現代の危機と哲学 書評|森 一郎(放送大学教育振興会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年5月19日

世界への愛―危機の時代における希望の原理

現代の危機と哲学
著 者:森 一郎
出版社:放送大学教育振興会
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ひとを哲学へと駆り立てるもの、哲学の始まりは、プラトンやアリストテレスにおいては驚きであった。哲学の始まりはただのきっかけではなく、その後の歩み全体を規定する。それは時代や人間によってさまざまで、デカルトにとっては疑い、西田幾多郎にとっては「深い人生の悲哀」にあった。

ハイデガーは、「存在者が存在し、しかもこのように存在し別様にではない」という事実についての驚きに、またこの事実を教える死の不安に哲学の始まりを見た。「不安の無の明るい夜」のなかで存在者が存在者としてあらわになると言う。

哲学の始まりにおける闇と明るさの奇妙な共在はハイデガーの教え子アーレントにもある。彼女は、「政治的破局と道徳的災厄があり芸術と科学が驚異的に発展した二〇世紀前半」を「暗い時代」と呼ぶ。アウシュヴィッツと原爆投下以後の人間として、理論的観想を重視する哲学の伝統に逆らい、驚きを人間の行為の領域に向けた。人間にはこのような恐るべき行為が可能なのだ。しかし一方で、彼女はそこにかすかな光が射す期待を捨てなかった。

今日と将来の政治的出来事への彼女の恐怖を「戦慄」として受け止めたのが森一郎の『現代の危機と哲学』である。強引に整理すると、本書は、「神の死」を告げたニーチェを起点とし、ハイデガーを経由して、アーレントに至る道をたどるという仕方で、同時多発テロと東日本大震災に凝縮される今世紀の政治的破局と道徳的災厄を見据えつつ、近代から現代における危機に射し込む一条の光を「世界への愛」に見出す作品である。

森にとって、哲学の始まりに位置する闇と光は戦慄と喜びである。時代の危機が引き起こす戦慄が愉しい学問(ニーチェ)としての哲学を動機づける。

近代科学革命は自然を数学化し、全宇宙は無差別の均質空間となり、古代以来の宇宙観は崩壊した。ニーチェが説いた神の死とは、森によれば、キリスト教の失墜である以上に伝統的世界観の瓦解であった。だがそれにとどまらず、近代科学の根底をもなす真理や理性への信頼の喪失でもある。ヴェーバーやフッサールは生の意味から乖離している点に学問の危機を察知した。

学問の危機という意識はハイデガーにも強かった。一九二七年の『存在と時間』で一躍世界的哲学者になった彼は、三三年のナチ政権成立後フライブルク大学長に就任した。学問の意味と大学の使命を問い、この問いに国家と大学と民族の運命共同体の形成によって答え、労働に民族一体化の原理を見出した。『存在と時間』が現存在(人間)の中核に見た「気遣い」は労働に改鋳され、人間の活動全般と同一視された、というのが森の見立てである。

戦後のハイデガーはこの労働の存在論を批判的に発展させ、平時にも戦時にも万人が労働へと半ば自主的に召集される「総かり立て体制」を現代技術の本質として洞察した。

これを受けて、アーレントの『人間の条件』(一九五八年)は人間の活動を労働に一元化する動向を批判し、活動は、生命維持のための労働、世界の持続性を保証する耐久性あるものを生み出す制作、公共領域にあって他者たちとの間で語り合い自らの卓越性を示す行為に三分された。

原爆炸裂から始まった現代世界の危機の極致は「世界の終わり」「死んだら終わり」という戦慄にある。だが、森が言うには世界は終わらない。人間は死へと向かうだけではない。誕生によって世界に新しい始まりをもたらす。さらに各人の行為は、新しいものをもたらすから、第二の始まり、第二の誕生である。個々の命は滅びるが、世界は世代から世代へと渡され個人の死を超えて持続する。世界は死を超える。

戦慄すべき自らの死と世界の破局にさらされながら、二つの誕生と死を引き受けて人間の存在を肯定し、死すべき者たちの世代間のリレーに参入することが世界への愛であり、愉しい学問としての哲学である。

世界への愛が、戦慄すべき危機の時代における「希望の原理」である(森はこんな言葉は使わないが)。

世界の不滅性への希望をアーレントや森と共有せずに、同世代と異世代の死すべき者たちのつながりを、また人間以外の生物や非生物との関係を重んじたい人もいよう。そういう者にも本書は紛れもない傑作である。本書を熟読玩味し、「世界への愛」の今後の展開に注目したい。
この記事の中でご紹介した本
現代の危機と哲学/放送大学教育振興会
現代の危機と哲学
著 者:森 一郎
出版社:放送大学教育振興会
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年5月18日 新聞掲載(第3239号)
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