劉暁波伝 書評|余 傑(集広舎)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年4月21日 / 新聞掲載日:2018年4月20日(第3236号)

抵抗の思想「敵はいない」 
知行合一のかけがえのない人物を失った中国

劉暁波伝
著 者:余 傑
編集者:劉 燕子
出版社:集広舎
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劉暁波伝(余 傑、劉 燕子)集広舎
劉暁波伝
余 傑、劉 燕子
集広舎
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中国のノーベル平和賞受賞者、劉暁波は昨年7月、末期がんで事実上、獄死した。本書は劉と最後まで活動を共にした作家、余傑氏による評伝である。劉は天安門事件の最中、学生たちと共に天安門広場でハンストを敢行し、逮捕された。釈放後も、国内に留まり、民主活動、人権擁護運動を展開し、再三投獄された。2008年には大幅な民主化を求める「08憲章」を起草し、国家政権転覆煽動罪で懲役11年の実刑を受ける。2010年、ノーベル平和賞を授与されたが、獄中にあり、受賞式への出席はもちろん、家族や友人たちの代理出席さえ許されなかった。

死去にあたっても日本のマスコミは詳しく報じたが、劉に対する私たちの認識はというと、中国当局の彼に対する弾圧が厳しかったという報道に左右され、彼が一体いかなる人物で、民主化の行方をどう考え行動したのか、その思想はどう形成されたかについて、極めて心もとないものだ。平和賞受賞時に日本で出版された「劉暁波本」と違って、本書は劉暁波の人間像とその形成過程に深く切り込み、今後の中国の民主化を考える上でも新たな視点を提供してくれる。

例えば、天安門事件で戒厳軍が出動し民主化運動を武力制圧した際、劉たちはその最終局面で学生たちを説得、広場での軍との直接衝突を回避させ平和的撤退を実現した。平和賞の受賞理由の一つに挙げられるが、「広場での虐殺」を報じた日本の新聞はこの点をほとんど伝えておらず、多くの読者は広場での虐殺を訴えた学生リーダーのウソの証言をいまだに信じている。劉は事件後、機会あるごとに広場での虐殺はなかったと証言し、「私が最も嫌うのは、中国人が道徳という美名の下に事実を歪曲する道徳至上主義を望むということだ。ウルケシはまさに道徳の美名を選択し事実の尊重を放棄した」と、学生リーダーを名指しで批判した。

このエピソードは単に劉が歴史の真実に誠実な人物であることを意味するわけではない。実は事件後、劉はこの発言などをめぐり民主活動家内部で厳しい批判にさらされた。劉は孤立する中で、批判に応えるため反省と思索を重ね、後年の「私には敵はいない」という強靭な抵抗の思想を練り上げていったと、余氏はエピソードの後日談を解説する。

「彼はもともと才気をひけらかす『ダークホース』だった」と批判し、ハンストの際も劉の身を案じ中止を懇願に来た前妻が広場から立ち去ると、「ガールフレンドが現れ、彼女といちゃついた」とまで暴く。そこまで劉を貶めた上で、余氏は劉が事件後批判を真摯に受け止め「廉恥と自責の念に覆われて深く反省し、再び惨劇を起さないためにこそ戦わねばならない」と自覚すると共に「人を分け隔てすることなく平等に関心を向け、具体的に苦難に思いを寄せ、それにより尊厳のある生き方をしようと努めた」と劉の“再生”の過程を明らかにする。多くの犠牲者を出したのは自分の責任でもあると悔い、遺族の会の支援活動にも尽くした。

余氏は「敵はいない」の思想の背景に「キリスト教的精神の影響」を見る。劉は後年「中国は原罪の観念を欠き、懺悔の精神を欠く」、「物質的な満足を求め、許しと贖罪に助けを求めることをしない」、「中国人の悲劇は神のいない悲劇である」との認識に至ったという。

劉の「寛容と協調」の精神は、やがて反体制派の域を超え、体制内外民主派の中心的位置へ劉を押し上げていく。当局が最も恐れた、知行合一のかけがえのない人物を、中国は失ったと言えるだろう。(劉燕子・横澤泰夫・和泉ひとみ訳)
この記事の中でご紹介した本
劉暁波伝/集広舎
劉暁波伝
著 者:余 傑
編集者:劉 燕子
出版社:集広舎
以下のオンライン書店でご購入できます
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