二十歳のドゥールズに出会い直す 『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社)刊行を機に 宇野邦一・堀 千晶対談|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年9月2日 / 新聞掲載日:2016年9月2日(第3155号)

二十歳のドゥールズに出会い直す 『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社)刊行を機に 宇野邦一・堀 千晶対談

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『差異と反復』『意味の論理学』『千のプラトー』『アンチ・オイディプス』等の著作で知られる、二〇世紀のフランスを代表する哲学者ジル・ドゥルーズが亡くなってから、昨年で二〇年が経った。そのドゥルーズが、ガタリ、フーコー、クロソウスキーらに宛てた書簡や、ヒューム講義、『アンチ・オイディプス』に関する対話、未刊行テクスト、生前は刊行を禁じられた初期論考、これらをまとめて収録した論集『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社)が上梓された。刊行を機に、訳者である宇野邦一、堀千晶の両氏に対談をしてもらった。 (編集部)

「お蔵入り」だったテクスト

最初に、『書簡とその他のテクスト』の概略をお話しておきたいと思います。原書が出版されたのは、ドゥルーズ没後二〇年にあたる昨年十一月で、彼の命日にあわせて刊行されました。ドゥルーズの死後にテクストを集成したものには、すでに『無人島』と『狂人の二つの体制』がありますが、『書簡とその他のテクスト』が三冊目で、ミニュイ社から出るものとしては、ひとまずこれで最後になるようです。全体は三部構成で、第一部が一九六〇年代半ばから亡くなる一九九五年までに色々な相手に送った「書簡」。第二部は一九五〇年代半ば以降の「様々なテクスト」で、その中にはたとえばヒューム講義、『アンチ・オイディプス』をめぐる討論、『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』アメリカ版序文などが収められており、加えて彼によるデッサンもあります。そして第三部の「初期テクスト」は、ドゥルーズが二〇歳から二二歳までのあいだに発表しながら、書誌に加えることを拒否していたテクストです。この本に収められているのは、今まで目にすることができなかったもの、もしくは出版されていたとしても別々の本に散らばっていたもので、それがこうして一冊にまとまると、見え方がかなり違ってくる。たとえば最初期のテクストをまとめて読むことによって、それがのちの思想にどのように繋がり、展開されていったのかも、よく見えるのではないかと思います。まずは宇野さんに、今回の本を訳しながら感じたことをお伺いしたいと思います。
宇野
堀さんとふたりで訳すことになって、どこを訳そうかと考えてみたんですね。去年夏「書簡集」が出るとだけ聞いていたんですが、原書を手にしてみると、かなり多様なテクストが入っている。書簡に関しては、ドゥルーズの思想の展開にとって重要人物だったフェリックス・ガタリ、ミシェル・フーコー、クロソウスキーらに宛てたもの、その中でも、ガタリ宛てが一番たくさん収められています。それからドゥルーズを慕った人たち。「弟子」というわけではありませんが、ドゥルーズを読み、講義を受講し、影響を受けた人への手紙もたくさんあります。僕自身もドゥルーズの講義を受け、本を読み、それに触発されて物を考えて来たので、触発されればされるほど、その強い影響からどうやって外に出ることができるか。影響を受け、それを吸収しながら、自分の考えを展開していくにはどうすればいいのか。そのことが大きな悩みでもあったわけです。書簡を読んでいると、ドゥルーズを慕う読み手たちとの様々なやりとりがあり、当時の感覚が蘇って来ることもあって、何か胸騒ぎがするというか、他人事としては読めませんでした。僕も、ここに収められた書簡が書かれたのと同じ時期に手紙をもらったりしていますから、妙に生々しく感じられた。また通常の論文と違って書簡ですから、六〇年代ぐらいから最晩年までの、ドゥルーズが取り組んだありとあらゆるテーマが次々断片的に出て来ます。そうなると、これを訳していると、頭がかなり混乱してくるんじゃないかと思ったんですね。だから自分では敬遠して(笑)、書簡のほうは若い堀さんに任せて、後半を担当させてもらうことにしたわけです。具体的にはマゾッホ論から訳しはじめました。日本では『マゾッホとサド』として刊行されている一冊のマゾッホ論があるわけですが、それ以前一九六一年に雑誌に発表された「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ」というエッセーです。これは二〇〇五年に、國分功一郎さんが一度翻訳されています(『みすず』第47巻第3号)。ドゥルーズは、この時点で既に、後に『マゾッホ序説』として結実することになる単行本の、しっかりとした輪郭を提出していたのです。
この「マゾッホ論」を訳した後に、『アンチ・オイディプス』に関する長い座談を訳しました。この座談もお蔵入りになっていたものです。映画批評家であり、アンリ・ミショー全集の編纂者でもあるレイモン・ベルールが司会・聞き手になって、『アンチ・オイディプス』が出た直後の一九七三年に行なわれた座談会です。本が刊行されて間もないので、議論も生々しく、友人同士と言ってもいい集まりですから、歯に衣着せぬ発言の応酬が見られます。時には相手を「馬鹿」呼ばわりまでして(笑)、「おまえは何もわかっちゃいない」みたいなことまで言っている。レイモン・ベルールは、「欲望には欠如なんてあり得ないという主張が、自分にはどうも解せない」と言い、非常に基礎的なところで二人に食い下がって長話しをしています。この座談はとても面白かったですね。
後半に収められた初期のテクスト五点に関しては、その中に「キリストからブルジョワジーへ」というテクストがあります。一九九四年に『千のプラトー』を六人で共訳した時に、『ドゥルーズ横断』という論集を同時に編纂したんですけれども、その時に僕が書いたテクストは、「キリストからブルジョワジーへ」に触発されたものでした。これは二十歳のドゥルーズが書いた国家論であり、非常に印象的なテクストです。後のドゥルーズ=ガタリによる国家論にまで繋がっていく萌芽としても読める、それ自体がじつに見事な論文です。ドゥルーズの生前「訳させて欲しい」と手紙を書いたら、「絶対にだめ」「piti驕iどうか憐みを)」と答えてきて(笑)、承諾を得られませんでした。当然ながら、いまではわりと流通しているテクストであって、日本では加賀野井秀一さんが『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』をまとめた時に、これを訳されました。他にも四本、未刊の初期テクストがあることは薄々知っていましたし、気にかかってもいましたが、なぜかすぐに読もうという気が起きなくて、いつの日にかの楽しみにという感じでいました。堀さんは、すでに読まれていたんですか。
はい。日本の大学図書館にも原本が数点あって、残りはフランスの国立図書館に収められています。
宇野
僕は今回初めて読んで、ちょっとわくわくしました。こんなに面白いテクストを、なぜドゥルーズはお蔵入りにしようとしたのか。ドゥルーズの生前に未刊行のテクストはいくつもあって、『無人島』と『狂人の二つの体制』で、そうしたテクストの、いわば「落穂拾い」がされた。もちろん「落穂」どころか、その中にはとても重要なテクストがいくつもあったわけです。今回の本に収められたのは、二つの集成にも入らなかったもので、特に初期のテクストは、ずっと遺族の承諾を得られていなかったものですが、たとえお蔵入りにしたとしても、読みたい人は読んでいますから、今回ついに家族もOKを出したということですね。初期のテクストをまとめて読んでみると、二十歳のドゥルーズに出会い直すことができる。あるいは『アンチ・オイディプス』を書いた直後のドゥルーズ=ガタリの生々しい表情にも出会える。そういう貴重なドキュメントであり、なおかつ鋭利な哲学的問題提起でもある文章が並んでいます。堀さんも言われたけれど、初期の思考が後の本格的著作にどのように繋がっていくのかを考える上でも、とても重要な本になると思います。

手紙が持つ生々しさ

私はドゥルーズ本人に会ったことはないですが、手紙が持つ生々しさというのは、訳していてよく分かりました。「声」が聞こえてくるというか。特定の相手に向けて発した言葉なので、トーンの使い分けもわかりますし。たとえばミニュイ社で叢書の編纂をしていたジャン・ピエル宛の書簡を見ると、すごく丁寧な言葉遣いをしていて、いったん引き受けた仕事を断りつつ別の仕事を売り込んでいたり(笑)。細かな言い回しも含めて、書簡からは彼の息づかいが感じられます。
宇野
生々しくて、しかもさりげない情愛が溢れている。すべての人に、ああいう手紙を書くわけではないでしょうけれども、多くは友人同士のやりとりであって、じつに率直な言い方をしている。手紙の中でしか表現されない親しみを込めた言葉が多く見られますが、決して社交的ではなく、むしろ偏った友情のセンスが感じられる。彼のいう「秘密」の次元とも関係します。ドゥルーズがどういう生き方をしたかということを、書簡は端的に示していると思います。
手紙の末尾を「amiti驕v、つまり友情に満ちた親愛の念で締めくくるものが多いんですね。逆に、ちょっと変なことを言って来た人に対しては、あっさり「敬具」で済ますとか。手紙を読むと、彼が相手のことをきちんと丁寧に考えて書いているのが、よくわかります。そして絶対に馴れなれしくはならない。ところで『狂人の二つの体制』には、ドゥルーズが宇野さんに宛てた手紙が二通入っていましたよね。これは本当に貴重な手紙で、今回の書簡集が出る前まで、この二通を除くとあまり書簡は公にされていませんでした。他にはマスコロ宛てくらいでしょうか。
宇野
親しい知人の著作に寄せた文章などありましたが、確かにそうですね。
宇野さん宛の書簡は一九八二年と八四年、『現代思想』に二度翻訳が掲載されています。これは公開を念頭においての書簡だったのでしょうか。
宇野
ふたつともそういう感じで頼みました。
今回、書簡をまとめて訳した後で読み返すと、厚い信頼関係と言えばいいのでしょうか、その輪郭が以前よりはっきり浮かび上がるような感じがして、とても新鮮でした。
宇野
ひとつ目は『千のプラトー』を訳していた時期ですかね。『現代思想』でドゥルーズの特集号を出すことになって、手紙の交換ができたらいいと思って、彼に長い手紙を書いたんです。半分無理強いみたいな感じだったんですが、それで書いてくれたのが、あの手紙です。二回目は、ドゥルーズ=ガタリの特集号のためでした。今度はふたりがどういうふうに仕事をしたかをテーマにして、まずガタリに対してロングインタビューをしました。ガタリから「ドゥルーズにも話を聞いてみたら」と助言されたこともあって、再度手紙を書いたんですね。締切りまでそんなに時間もなかったので答えてくれるか、まったくわからなかったのですが、特集記事がゲラになりはじめた頃に手紙が届いて、急きょ訳して載せることになったわけです。
ドゥルーズとガタリがどうやって一緒に仕事をしたか。あの手紙は、彼らふたりでの仕事について語る素晴らしい証言になっています。
宇野
見事なエッセーで、ガタリが何者であるかということも、きちんと表現している。ひとつの「作品」と言っていいと思います。書簡の話はさておいて、初期テクストについて、堀さんの読解を少しお聞かせいただけますか。

サルトルの影響

 冒頭でも少し申し上げましたが、後の時代に繋がる要素が、とても面白かったですね。たとえば「女性の叙述」(一九四五年)を読んでいると、すでに「顔」に対する鋭敏な関心をもっていることが分かります。そのなかには「お化粧論」があって、おそらくファンデーションをイメージしていると思いますが、一方には表面系のお化粧がある。他方で、口紅のように穴を縁取る、開口部系のお化粧の話が出て来ます。この二極を区別してドゥルーズは議論を進めるのですが、『千のプラトー』(一九八〇年)での「顔貌論」でも同じように、「白い壁」と「黒い穴」によって、表面と穴によって顔は構成されるという議論があります。こうして意外な形で、後年にまで伸びてゆく線が浮かびあがってきます。また「女性の叙述」での「ほくろ」と「そばかす」の対比もたいへん面白い。顔にほくろがあるのではなく、逆に、ほくろに顔が付属している、ほくろを中心に顔全体が組織されると彼は考えるわけですね。一種の中心化作用です。それに対して、そばかすはもっとはかないものであり、奥からそっと立ち上がってきた厚みのない泡が、ふわっと皮膚の表面に浮き出し、まるでそこで静かに揺れているかのような描き方です。そしてほくろとはちがって、そばかすには中心化作用がなく、消え去る泡のようなはかなさを湛えながら、表面でじっと浮動している。それをドゥルーズは讃えるわけですね。彼は表面性を愛するような感性を、若い頃から持っていたわけですが、こうした議論を見ると、どうしても意味の表面、その皮膚を論じる『意味の論理学』(一九六九年)を想起してしまいます。
宇野
つまり「化粧」と「表層性」ということですよね。
ええ。そういう彼独特の考え方の萌芽ないしはそれ以上のものが、初期テクストにはすでにあります。それと初期テクストには一貫したテーマがあって、やはりサルトルの影響が端々に見られるのはたしかですよね。サルトルには「即自」と「対自」の対比がありますが、ドゥルーズは「内」と「外」や、「物」と「人間」、「認識」と「実在」などのテーマで考えており、のちのヒューム論では、「人間的自然」と「〈自然〉」というかたちで変奏され、そのあいだの対比をどう調停するのかという点が問題となる。こうやってテクストを並べて読むと、その辺りが見えて来る感じがしました。
宇野
確かにドゥルーズは初期テクストで、女性の問題を、とても印象的な仕方で扱っていますね。また、この時代のドゥルーズが、サルトルの影響を強く受けているというのも、その通りだと思います。サルトルが、ハイデガーの「現存在」というものは性を持たない存在であると指摘したことを、まず問題にしている。しかしサルトルも、結局「女性とは何か」という問題には入っていかない。ドゥルーズの理解では、そうなるわけですよね。ドゥルーズの場合、女性論を展開しながら、「顔論」「化粧論」の形で展開していきますが、そこで問題にされるのは「内部性」ということです。「内部性」とは、「内面性」、あるいは「観念性」という意味ではない。むしろ「外部性」の方が「観念的」である。ハイデガーの考える「存在」とは、「外部性」のことであり、ほとんど「男性」の存在論であることを前提としている。それに対比される女性の存在論があり得るのか。ラカンなら「女性は存在しない」というかたちで問題提起をするわけです。しかしドゥルーズは、女性の問題あるいは性の問題を論じるのに、ひとつも精神分析の用語を使っていない。そこは見事だと思います。すべてが内部性の中に折り畳まれていき、女性にとって他者性なんてひとつもなくなる。ところが、内部性がそのまま外部性であると、そういう言い方もしているわけです。だから男性的な内部性に対して、女性は外部性を形作っている。まさに化粧という技術も、そういうトポロジーを実現するものでもある。そこには弁証法というよりも、トポロジーの思考がある。内部性と外部性が、いつの間にか転換し、平坦な次元が出現する。こういうトポロジックな発想を、ドゥルーズはもっと洗練させていき、やがて「襞」「折り目を折る」という発想に凝縮していく。そういう意味では、内部性あるいは「ヌーメン(超感性的対象)」という、近づけるのに触れられないもの、それがソバカスだという言い方を、ドゥルーズはする。あるいは女性のアイシャドーについて、まなざしを内部化する技術なんだと言う。また額の皺について、これは男性の外部性の表現そのものであり、女性の額の皺とは全く違うものだというふうに、かなり滑稽な描写もしている。二十歳の青年が、こんな見方をしているのは、実に見事だと思います。
とても面白いですよね。

出発点としてのヒューム

宇野
もうひとつ、「発言と輪郭」という一風変わったテクストがあって、これも部分的には女性論になっていますよね。マスターベーションとか露出趣味といった性的なカテゴリーを、精神分析とはまったく無関係に、ある種の存在論として展開する。この辺りの文章を読んでいると、プルーストの影響がとても強いことがわかります。プルーストの登場人物が持つ倒錯性をドゥルーズは巧みに哲学化している。『失われた時を求めて』の中で、眠ったアルベルチーヌの姿を観察するシーンを取り上げて、それもまた女性論に繋げていく。〈眠る女〉とは外部性が一切ない状態であると言って、とても印象的な分析をしている。初期テクストの中の一番最後では、ディドロの小説『修道女』について論じていますよね。修道院で、「自由」という問題に直面する修道女が、修道院の中でどういう事態に出会い、同性愛的な関係に何を見出すのか、エピソードをたどりながら美しい考察をしている。この論文は、『修道女』の序文として書かれたものです。こうした一連の文章を繋いで読んでいくと、明らかに「マゾヒズム論」に繋がっていく発想の萌芽を見ることができる。「マゾヒズム論」では、苦痛を快楽と感じることが、マゾヒズムの一番本質の問題ではないという提案をすることになる。マゾヒズムとサディズムはセットで、マゾとサドが一緒になるとちょうどいいなんていう通念は全くの誤解だと、ドゥルーズは断じた。それよりもマゾヒストと女性との契約が大きな問題である。そういう意味では、「パパ―ママ―ボク」の三角形の図式から、父が完全に閉め出された世界が、マゾヒズムの構造である。「マゾヒズム論」の中には、女性つまり母との契約が法を覆すという論点も入っていますよね。法というのは父の法であるわけですから、父の法を覆す母との契約は、父の法を倒錯させてしまう。マゾヒズムとはそういう戦略であるという読み方を、ドゥルーズはしたわけです。ドゥルーズはガタリと出会い、『アンチ・オイディプス』で初めて「欲望機械論」に向かっていくようにみえますが、こうやって初期論文からの展開を読んでみると、実は、精神分析と相いれない欲望機械の内在性というモチーフは、初期作品から周到に形成されてきたことがよく見えて来ますね。
サディズムとマゾヒズムを分離したことが、マゾッホ論における概念の発明なんだと、ドゥルーズ自身が言っていますよね。S/Mは相互補完的なものでない、と。けれども同時に、「父系」の「法」の原理と、「母系」の「契約」の原理とを区別することもテーマであり、今のお話を聞きつつ初期テクストと対比してみると、サディズムとマゾヒズムばかりでなく、男性的なものと女性的なものとを分離し、女性的なものを取り出すことが重要な問題としてあったことがわかります。つまり、母/父、女/男は相補的なものではない、と。それは、「父―母―子」という家族主義的なオイディプスの三角形を決定的に破壊することにも繋がってゆくように思います。女性的なものは、この家族主義的な図式のなかに収まる一項なのではなく、三角形の外にあるまったく別の原理として取り出されるわけですから。また女性的なものに関わる問題は、『千のプラトー』の中で、「女性への生成変化」としても出て来ます。そこでも、「男性への生成変化」は存在しないという形で、女性的なもの/男性的なものという相補的ペアが成り立たないようになっている。それに先ほどのアルベルチーヌのお話と関連する点では、同じく『千のプラトー』での「秘密」をめぐる議論もありますよね。つまり、隠しているものが何もなく、すべてを外部に晒しているときにこそ、すべてが謎めき、秘密となるという話です。初期テクストを読んでいると、後年の本を単体で見ている時とは違う角度からラインが引かれていきます。
宇野
そうした初期テクストを、なぜドゥルーズは、二度と公にしようとしなかったのか。その後ドゥルーズは、長い時間をかけて、『差異と反復』、『意味の論理学』という記念碑的な仕事にいたる準備をする。この二冊をもって、「いつの日か世紀はドゥルーズのものになるだろう」とさえ、フーコーに言わしめる。しかしあの二つの書物の前には、『プルーストとシーニュ』もあり『マゾッホとサド』もある。ニーチェについても書いている。そもそもそれ以前に、ベルクソンとヒュームを丁寧に読解する時間をずいぶん長く過ごした。本人も、自分自身の哲学を十全に表現する前に、長い修行時代を過ごしたと言っている。今度の本にも、ヒュームに関する二回分の講義が収められていますね。
最初の講義が一九五七年から五八年で、二回目が六〇年代末のものですね。
宇野
その時期、ずいぶんヒュームに拘っていたようです。ドゥルーズは「カントは敵だ」と言っているけれども、カントに取り組む前には、ヒュームという布石があったわけです。ヒュームはドゥルーズに何をもたらしたのか。いろんなところで繰り返していることですが、「関係」ということについて語るのに、「~である est」ではなく「~と~」、この「と et」が思考にとって最重要な課題であると、ドゥルーズはしつこく言う。「と」とは関係の外在性ということです。関係は、結びつけるべき観念に対して外在的であるということで、なぜドゥルーズがあれだけヒュームに拘ったのか、イメージとしてはよくわかる気がします。この点について、堀さんはどう思われますか。
すごく難しい問題ですが、ドゥルーズの経歴を少し振り返りながら考えてみたいと思います。まず初期テクストを書いた後、ちょっと間があきますよね。「初期テクスト」は一九四七年のものが最後ですが、ドゥルーズが自分のビブリオグラフィに加えていいと認めたのは、五三年以降のテクストです。五三年に出た最初の単著が『経験論と主体性』というヒューム論なので、彼はかなり意識的に、自分の経歴の出発点をヒュームに据えたはずです。そしてそのあとで、哲学史と文学の研究を集中的に行い(ベルクソン、ニーチェ、カント、プルースト、マゾッホ、スピノザ)、その集大成のようなかたちで六〇年代末に『差異と反復』と『意味の論理学』を刊行します。では、なぜ最初にヒュームをやったのか。ドゥルーズのコーパス全体を振り返ってみると、ヒュームの存在感がある時期と、あまりない時期があって、初期にいったんヒューム論を書いた後、ヒュームは後景に退いていき、少なくとも断片的にしか言及されなくなる。そののち、たとえば『差異と反復』第二章の反復論で取り上げ直しますが、単純にまとめると、反復の三つの段階――習慣、記憶、断絶――のうち、ヒュームはベルクソン、ニーチェによって乗り越えられる第一段階にとどまっている。けれども、後期の『哲学とは何か』(一九九一年)を見てみるとヒュームが結論に登場し、主体性の問題に関して、かなり肯定的に評価しています。ですから、ドゥルーズにおけるヒュームの存在感というのは、時代によってかなり変遷がある。
宇野
そう思います。

「野性的な」思考法

 それと冒頭に申し上げなかったんですが、今回の本には、ドゥルーズ自身が八九年ころに作った書誌が入っていて、それを見るとどうもドゥルーズはヒューム講義を出版する予定であったらしい。これは少し驚きました。ドゥルーズには、五〇年代半ばから六〇年代頭くらいにかけて行われた講義が複数あって、ベルクソン、ルソー、ライプニッツ、カントなどについての講義が残っています。その中で「書誌」の時点では、ヒューム講義だけが刊行予定のものとして取り上げられている。ですから少なくとも、この時期のドゥルーズにとって、ヒュームの評価が高いというのはたしかだと思います。ところで、先ほど触れた『経験論と主体性』の特徴ですが、ドゥルーズは通常、主体に対しては、それを解体していくアプローチを取ります。ですが、このヒューム論だけは逆の形になっている。つまり、主体が解体しているところからはじまり、そのなかで、いかに主体が構築されるのかという経路を取る。精神の基底は無規則な妄想であり、カオスであるということを出発点に、綻びをはらみつつ、そこに何とか秩序をつくりだすというわけです。このことをどう評価するかということで、やはりこれは『哲学とは何か』の問題設定と親和性があります。
それとドゥルーズのヒューム読解には、ご指摘のあった「関係」の問題があります。ドゥルーズには「関係の外在性」という用語がありますが、これは端的にいうと、一種の全体主義批判です。超越的役割を果たす中心的な審級(項)が、社会「関係」全般を統御してしまうこと、超越的な「項」の内部に「関係」を取り込んでしまうこと――そのような議論に対する根底からの批判を、ドゥルーズは「関係の外在性」に見出していた。関係を項のなかに取り込むことは絶対にできない、超越的な項が関係を決めることはできない、と。ドゥルーズはヒュームの中に、こうした抵抗のモチーフを最初から読み込んでいたのではないでしょうか。そのときにドゥルーズの念頭にあったのは、おそらくヘーゲル批判です。すべてを単一なものの中に包摂してまとめていってしまうような思考様式に対する批判を、ヒュームの中に見出しつつ、同時にその彼をとおして、全体主義に回収されないような主体形成のありようを考えていたように思います。
宇野
この本に収録されているガタリへの書簡の中で、ドゥルーズは次のようなことを言っていますよね。「あなたは素晴らしい野性的概念の発明家である」。そしてこの「野性的な概念」とは、イギリス経験論つまりヒュームのなかにあるというわけですよね。こんなひと言によって、実に多くのことを言っている気がするんです。つまりドゥルーズはヒュームから、ある思考の内容、主題という点で強い影響を受けたというよりは、スタイルや着想、論の進め方のところで、ヒュームが染み込んでいる。そんな印象を受けるんですね。『経験論と主体性』を今回読み直してみて、やはり一番迫力があるのは、主体がはじめからあるのではなく、観念の集合として主体が構成される過程があるだけだ、というふうに論じているところです。「妄想」「幻想」「信念」といった言葉をキーワードとして使っていて、カントに比べると歴然としますが、要するに、理性とは妄想であり信仰であると言うわけです。そうやって大胆に理性批判をしながら、問題を提起していく。つまりここでドゥルーズは、哲学のアカデミックな伝統から遠い方法について語っている。その意味でガタリに対して、「sauvage(野性的)」であると言っていることも重要に思えるんですね。そうした「野性的な」思考法を、既にヒュームの中に見ている。ニーチェの方がはるかに「野性的」かもしれないけれども、むしろイギリス経験論に思考の野性を見る。ヒュームに関する講義を、ドゥルーズが重視したのも、そんなヒュームの思考のプロセスに逐一拘り、検証し直す必要性を感じていたからだと思いますね。
「野性的」とは、「飼い馴らされない」ということですよね。関係の外在性というのは、関係はまさに野性的なもので、それを飼い馴らすことはできないということでもあるように思います。それとヒュームに関してはもうひとつ、政治に関わるモチーフとして、「契約」と対比される「制度」の問題があります。『無人島』に収められている一九六三年のルソー論を、今回読み直してみたんですね。ドゥルーズには、社会契約論的な発想を批判していくモチーフがありますが、ルソーに関しても、ドゥルーズはヒューム的に読んで行きます。つまり、ルソーが「賢者の唯物論」を語る時に、人間の意地悪い側面が勝ち誇らないようにする環境、制度を作ることが重要だという話をしますよね。他人に対して意地悪をすることが、自分にとっての利益になるような環境だと、結局は他人に意地悪をする社会になってしまう。
宇野
邪悪であることがメリットであるような社会ということですね。
そうした事態に、制度的な環境を変えるところからアプローチしていく発想が、ドゥルーズのヒューム論にはあって、それをルソーにも持ち込んで読んでいく。
宇野
例のルソー講義で、自然状態ではなく、自然人とは何かということについて論じていくところは、「ヒューム論」と同じ論法になっていますね。
十七、十八世紀の思想においては、「自然」という問題が大きなテーマになるわけですよね。ドゥルーズも晩年になって、ガタリと一緒に「いずれ自然哲学の本を書きたい」と言っています。それとの繋がりで、これは妄想まじりの願望になってしまいますが、ドゥルーズのルソー論を単著で読みたかった気がします。ヒュームはもちろん、先行するスピノザとの関わりもありますし、それにニーチェとの関係もある。そうした系譜と絡まりつつ、機械主義を踏まえたどのようなルソー論が書かれえたのだろうかと、つい夢想してしまうのです。

ドゥルーズ=ガタリの政治学

宇野
 『無人島』に入っている「ルソー論」の中でドゥルーズは、「物に即する」という言い方をしていますよね。ルソーは『エミール』でも、子どもに物を持って来てやるのではなくて、物の方に子どもを行かせることを重視する。そのことと関連させて、『物の味方』という作品を書いたフランシス・ポンジュを引用したりする。初期テクストの中でも、ポンジュの詩からの引用が出て来ます。そして「感情を物にするのではなく、物を感情にしなければならない」、つまり「物が感情の比喩になっては駄目だ」と言うことです。またパントマイム、「マイム」に対して、アンチマイムとは何をやるのか。「物に即した表現でないといけない」「感情を物に翻訳するような表現は間違いである」と言う。ドゥルーズが二十歳そこそこで書いたことですが、「物に即する」という問題は、実は、政治的なコミュニケーションの問題にまで繋がって来ることですよね。ルソーは『社会契約論』にも、このような発想を注ぎ込むことになる。
その点は、『アンチ・オイディプス』の欲望論にも関わってきますよね。ドゥルーズとガタリは、欲望を心的なものではなくて、物質的なものとして規定しようとしています。いわば「欲望の唯物論化」が大きなテーマで、精神分析とマルクス主義との結合が行なわれていく際の鍵となる発想ですが、それは今回の本に収録された『アンチ・オイディプス』をめぐる討論の中に出て来る「乾燥の流れ」の話にも繋がっています。それは乾燥というのを、水が足りない状態として、欠如として読んではいけないという話で、むしろ乾燥という物質的なプロセスの流れがあり、その流れが、水を追いかける身体の別の流れと結合する。こうしたいくつもの物質的プロセスとともに、欲望をいかに構成していくか。それが『アンチ・オイディプス』の主眼としてあった。そうなると欲望を構成するために、欠如はいらなくなるわけですよね。内側で何かが欠けているから欲するのではない。つねに外側にある積極的なものが連結することで、欲望が構成され、アレンジされていくわけです。
宇野
『アンチ・オイディプス』をめぐる長い討論の後半に、「強度の科学」という言葉が出て来ます。『アンチ・オイディプス』では、いまでは誰もが知っているように、さまざまな領域における〈表象批判〉が展開されている。「表象」に対置される言葉は、ハイデガーであれば「存在」になるんでしょうが、ドゥルーズにとって何はさておいて「強度」となる。強度の科学をいかに展開していくのか。ドゥルーズ=ガタリは、のちにまさにマイナー科学の問題として、『千のプラトー』でこの点を大々的に展開しました。しかし討論の中で、ドゥルーズがちょっと席をはずしているあいだに、ガタリが「強度の科学なんて、自分は知ったことじゃない」と言っていますよね(笑)。つまり強度を科学にしたら、もう強度ではなくなってしまう。そうではなく、非表象的な秩序に基づく思考を、政治的な次元に展開していかないと、なんの意味もない、政治学でなければ駄目なんだと、ガタリは言っている。この部分は、とても印象的でした。もちろんガタリは、彼なりに一生の課題として、政治について考え、追求しつづけたとも言える。またドゥルーズにとっても、政治は哲学の根底にある問題であったはずです。しかし今度は、強度の政治学とは一体なんなのかという話になります。その点は、あの討論の中ではそれ以上に議論されていないんですが。最近でも、ドゥルーズ=ガタリの政治学とはなんなのかということについて、いろいろ議論が出て来ている。ドゥルーズは、マクロポリティックについてあまりに無関心だった、ということがよく言われます。たとえば『現代思想と政治』(市田良彦・王寺賢太編)という論集が今年のはじめに出て面白く読みましたが、あの中でも、ドゥルーズ=ガタリの議論は実は政治に触れていないんだというように疑問が提示されている。でも、その疑問自体について実のある議論は展開されていないし、展望も提出されていない。たとえば松本潤一郎さんが、アラン・バディウを取り上げて、少し踏み込んだ話をしています。「多様体」と言っているだけでは、闘争的・戦略的な論理が形成できないと、松本さんは言っているようです。いわば存在論的政治じゃ駄目なんだという批判をしているわけです。確かにバディウの中には、「出来事としての政治」という発想がはっきりとあり、そこを強調する。
宇野
 でもドゥルーズが「強度の科学」と、ガタリが「強度の政治」というような言葉で言おうとしたことが無効になったとは、僕は少しも思っていないんですよ。それに「出来事」概念は、「強度」と一体と考えられます。ドゥルーズ=ガタリの言った「平滑空間」や「リゾーム」が、あるいは「戦争機械」さえも、新しい資本主義や経営戦略の中に全部吸収されていった。それならどうやってリゾームのような概念の革命性を再発見できるのか。あの論集でも、ドゥルーズ=ガタリから遠くに行かなければという当然の要請と、しかしそれがあいかわらず強い磁力を放っているという両面を感じます。『Dark Deleuze』という本を読んで、語り口を新鮮に思いましたが、ドゥルーズ=ガタリの思想は、凄まじい両義性を含んでいて、明るいドゥルーズと暗いドゥルーズが同時にある。そこが面白いのであって、ダークなだけの思想家なんていくらでもいるわけです。ドゥルーズが持つあの異様な明るさ。あれがなければ、暗さの意味もない。しかし、そういう両義性がうまく読めない世界に入っている感じがします。「リゾーム」が、経営戦略でもあり、現代資本主義の装置でもあり、しかも抵抗や闘争の装置でもあるということは、揚げ足をとることではなくて、まさに彼らが発見したことです。我々は、そういうややこしい世界に入り込んでしまっているということです。だからこそ様々なリゾームを識別する必要があります。ドゥルーズの思考が持つ両義性自体が今の世界に吸収されつつあるかもしれない。しかし両義的である以上に多義的なのはこの世界そのものです。それに直面して対応するしかない。ところが両義性に対してがまんがならず、思想のほうに複雑性に対する辛抱がなくなっているんじゃないか。そういうことを思います。バディウやランシエールにしても、ときに性急な解答を出そうとしている感じを受けます。
ドゥルーズとガタリが『千のプラトー』で考えていたのは、新自由主義とファシズムの問題であり、この両者の結合だと思います。ギヨーム・シベルタン=ブランという研究者が詳細に論じていますが、『千のプラトー』において、新自由主義的システムは一種の全体主義であると名指されており、それがもたらす惨状が世界的に拡がっている。そして、それとは別に新たな形態のファシズムの問いが出てくる。つまりナチズムは、ファシズムの進化過程の一段階に過ぎず、それを通り越してまた別の形に進化していくような、新しいファシズムのことです。そこでは現代の情報環境を背景にして、常時、あらゆる住民を標的として戦争が仕掛けられることになる。しかもそれは、「善玉」であったはずの「戦争機械」の新たな駆動様式であるというわけで、この点における両義性は明らかです。たしかにドゥルーズとガタリの語っていたことが、既に現実のものとなったという指摘は、ある程度まではそうかもしれません。仮にそうだとして、では現状分析として、彼らと同水準のものがどれほどあるというのか。しかも彼らは、それを前提にした上で、抵抗の道を模索し始めていたわけです。そうした点を踏まえつつ、『千のプラトー』の概念装置の読み方、使い方を考えていかなければいけないし、無数のポテンシャルが現にそこにあると思います。
宇野
いろんな批判があっても、彼らの本が読まれつづけるのは、逆に言えば、今言ったような両義性の思考が、実は必要とされているということなのかもしれません。 
この記事の中でご紹介した本
ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト/河出書房新社
ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト
著 者:ジル・ドゥルーズ
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
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