小林茂氏に聞く 第2部〈小林茂の映像の世界〉聞き手=鈴木一誌|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月8日

小林茂氏に聞く 第2部〈小林茂の映像の世界〉聞き手=鈴木一誌

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週刊読書人2018年5月4日(4月27日合併)号掲載の「小林茂氏に聞く〈映画監督・柳澤壽男〉聞き手=鈴木一誌」、その続きをウェブ限定で公開します。


第1回
田中正造と足尾鉱毒事件

『わたしの季節』を撮影する小林茂(写真・江口和憲)

──柳澤監督作品について話をうかがってきました。小林監督が柳澤監督から何を引き継ぎ、これからのドキュメンタリー作りにどう生かしていくのかをお聞きします。小林監督は、第二びわこ学園を舞台に『わたしの季節』(2004年)を撮ります。第二びわこ学園は、ほぼ35年前に、柳澤監督の『夜明け前の子どもたちの』が撮影された場所でもあります。
小林
 最初に話があったのが2000年ころでした。柳澤監督の撮った同じ現場を撮る、これも巡り合せと思いました。ただ、現在は肖像権など、クリアしなければならない問題が増えています。最初は断ろうとも思ったんです。でも、施設には友人の江口和憲さんもいますし、訪ねて行くと私の名前を覚えていてくれた入所者もいて、引き受けた。撮っているうちに、自分は自分の映画を撮ればいいんだ、だんだんそう思えるようになりました。『夜明け前の子どもたち』をまったく意識しなかったとは言いません。たとえば琵琶湖畔で葦が揺れる、瀬川順一さんの素晴らしい画があります。すると葦なんて絶対に撮らないと思ったり(笑)。

──琵琶湖畔で葦がざわざわ揺れる場面などには、堂々たる時代劇の風格があります。
小林
 瀬川さんへのオマージュとして、葦の代わりに竹を撮りました。しかし、『わたしの季節』のクランクインを決めた直後、私自身が脳梗塞で倒れてしまった。病を得て心境が変化したせいか、それまでに撮ってきた4本(略歴参照)とはガラッと違う映画になりました。とは言いながら、柳澤監督といっしょに十数年映画をやってきて、映画以外の付き合いも長いですから、柳澤監督から教わった感覚で映画を作っているのも事実です。

──病気で倒れたのが2002年5月で、クランクインが同年10月。よく回復されました。
小林
 5月に倒れたあと、7月後半に、第二びわこ学園で親の会の総会があった。江口さんから「来ないか」と誘われて、行くことにしました。女房に付き添ってもらい、クルマに布団を敷いて、助監督の運転で滋賀まで行った。江口さんは、手を伸ばせばできそうな課題をいつも私に与えてくれる。

──小林さんは、同志社大学で2年生になったばかりの1974年4月に、江口さんと出会う。その直前の春休みに、小林さんは、広島・水俣・長崎と回る旅をしています。
小林
 そもそもは、足尾鉱毒事件の田中正造への興味からはじまります。大学入学直後に、たまたま古本屋で『田中正造と近代思想』(中込道夫著、現代評論社、1972年)を見つけた。手に取って、小学校高学年で見たテレビ番組、「農民のために命を捧げた義人・田中正造」を思い出しました。大学入学後で、中学からつづけてきた砲丸投げをやめるか、悩んでいた時期です。渡良瀬川は百キロ以上あるんですが、すぐに国土地理院発行の地図を購入して、地図十数枚を貼り合わせて、全体を見渡せるようにした。本に出てくる地名、谷中村や、農民たちが請願のために集合した雲竜寺とかを地図に印をつけていった。一週間後には、現地を訪ねる旅に出ていた。ヒッチハイクをしたり鉄道に乗ったりしながら、一週間くらいかかって足尾まで行きました。駅舎に降りた途端、一望できる山という山のすべてが岩しか見えない禿げ山だった。『人間の条件』(小林正樹監督、6部作、59~61年)で、満州のシーンとして撮られた場所であるのは、あとで知りました。その風景を見て、陸上をやめる決心をした。

──田中正造に惹かれたのはどうしてでしょう。
小林
 まず、有名な肖像写真で、こちらをかっと睨んで髭がまっ白という、あの顔がよかった。彼が最期に倒れたときには、頭陀袋に聖書と日記と小石くらいしか入っていなくて、精魂つきるまで農民に尽くした、そんなイメージでした。あとで、林竹二『田中正造の生涯』(講談社現代新書、1976年)を読んで、最初は上から目線で農民を指導していたのを知ります。しかし、谷中村の村民が、家を川の水に流されても、またそこに仮小屋を立てて住み着こうとする姿を見て、自分はなんと上から彼らを見ていたのかと田中正造は反省する。個人的には、田中正造と足尾鉱毒事件を知ることで、現場に立つ大事さを体験し、それまで茫洋としか見えていなかった明治時代が、細部をともなって見えてきた。

──さらに現代における人間の過ちを見ようと広島、水俣、長崎を巡る旅に出た。
小林
水俣には一週間ほど滞在します。熊本の水俣病を告発する会に紹介してもらい、「侍の家」を訪ねました。そこで、水俣市出身で同志社大学の学生だという江口さんの名前を聞くんです。京都に戻った4月、学内で土本典昭監督の「水俣シリーズ」の上映会があった。自分がついこのあいだまでいたところだと思いながら、見た。しかし、自分は、患者さんとほとんど話ができなかった。土本さんのカメラは、患者さんの家の奥深く入っていく。愕然としました。表現というのは、自分がそこにまず行かなければいけない。そして話を聞く。人間の付き合いの深さに驚いた。上映会の会場から出ると、本当に空が違って見えました。その足でキャンパスを歩いていると、水俣病患者の支援と救済のための古本市をやっている青年がいたんです。もしやと思って名前を聞いてみると、江口さん本人でした。それから「京都・水俣を告発する会」などをとおして、40年以上の付き合いになります。

──『わたしの季節』の完成が2004年です。
小林
 途中で行き詰まったとき、江口さんに相談したら、「映画に登場するみんながきっと助けてくれる」と言ってくれました。『わたしの季節』試写会の直後、彼は肝臓ガンで亡くなりました。53歳です。『わたしの季節』は、江口さんの遺作だと思えてなりません。
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この記事の中でご紹介した本
そっちやない、こっちや ――映画監督・柳澤壽男の世界/新宿書房
そっちやない、こっちや ――映画監督・柳澤壽男の世界
著 者:岡田 秀則、浦辻 宏昌
出版社:新宿書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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