシマ」を起こしてしまった「日本」に対して、東アジア史(中国や朝鮮半島との関係)を踏まえて、根源的・徹底的に「否定=批判」するところにある、ということである。

その意味で、本書はフクシマ以後の原発文学の中で、最も本質を衝いた激烈な小説と言っていいだろう。
この記事の中でご紹介した本
重力の帝国  世界と人間の現在についての十三の物語 /オーロラ自由アトリエ
重力の帝国 世界と人間の現在についての十三の物語
著 者:山口 泉
出版社:オーロラ自由アトリエ
以下のオンライン書店でご購入できます
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