柴田瞳『月は燃え出しそうなオレンジ』(2004) 膀胱炎になってもいいからこの人の隣りを今は離れたくない|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2018年5月22日 / 新聞掲載日:2018年5月18日(第3239号)

膀胱炎になってもいいからこの人の隣りを今は離れたくない
柴田瞳『月は燃え出しそうなオレンジ』(2004)

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おしっこを我慢してでも愛する人の隣りにいたいという、直球のように見えて実はけっこうなスピンのかかった一首である。古今東西、恋愛感情を表現する言葉は無数に紡がれてきただろうが、おしっこを我慢する気持ちによってそれを表現しようとしたなんて過去に類例をみないのだろうではないか。そう思わせるだけのインパクトがある。

しかし考えてみると、排尿という生理的現象すらも恋愛感情で乗り越えようとしているわけで、動物的な欲求を打破して究極的な人間性を獲得しようというとてつもなく強い気持ちに裏打ちされている歌でもある。いくらなんでも乗り越えられないと思うけれど。膀胱炎が女性に圧倒的に多い病気であることがこの歌を女性の声として頭の中に響かせる効果を出しているが、固めの医学用語と内容とのギャップもまたユーモアにつながっている。

「漏らしてもいい」ではなく「膀胱炎になってもいい」である点が見事だ。「漏らしてもいい」だと周囲の迷惑がどうだ誰が掃除するのかなどといった「社会」からの圧力をなかなか逃れることができないが、「膀胱炎になってもいい」はこの強い感情はあくまで自分一人で責任をとって引き受けるという覚悟のあらわれだ。もはや膀胱炎の中に隠れている「炎」という文字ですら、この強烈な覚悟をめらめらと燃え上がらせるイメージを導いてくれるものになっている。おしっこモチーフで、熱い相聞歌ができてしまうとは面白すぎる。(やまだ・わたる=歌人)
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