〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する 書評|山崎 明子(青弓社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年4月28日 / 新聞掲載日:2018年5月4日(第3237号)

孕む身体は誰のもの? 
妊婦表象を規範から解き放つ試み

〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する
著 者:山崎 明子、藤木 直実
出版社:青弓社
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2017年にオリエント工業の創立40周年を記念して渋谷でラブドール展が開かれた際、観客に女性が多い現象に着目した記事が出た(『朝日新聞』2017年6月7日朝刊「精巧ラブドール展 目立つ女性」)。美を追求した人形のきれいなメイクに感嘆したり、憧れの対象として愛でたりする女性たちに、私も会場で遭遇した。ラブドールは男性を対象に作られたもの、という文脈を離れ、女性が女性の身体と出会う空間にもなっていた。

ラブドールを所有する男性の中には、人形を大切に扱い、人形と自分の間で新しい物語を紡ぎ、関係を構築する人もいるだろう。本物の人間にそっくりでありながら本物ではないところにも人形の魅力は存在する。しかし、もし、人形がその域を超えてしまったとしたら? 

菅実花のアートプロジェクト『ラブドールは胎児の夢を見るか?(Do Lovedolls Dream of Babies?)』における写真作品『未来の母(The Future Mother)』(2016年)は、論争的な作品だ。プロジェクトの名称も、人形が「夢を見る」、どんな「夢」を見るのか、人形と「胎児」? と戸惑う。

ラブドールの脇腹を切開して中にボールを入れて空気で膨らませて「マタニティ・ヌード・フォト」の形式で人形を撮影したという、本物の人間の写真と見まがう作品群は、ラブドールが妊娠するという架空の設定だ。管のいう「妊娠するアンドロイド」である。

菅は、道具を用いて能力を拡張したり身体そのものを改良したりする人間のサイボーグ性を指摘し、その人間の欲望や想像力が生み出した、人間の管理下にあるアンドロイド(生死や生殖の自己決定権がない)を解放しうるならば、と「妊娠しないアンドロイド」を覆す。そこに「人間と機械が交錯するその新しい生殖のあり方」という論点を提示し、美しいアンドロイドの見る胎児の夢が、「完璧な子ども」であるなら、それは「私たちに、人間とは何なのか、あらゆる選択に自由をもたらすテクノロジーとは何なのかを問いかける命題となりうる」と述べる。菅は、まっすぐこちらを見返す作品の女性の瞳を、自らの意思で身体をコントロールし、サイボーグとして強く生きる現代の女性たちの瞳と重ねる。そして、「もはや単に男性に所有され思いどおりになる「注文どおり」の人形ではない」という(第1章)。

本書は、菅作品をめぐるシンポジウム「孕む身体表象―その身体は誰のものなのか?」での議論に基づいている。菅作品が投げかけた問いへの応答として、マタニティ・フォトの歴史と妊婦像、女性作家による「妊婦」表象、「妊娠」した女児用人形、胎盤人形、日本美術に描かれた「妊婦」、妊婦と人形のアート上での出会いについて章が立てられている(第2章から第7章、小林美香、藤木直実、吉良智子、池川玲子、池田忍、香川檀)。

山崎明子は、妊娠をめぐる女性身体の表象は産む/産まない、セックスする/しないにより、「母」「聖母」「少女」「娼婦」の4つに分類されるとした(序章)。菅作品は既存の妊娠表象の枠組みを逸脱し、裏切り、境界線を揺るがすとも述べた。そのように「女性たちの妊娠経験が規範に絡め取られることなく豊かな社会表象となりうる」よう本書を送り出した。
「人工知能と人工子宮を搭載したアンドロイド」と本人が述べる菅作品には、これまで妊婦がどのように表象されてきたのかという政治性を読み取る手がかりがあり、一方、女性が自分の体と経験を自分のものとして取り戻す契機が埋め込まれている。現代社会の特徴を踏まえた上での意表を衝く設定は、鏡のように私たちの社会を逆照射し、論争的な価値を備えている。
この記事の中でご紹介した本
〈妊婦〉アート論  孕む身体を奪取する/青弓社
〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する
著 者:山崎 明子、藤木 直実
出版社:青弓社
以下のオンライン書店でご購入できます
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