資本主義リアリズム 書評|マーク・フィッシャー(堀之内出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年4月21日 / 新聞掲載日:2018年4月20日(第3236号)

鬱者が真向かって描いたモノ 
死の臭いが感じとられた書

資本主義リアリズム
著 者:マーク・フィッシャー
出版社:堀之内出版
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或る対象への否が即対自的にその対象への諾であるような存在的オンティックに完備した支配装置ディスポジティフが資本主義には具わっている――あるいはむしろ、それが・・・資本主義である・・・、としたらどうだろう。

その意味で街頭で野垂れ死んだり、施設で糞塗れのまま放置されたり、分離アパートでパンパンに膨れ上がっていたり、《防衛せねばならない》とばかりに生が社会から在庫処分されるといった例外状況なるもの・・・・も含め、この「過保護国家」では僕らがズッと前から意思決定する資源として〈主〉であり、資本は、その結果もたらされた支配コストの削減に窃笑ほくそむ、その派生運動としての〈奴〉だった、としたらどうだろう。

――〈Nobody dies a virgin.Life fucks us all.〉――と辛うじて存在的不安グランジを許してくれたカート・コベインすら赦されなくなった僕らに与えられた唯一の自己慰撫が、ただ〈Life Sucks!〉と呟くツイートことだけだとしたら、あるいは・・・・資本という倒錯機械にタメを張るには、不可能に絶対的な加速・・が不可欠だとされたら、どうだろう。僕らは、〈場所をあけろ〉と叫んで、あるいは〈So what?〉と続けて、アクセル・ペダルを深く踏み込めるだろうか?

オチていた僕を去年の冬に襲った最悪のニュースは、ラカンの「まつろわぬ者は彷徨う」あるいは〈父の名〉を抗い生きていた或る鬱者のブロガー(k-punk)の自死だった。僕は本書ログのこの著者について尽きることなく語ることができる。その名がついたフォルダは、彼に捧げられた弔辞も含めて、いまもパンパンだ。

この国の劣化した新しもの好きの書き手や特集テーマを捻り出すことに苦しむ雑誌編集者の耳目をスルッと脱けて逝ったこの鬱者のマルクス者は、資本の人格化である資本家キャピタリストディングの資格において散種する支配的思想リアリズムがいまや変幻自在プラスティック現実リアル空気イデオロギーとなり、それを僕らが「しけたデフレ展望」として相互受動的に諾している現在いまを凌ぐための息抜きファルマコンだった。

サルトルの「地獄、それは他者だ」から、サッチャーの〈このうましかない〉という〈ホブソンの選択〉的な、だがジェイムソンのいわゆる無限に代替可能ファンジブルという意味で同の反復的な〈出口なし〉への、この世界の変質は、前著『僕の生の亡霊たち』で(非)生というおの現在いまを鬱・憑在論アントロジー・未来の緩慢な取り消しから振り返った彼が看ていたのっぺりした光景と同じものだ。

この永遠の経過・・は、ケストナーを批判するベンヤミンにまで遡ることができる、例えばウェンディー・ブラウンとエンツォ・トラヴェルソとの左翼メランコリアを巡る交錯にも関わる、承認を支える最小の微分的差異さえ消え去り、人びとが相互受動的に社会の〈主〉になった神の死後の現在いまという完成態であり、それはまた、ドゥルーズ=ガタリがその運動を描くに際に言い当てた分裂症的な相対的・・・脱領土化、あるいは「内的」というよりも資本にとって不可欠な・・・・・・・・・・非本質的な・・・・・こと」によってその運動ちくせきを「妨げられ」、その流れフローを躁―鬱という「双極性障碍」によって周期的に「塞き止められる」、ニック・ランドのいわゆる「純粋」資本主義に構成的な反生産の力(恐慌)を予め相互受動的に弱毒化ワクチンし、資本にとっては不可能な絶対的・・・・・・・純化のために予め心身化することを僕たち自身にその然り気を消して強いる、多幸の拷問にほかならない。そしてこの鬱者が真向かって描いたのは、そんな世界だった。

自死への跳躍台の所在は当人も含めて誰にも分からない。だが彼が、バディウの名を挙げてあまりに・・・・正しく「〈資本〉のグローバリズムに、それ自身の、真正な、普遍性を携えて対抗せねばならない」と語り、またあまりに・・・・楽天的に「歴史の終焉という長く暗い夜」を「大いなる好機」と捉え、「無風状況から、突然、どんなことでもふたたび・・・・可能になる」(傍点長原)という担保なき・・・・督励アジテーションで本書を締め括ってみせた・・・のをみたとき、そこに死の臭いがして、僕は嫌な予感がしたのだ。

誰も励ましてはならない! 誰も励まされてはならない! ただ出来事が!

だとすれば、フィッシャーに「悲観主義ではなく否定性」を読み込むことで喪の作業を行おうとするアダム・ハーパーは、引き裂かれねばならないはずだ。僕はむしろ、「持続を認めない」がゆえに「至るところに道がみえる」とされた「破壊的性格」が生き続けるのは、「この生が生きるに値するという感情からではなく、自死がそれにまつわる面倒に値しないという感情からだ」と必死に書いたベンヤミンを、押し寄せる死の際で堅く生を決意する・・・・・・・・・・ベンヤミンを、フィッシャーの死に立ち会わせたいのだ。(セバスチャン・ブロイ/河南瑠莉訳)
この記事の中でご紹介した本
資本主義リアリズム/堀之内出版
資本主義リアリズム
著 者:マーク・フィッシャー
出版社:堀之内出版
以下のオンライン書店でご購入できます
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