藤沢靖介、斎藤洋一、吉田勉が語る 『東日本の部落史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 (東日本部落解放研究所編、現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月11日 / 新聞掲載日:2018年5月11日(第3238号)

藤沢靖介、斎藤洋一、吉田勉が語る
『東日本の部落史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』
(東日本部落解放研究所編、現代書館)

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第3回
差別と解放

斎藤 
 藤沢さんが積極的に提案したけれど、皮なめしが穢れた嫌がられる仕事であるとの位置づけそのものがおかしいという点です。それは学者が皮は穢らわしいものであると言ったのではないか、と。部落民は人が嫌がる仕事をしてきたから差別されたという説明の仕方ですよね。
吉田 
 皮なめしは職人として高度な技術を持っていて誇りを持っている。差別と誇りのギャップをどう考えるか。
藤沢 
 部落を語る時に、独自性のある社会集団であるという語り方は解放運動の中ではほとんどされていない。部落は差別されたことに間違いはないけれど、自立した社会集団でもある。かつての見解の一つによれば部落は乞食ですよね。乞食だから差別される、アウトローだから旦那場の権利を持っているといった論調は違うと思っています。
吉田 勉氏
吉田 
 旦那場を基盤に皮革処理や草履作りを自立的に展開した。旦那場の権利があるので誇りを持っていたことを前提に今回は書かれています。そして近代化の中で弊牛馬処理も同じように権利を失っていく。旦那場の権利が衰退し、無くなっていく。そのプロセスで近代的な部落差別の深刻化も進行していく。今後の課題は、近世までを前提にして近代以降の部落差別がどのように展開したのかを考えなければいけません。もう一つ私が考えているのは解放とは何かという問題です。融和運動はマジョリティに平準化することで差別を無くす。水平社運動はマジョリティに平準化するのではなくて穢多であることを徹底し社会そのものを水平化する。上からの思想ではなく、在地社会の動向から自分たちの解放をどう考えたのかという視点で歴史像を再構成する。差別を問題化するとともに当事者がどのように自らの解放を展望していたか。水平社運動の前段があっての水平社運動だと思います。当事者の視点から水平社運動を位置づけ直す必要があると思っています。
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この記事の中でご紹介した本
東日本の部落史Ⅰ関東編/現代書館
東日本の部落史Ⅰ関東編
編 集:東日本部落解放研究所
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
東日本の部落史Ⅱ東北・甲信越編/現代書館
東日本の部落史Ⅱ東北・甲信越編
編 集:東日本部落解放研究
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
東日本の部落史Ⅲ身分・生業・文化編/現代書館
東日本の部落史Ⅲ身分・生業・文化編
編 集:東日本部落解放研究所
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
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