隣の家の少女 書評|ジャック・ケッチャム (扶桑社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2018年4月21日 / 新聞掲載日:2018年4月20日(第3236号)

ジャック・ケッチャム著 『隣の家の少女』 
大阪樟蔭女子大学 池田 萌乃

隣の家の少女
著 者:ジャック・ケッチャム
出版社:扶桑社
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突然だが、監禁されたことはあるだろうか。もちろん私は無い。拷問も、当然されたことは無い。だが、いじめならもしかすると、経験のある人がいるかもしれない。いじめた人、いじめられた人、いじめを傍観していた人。幸いなことに私の周りには、メディアで取り上げられるようないじめらしいいじめはなかった。だから私には、いじめる人やいじめられる人、そしてそれを傍観する人の気持ちはよく分からない。

この物語の主人公であるデイヴィッドは、昔から仲の良い隣人、チャンドラー家に突然やってきた姉妹メグとスーザンが、チャンドラー一家に監禁・拷問される様子をずっと傍観している。最初はチャンドラー一家が正義だと思い込み、拷問のエスカレートにより一家を異常だと感じるようになり、最後にはメグたちを助け出さないといけないと決断する。そこでデイヴィッドは警官に助けを求めることも思案するが、チャンドラー家で何が起こっているのかを傍観していた自分も責められると思い躊躇ってしまう。また、自分がメグに手を貸そうとしているとチャンドラー一家にバレてしまえば、自分の身も危険に晒されてしまうという恐怖心も感じていた。その心の移り変わりや葛藤はあまりにもリアルで、おぞましささえ感じられる。

「わたしは傍観していた。けっして手をくださなかった。それですべてだった。その態度をたもっているかぎり、まったく罪がないというわけではなくても、罪があるともいいきれないはずだと考えていられたのだ。」この文章に、傍観者がどういったものなのかはっきりと表れている。多くの人がはっとするはずだ。傍観者とは、なんてズルいのだろう。

しかし傍観者という立場には、誰だってなり得るものだ。それが犯罪であれ、小さないじめであれ、ただのケンカであっても。そのとき、自分が加害者側につくか、被害者側につくか、黙り続けるかで、すべての結果は変わる。もしもデイヴィッドに善悪の判断が出来ていれば、誰かに助けを求めていれば、姉妹の運命は違ったものになっていたはずだ。

監禁や拷問という内容であるせいで、読んでいても本の中の出来事だと思ってしまうかもしれないが、この物語にはモデルとなった事件がある。決して本の中だけの出来事ではない。また、昨今日本で問題になっているいじめと何ら変わりないことだ。いじめも、テレビの向こうの話ではない。傍観していてはいけないことだ。

もしも私が傍観者の立場になることがあれば、デイヴィッドのように加害者に立ち向かうことは出来ないかもしれない。しかし、誰かに助けを求めるぐらいのことはやらなくてはならない。そうして、傍観者というずるい立場に甘んずることなく行動することが大切であると私は思う。

(金子浩訳)

【関連サイト】
大阪樟蔭女子大学学科ニュース「キャラクター文芸ゼミ生、創作表現ゼミ生の書評が「週刊読書人」に掲載されました!」
この記事の中でご紹介した本
隣の家の少女/扶桑社
隣の家の少女
著 者:ジャック・ケッチャム
出版社:扶桑社
以下のオンライン書店でご購入できます
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