小林茂氏に聞く 第2部〈小林茂の映像の世界〉聞き手=鈴木一誌|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月8日

小林茂氏に聞く 第2部〈小林茂の映像の世界〉聞き手=鈴木一誌

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第3回
時間と変化
 

──小林監督はこれまでに六本の作品を監督していますが、六本を通じて言えるのは、小林作品は、時間ではなくて変化を撮ろうとしている。相対性理論や量子力学からは時間は実在しないと言われています。少なくとも、一方向にだけ流れる時間はない。だが、鉄が錆び、ものが朽ちるという変化はある。われわれの思考は時間という物語に縛られすぎている気がします。ドキュメンタリーにおける「できるまで映画」も、時間に重きを置くのか、変化をひたすら見ようとするのか、境界線上にあるのだと思います。
小林
 柳澤監督の「福祉ドキュメンタリー5部作」は、時間の映画としては語れないところがあります。

──小林さんが柳澤監督についた時期は、柳澤監督が時間から自由になりつつある時期だったと思います。あるいは、時間に頼り切れなくなった時期ではないか。『そっちやない、こっちや』が、一見、幸せな作品に見えるのは、ポパイの家の「できるまで」が映画のコアになっているから達成感がある。しかし、ポパイの家のエピソードを除いて見ると、映画全体は時間軸に捉われていない。小さな実現が積み重ねられて、かならずしも成長や進歩にだけ関心を寄せているのではない。さらに『風とゆききし』になると、途中で二度の中断があったせいもありますが、時間の流れに映画を委ねず、何かが突然起きていく。移転や牧場の業態転換とか、戦災孤児の話のように、ざくざくしたシークエンスの積み重ねになっている。そうした映画作りに付いた小林監督が、時間ではなく、変化の作家への道を歩んだ気がします。
小林
 そんなふうに考えたことはありませんでしたが、なるほど、私は自分の価値観の変容にはとても興味があります。作品ごとに、みずからの価値観を変化させていきたいと思っています。

──『わたしの季節』は、第二びわこ学園の建物が解体され、新築された施設に移行するまでの切断面を描いている。時間の流れではなくて、変化が描かれているのではないでしょうか。
小林
 この映画は明らかに私自身の価値観の変容がベースになっていると思います。

『風の波紋』スチール 写真提供・カサマフィルム
──『風の波紋』(2015年)にしても、確かに壊れた家を修復するまでの「できるまで映画」の要素はありますが、修復が完成したあたりから、時間から自由になっていく。小林監督も「この人らしいと思える場面や表情がとらえられたとき、写真を撮り重ねるようにカメラを回していた」(『ぼくたちは』)と書いています。
小林
 映画における人と人の出会いなどは、長い人生のなかでは一瞬みたいなものです。自分の人生とクロスする瞬間でも、その人らしいと思える瞬間をみつけたいですね。映画の中の登場人物たちがいい顔をしているのが気にいっています。

──小林監督のなかにある写真と映画の関係を考えます。写真という手法が、小林監督のなかで安定した技術としてあり、映画を写真的に考えている面があるのではないでしょうか。ドキュメンタリーのなかで、映画と写真、時間と変化、これらの関係が渦巻いていると言えると思います。『阿賀に生きる』は、微妙なところを瀬踏みしている感じがします。時間とともに、何を表現しようとしているのか、そうではないのか。時間を諦めてしまうと、こんどは終われなくなるというジレンマが出てくる。
小林
 鈴木さんの話をうかがっていて、はっと思いました。いっぱんに映画人は物語という言葉をよく使いますが、自分は、物語性にはあまりこだわりがないんです。もちろん、物語を軸とすれば見やすいですから、まったく無視するわけではありません。『風の波紋』で言えば、地震があって家が壊れて、それを建て直す。そういうストーリーがひとつあります。ただ、それにずっと引きずられたくない。映画を見た人に、「地震によって壊れた家を建て直す映画」だと思われては、非常に困る。
『風の波紋』スチール 写真提供・カサマフィルム

──『風の波紋』は、「3.11」関連の映画にはまったくなっていませんね。
小林
 地震の話はなるべく前半の方で終わらせる。地震が起こったときは、誰だって困る。そこで何かの出来事があり、変化が生じるのだから、キャメラを回せばいい。でも、地震があったからこうなりましたとなると、嫌なんです。

──小林監督は「地震も日常に起きたひとつの事件と考えてカメラを回そう」(小林茂『雪国の幻灯会へようこそ 映画『風の波紋』の物語』岩波書店、2016年)と記されています。柳澤作品と小林監督の作品に共通するのは、登場人物が映画のあとどうなったのかが気になる点です。
小林
 出来事も、何年か経ったあとには、あんなこともあったなと振り返りながら、人間は生きていくものですよね。見終わって、十年後を想像してもらえるような映画にしたい。基本的な考えとしては、まずはシーンが大事で、そのシーンを積み重ねていく。編集するうえで、映画はどうしても時間軸をもち、シーンの順番を変えると違う映画になるが、そこは編集の領域です。

──シーンなりシークエンスのなかで時間は流れているけれど、それの積み重ねは、イコール時間のドラマではない。シーンの順番を変えるとたしかに違う映画になりますが、シーンの積み重ねからできた映画は、シーンの順番を変えても成立します。『風の波紋』でも、シークエンスを入れ替えると違う感じにはなるが、崩壊してしまうわけではない。柳澤監督の『風とゆききし』でも、カリちゃんが追い出される、自殺者が出るというエピソードはあるが、その順番にドラマ性が込められてはいない。
小林
 柳澤監督にとっての映画作りの喜びは、自分たちの予想していないことが起こることですね。ひとつひとつのシーンに込められた意味がすごく大事です。現実を見れば厳しいけれど、シーンのなかで、小さい何かが実現されている。それを見せることで、人々を元気づけられるんじゃないか。そんな思いがある。

──小林監督は、『わたしの季節』に登場する人物について、こう書いています。「私はドキュメンタリー映画では公明さんのような人物像を描くのは難しいのではないかと思った」(『ぼくたちは』)。普通に労働し生活している人間と違う時間感覚の世界がある。彼について施設のスタッフが、彼がなぜ機嫌が悪いのかと不審に思っていたら、一週間も前の些細なことを怒っているのに気づきます。そうした人物を既成の時間感覚で描こうとしても、無理だと。
小林
 薬害スモンの写真集『グラフィック・ドキュメント スモン』(日本評論社、1990年)を七年間くらいかけて作っていた時のことです。それまでは、車椅子や杖といった見えやすいものを撮っていた。あるとき、ボランティアをしていた薬害サリドマイドの学生から「小林さんのカメラは障害を誇張して撮っているんじゃないか」と批判された。そのときは否定しましたが、よく考えてみたら、自分は車椅子や杖に捉われていた。それからは、見えやすいものを撮るのをやめました。

──小林さんは「私は目に見える形にとらわれることをやめた」(『ぼくたちは』)と書いています。
小林
 たとえば内部疾患は、写真として撮りようがない。スモンの患者さんには、外出する際には水も飲めない人もいるんですが、その苦労は写せません。綺麗な目をしていても、目が見えない人もいます。見えないことをどう撮るのか。ある人と三年付き合ったとしても、とても短いものです。写真で取材する場合は、一日や二日、長くて一週間くらいで、すれ違いみたいなものです。そのときに、自分がいちばんこの人らしいなと思える瞬間を捉える。そういう方向に考えを変えてみた。ときには、杖の姿も撮ります。しかし、それだけがその人ではない。『阿賀に生きる』と同じです。どういう症状がありますかと聞いて、傷を見せてもらう、そういうシーンは絶対に撮らない。相手が話してくることもありますが、こちらからは聞かない。スモンの取材中、秋田ではこんなことがありました。自分が作ったトウキビを私たちにごちそうしてくれようと、ぱっとトウキビをもいで、にかっと笑った。その顔と、杖をついた姿の写真のどちらか一枚を選ぶとしたらどうするか。笑った瞬間のほうを本に入れました。『わたしの季節』も最初は、重たい障害をもつ人が、社会的にどう処遇されるべきか、そういうテーマ意識をもっていました。ところが、実際に自分が脳梗塞で倒れた時、考えがガラッと変わってしまった。医者や看護師が、自分のことを病人として見ている。その医者や看護師の立場が、私だったわけです。重たい障害の人たちを、どう撮るかを考える自分自身の目線が高かった。

──『わたしの季節』のストレッチャーから見た天井のシーンが印象的でした。視点の転換ですね。
小林
 自分が倒れた経験から生まれたカットです。ストレッチャーに寝ている子どもたちは、こういうふうに見ているのかと、このアングルはいただきだと思った。

──映画を構成する要素としてシーンが大事というよりは、シーンそのものがもつ意味が大事なんでしょうね。全体と関係をもちつつ、そこから解き放たれて観客に投げかけられた意味が大事だと。ゆえに物語ではなく、シーンの積み重ねになっていく。
小林
 シーンの積み重ねではあるゆえに、かえって編集は重要です。全体でありつつシーンが解放し得る構成をしなければならない。
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この記事の中でご紹介した本
そっちやない、こっちや ――映画監督・柳澤壽男の世界/新宿書房
そっちやない、こっちや ――映画監督・柳澤壽男の世界
著 者:岡田 秀則、浦辻 宏昌
出版社:新宿書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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