モスクワの誤解 書評|シモーヌ・ド・ボーヴォワール(人文書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年4月28日 / 新聞掲載日:2018年5月4日(第3237号)

いまなお意義深い示唆 
変わらず共感を誘う心理の綾を描く

モスクワの誤解
著 者:シモーヌ・ド・ボーヴォワール
出版社:人文書院
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本書のヒロイン、ニコルは退職してまもない六〇歳の元高校教師である。やはり元高校教師の夫アンドレとともに、アンドレの先妻とのあいだの娘マーシャが暮すモスクワに旅行に出かける。かの地での滞在中に夫婦のあいだには気持ちの行き違いが生じ、長年のあいだに培われてきたはずの夫婦の絆は決裂寸前の状態となる。

「わたしたちの間には、いったいどんな真実の、そして生き生きとしたものが残っているだろうか」とニコルは自問する。その苦い想いは、自分はもはや老いてしまった、若くはつらつとしたところを失ってしまったという悲嘆と重なりあう。夫の側もまた、心身の老いを自覚しないわけにはいかない。「ようやく大人としての身分に慣れてきたばかりだというのに、早くもこの老人という身分に突入しかけているのだ。ご免こうむる!」だが彼もまた、もう自分に未来はあまり残されていないと考えて暗澹とした気分を味わわざるをえない。

久しぶりにボーヴォワールの小説を読みながら、彼女が老いの主題に正面から取り組んだ作家だったことを思い出した。一九六七年に本書を執筆する直前には、母親の晩年を描いた味わい深いエッセー『おだやかな死』を刊行している。そして本書のあとには大著『老い』を書き上げているのだ。『第二の性』におけるフェミニズムの樹立と並ぶ、ボーヴォワールの仕事のいまだアクチュアリティを失わない部分をそこに見出すことができる。

百歳の長寿にも驚かなくなっている現代において、ニコルとアンドレはまだまだ若いといわれそうだ。しかしここに描かれた心理の綾は今日も変わらず共感を誘う。ボーヴォワールの筆遣いには軽妙さがあり、妻と夫双方の言い分に耳を傾けるバランスのよさがある。夫アンドレの場合は、自分が生涯疑わず抱いてきた左翼的理想が時代遅れになってしまったという認識にも責め立てられる。ニコルのほうはマーシャとともにいるとき、自分がもはや若くないことのしるしばかりを見せつけられて嫉妬にかられる。「訳者あとがき」によれば、マーシャはサルトルとボーヴォワールが「初めてソ連を訪問した時から、通訳兼ガイドを務め、サルトルの恋人にもなったレーナ・ゾニナの面影を宿している」という。おそらく喧嘩も絶えなかったのであろう思想家カップルの実生活を垣間見させる部分も含め、切実な内容を扱いながらも、ボーヴォワールはこれを余裕しゃくしゃくと愉しんで書いている気がする。

だから読後感は決して重苦しいものではない。夫婦のあいだに深刻な誤解が生じようとも、誤解は解くことができるというポジティヴな信念が伝わってくる。なぜなら夫婦のあいだには「言葉」があるからだ。「もはや止むことはないであろう対話」のパートナー。それが本書の示す究極的な夫婦像である。そこにもまた現代の読者にとってなお意義深い示唆を読み取ることができるだろう。(井上たか子訳)
この記事の中でご紹介した本
モスクワの誤解 /人文書院
モスクワの誤解
著 者:シモーヌ・ド・ボーヴォワール
出版社:人文書院
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