〈韓国文学のオクリモノ〉作家来日イベント (韓国文学翻訳院/晶文社共催)  『誰でもない』ファン・ジョンウンさんを囲む  一夜かぎりの読書会@神保町・ブックハウスカフェ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年4月27日 / 新聞掲載日:2018年5月4日(第3237号)

〈韓国文学のオクリモノ〉作家来日イベント (韓国文学翻訳院/晶文社共催) 
『誰でもない』ファン・ジョンウンさんを囲む 
一夜かぎりの読書会@神保町・ブックハウスカフェ

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第2回
■何を語るかが重要になるときこそ、どう語るか

斎藤真理子さん(翻訳家)
二人の感想を聞いたファンさんは、「韓国で小説を書いているファン・ジョンウンです。みなさんにお会いできて嬉しい」と挨拶し、語り始めた。

「私はインスピレーションが降りてきて文章を書くタイプではなく、いろんな文章を積み上げてそれを切って修正しながら書く方法を取っている。実は、大人になってから言葉が不自由になった経験があるし、子どもの頃から言葉が中断される経験をたくさんしてきて、小説家になるまで自分が何かを物語れる人だとは思っていなかった。最初の頃はお父さんが帽子になったり、人の背中に死んだ人が出入りできるドアがあるとか、そういう小説を書くのが楽しくて、物語ることの喜びに集中して書いていた。

けれど、二〇〇九年に龍山(ヨンサン)惨事(再開発地域で発生した立てこもり住民死亡事件。撤去民五人と警察官一人が亡くなった)を経験し、その事件がネットで生中継されて、その悲惨さを目撃したことで、私も私の属しているこの韓国という社会に加担していることを実感した。三〇年程前に作家のチョ・セヒ氏が『こびとが打ち上げた小さなボール』(斎藤真理子訳、河出書房新社)という本を書かれたが、私もこの経験を通して、先程のお二人のお話のように、私小説ではなく公小説としての感覚を拡張させていったような気がする」

これを受けて、倉本さんと斎藤さんの間で、韓国文学における再開発や階級社会などの社会的背景、暴力の存在についてなどが語られた。斎藤さんは、話に出たチョ・セヒ氏の『こびとが打ち上げた小さなボール』について、「この作品では、七〇年代の韓国で貧しい人たちが自分たちで建てた家を二束三文で買い取られ、行く先がなくなってしまった撤去民が描かれたが、二〇〇九年の事件のときにも、これを書かれたチョ先生が、見ない振りが出来ずに、高齢でご病気の身でもありながら、夜にこの現場にいらっしゃって、この本を書いて何十年も経っているのに状況が変わっていないのは恥ずかしいというふうに仰っていた」と語った。
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この記事の中でご紹介した本
誰でもない/ 晶文社
誰でもない
著 者:ファン・ジョンウン
出版社: 晶文社
以下のオンライン書店でご購入できます
野蛮なアリスさん/河出書房新社
野蛮なアリスさん
著 者:ファン・ジョンウン
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
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