東十条の女 書評|小谷野 敦(幻戯書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年5月19日 / 新聞掲載日:2018年5月18日(第3239号)

作者の願いが最も幸せに結実した短篇集

東十条の女
著 者:小谷野 敦
出版社:幻戯書房
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東十条の女(小谷野 敦)幻戯書房
東十条の女
小谷野 敦
幻戯書房
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六つの作品を収める本短篇集には、小谷野の著書やブログ、そして本紙でもたびたび発信されている「小谷野敦」の情報がふんだんに登場する。なので、伝統的な私小説の議論、虚実がどうのといったまわりくどいことは考えず、出てくる主人公は(ときにはサブキャラも)すべて「小谷野敦」だと思って開き直って読んだ方が楽しい。
「潤一郎の片思い」の主人公は谷崎潤一郎、そして片思いの相手は漱石夏目金之助。学生時代に「三四郎」に共感して以来、潤一郎はこの年上の作家がずっと気になっていて、金之助もときに谷崎を気に留めたりするのだが、結局二人が面と向かって会うことはなかった。憧れの書き手への想いやジレンマを小谷野とシンクロする潤一郎の姿にして、評伝執筆の手腕を振るって描いた一作。

続く「細雨」は、二五歳の女性司書・倉持理沙と四九歳の(小谷野の経歴そのままの)宇留野伊織という頑固そうな作家との交流を描く。理沙は筑波大学(作中図書館情報学部とあるが実際は学類という)出身で、実家は茨城の守谷(茨城県民の筆者にはこの微妙な設定がよく分かる)。小谷野もまた茨城南部生まれなので幾分か作者の分身を予想させながら、小説家を目指していても何も書くことがないという平凡さでは真逆ともいえるキャラクター。この司書と作家の二人に会話をさせるところが妙であって、図書館をめぐる裏話や啓蒙的意見が展開するのも本作の主眼なのだろう。

「ナディアの系譜」は谷川雁が創始者の一人だったラボ・パーティに通った話を軸に、「私」のヰタ・セクスアリスが語られる。後半は「好きな顔だち」を自覚していく話になり、その系譜のひとつが色黒でかわいらしい「ふしぎの海のナディア」の主人公だった(そういえば漱石の三四郎の好みの女性も色黒である)。しかも、嫌っていた父親の葬儀へ向かう途中「『ナディア』のアニパロ本」を買った自分に妙に納得したという結末。

「紙屋のおじさん」は「私」のモノ書きとしての成長物語。母方の伯父がいつも持ってきてくれたわら半紙に小学生の頃マンガで物語を書き始めたのが発端だったという。その後「物事を隠しておけない性質」が昂じて、「三十を過ぎたあたりから、秘密にすべきことが増えてきて、とうとうそれをちょびちょび世間に発表しているうちに、ならず者になってしまった」とあり、芥川賞候補作「ヌエのいた家」の初出で削除した箇所を、改めて公表するに至る部分が、「配慮」を脱ぎすてていくという小谷野流私小説作家としての進化として見えてくる。

表題作の「東十条の女」は婚活の話。赤裸々な性体験が描かれ、「隠しておけない性質」がまさしく発揮されている。婚活と並行して裁判のことも語られ重苦しくなりそうなのだが、関係する女たちがあっけらかんとしているせいなのか、彼女たちに警戒しながらも大胆につきあってしまう「私」のせいなのか、軽みのある哀愁とユーモアが漂う。とはいえやはり問題は、どうあれ小谷野の「もてない男」時代の終わりを告白していることかもしれない。

最後の「『走れメロス』の作者」は、太宰治がネタ本にした『新編シラー詩抄』の訳者・小栗孝則の生涯に焦点をあわせ、歴史に埋もれていった文学者の側から日本近代を辿ったもの。末尾近く孝則の「人と争うのが、もう嫌になりました」という言葉が印象に残る。他者に託した小谷野の心境とみるのは穿ち過ぎだろうか。

以上、四作は純文学系雑誌に掲載され、二作はブログからの転載だという。小谷野は『純文学とは何か』(中央公論新社)の終章で「文学は少数の人間の、カネにはならない趣味として存続するだろう」、「それはすでにウェブ上に自分の小説をアップする素人たちによってはじめられているとも言える」と語っているが、言い換えれば文学を切実に必要とする人たちは残り続けるということだろう。本短篇集はそうした小谷野の願いが最も幸せに結実したかたちなのかもしれない。
この記事の中でご紹介した本
東十条の女/幻戯書房
東十条の女
著 者:小谷野 敦
出版社:幻戯書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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