ザ・ビートルズ写真集 マッド・デイ・アウト 書評|トム・マレー(ヤマハミュージックメディア)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年5月12日 / 新聞掲載日:2018年5月11日(第3238号)

その日は1968年7月28日 
過渡期の貴重な4人だけでなくあの時代の空気もコラージュする

ザ・ビートルズ写真集 マッド・デイ・アウト
監修者:藤本 国彦
写真家:トム・マレー
出版社:ヤマハミュージックメディア
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“当時は、若手が訓練や講義を受けないまま、いきなり難しい仕事を任されるというのが当たり前の時代だった。カメラマンになりたければ、カメラを手にして、「私はカメラマンです」と言えばそれでよかった。私の場合もまた、例外ではなかった”

この写真集を撮影したトム・マレーは回想エッセイでそう書いている。

彼は当時25才。エリザベス・テイラーやジョン・ヒューストンのポートレートなどを手掛け、ビートルズを撮影する3人目のカメラマンとして抜擢された。

でも、撮影当日まで誰を撮るかは知らされておらず、スタジオの扉の向こうから流れてくるポールの歌声で初めて気づいたというエピソードも明かされている。
本書より(見開き)
その日は1968年7月28日だった。

そう、1968年である。

世界は“世代間闘争”の波に洗われていた。今風に言えばサブカル。カウンターカルチャー。既成世代とは違う新しい価値観の衝突。アメリカでは西海岸でのヒッピームーブメント、フランスではパリの5月革命、中国の紅衛兵、日本では日大と東大で全共闘が結成され全国の大学がバリケード闘争に突入していった――。

どれも個別の思想背景を持っており同列に扱うことに異議を唱える人もいるかもしれない。でも、既成世代との断絶という意味では同じ土俵にあったと思う。

中でも最もアーティスティックだったのがロンドンだろう。スインギン・ロンドン。ピーコック革命と言われたファッションの新しい波。ビートルズがその象徴だった。

64年に全米を制覇して史上最大のアイドルグループになり、ロック史に残る金字塔アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を発売したのが67年。そこからそれぞれが新しい在りようを求めるようになると同時に、4人の不仲説が語られるようになったのも68年だった。

例えばインドへの関心やジョンとヨーコの平和運動への傾倒、更に音楽を軸にしたビジネス展開を目論む会社、アップル・コアの設立などだ。この年、彼らがどんな動きをしていたかはビートルズ研究家、藤本国彦の解説に詳しい。近年、時が経つほどに神格化の度合いが深まってゆくビートルズが最も人間臭かった時期だ。この年に行われたレコーディングが68年の二枚組アルバム「THE BEATLES」で、撮影の翌日にレコーディングされたのが「ヘイ・ジュード」だった。

新聞社を皮切りにリバプール市内7か所を丸一日かけて回り、最後の場所がポールの自宅だったという撮影は前年のテレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー」の名残かもしれない。すでにお仕着せの宣伝用写真に満足する4人ではなくなっていた。初対面のカメラマンの起用も新しい何かを求めていた表れだろう。

この写真集は2016年にトム・マレーが自分のキャリアを総括する回想録として1000部限定で発売されたもの。つまり未発表写真ということになる。なぜそうなっていたかの経緯は定かでない。でも、それぞれの場所での4人は初期の若々しい姿とも解散直前の内省的な苦悩を感じさせる表情でもない。過渡期の貴重な4人だけでなくあの時代の空気もコラージュされている。

60年代の終わりから70年代。誰もが若かった。

そして、なろうとすれば誰もが何かになれた。この写真を撮影したトム・マレーのようにだ。

タイトルの「マッド・デイ・アウト」の意味は“ハチャメチャな一日”。それは、1968年という時代そのものに向けられているようにも思った。(刈茅由美訳)
この記事の中でご紹介した本
ザ・ビートルズ写真集 マッド・デイ・アウト/ヤマハミュージックメディア
ザ・ビートルズ写真集 マッド・デイ・アウト
監修者:藤本 国彦
写真家:トム・マレー
出版社:ヤマハミュージックメディア
以下のオンライン書店でご購入できます
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