木造モダニズム建築の傑作 聴竹居 発見と再生の22年 書評|松隈 章(ぴあ)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年5月19日 / 新聞掲載日:2018年5月18日(第3239号)

木造モダニズム建築の傑作 聴竹居 発見と再生の22年 書評
一人の熱意が周囲を動かし歴史ある建物が遺されていく

木造モダニズム建築の傑作 聴竹居 発見と再生の22年
著 者:松隈 章
出版社:ぴあ
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一九九四年、竹中工務店大阪本店設計部の松隈章は、神戸元町栄町通りの第一勧業銀行神戸支店を「いい建物だな」としみじみ眺めていた。約八〇年の風雪を経た無垢御影石の列柱が見事な、自社施工の建物だった。

だが、翌年の阪神淡路大震災で全壊し、列柱は道路に倒れた。悲惨な現実の前に保存や再建を考える間はなく、建物は跡形もなくなってしまった。震災後の松隈は、都市の記憶を形成する歴史的な建物の保存・再生を呼びかけた。

そんな一九九六年、彼は、会社の大先輩にあたる建築家・藤井厚二の自邸「聴竹居」に出会った。

一九二八年に京都・大山﨑に建てられたこの住宅には、自然エネルギーを生かす機能や和洋を統合するデザイン、家族中心のプランニングなど先進的な工夫が施されていた。藤井没後も改築されることなく、借家人が住み継いでいたために家は生きていた。

藤井の親族は、保存について特に考えていなかったようだ。借家人が亡くなった後で家の行く末を松隈に相談したのは、彼の持つ無私な熱意が伝わったからだろう。

個人住宅であったためか、名建築・聴竹居は地元に知られていなかった。松隈は、長く遺していくために地域の自治体や住民が参加できるシステムが必要だと考えて、二〇〇八年にボランティア組織「聴竹居倶楽部」を立ち上げた。自ら代表となって、希望者への公開、美術館の展示や誌紙への対応など、積極的に情報発信していく。環境と共にある洗練された住宅の魅力を伝えたNHK「美の壺」を見た天皇皇后が現地へ行幸啓されたのは、二〇一三年のことだった。

勿論この本の主役は聴竹居で、庭の四季や建物の特徴をとらえた写真、平面図、ディテールの解説、設計者である藤井の略伝や時代背景などが大半を占めている。しかし、それと同じように、周囲を巻き込んで建物保存に奔走した松隈の22年が印象深い。

展覧会用映像撮影の手配、有志を募っての実測調査、建築史のみならず文化史も紐解き世界に発信しようとまとめた小論、専門書や一般書の刊行等々。通常の仕事の一方でこれらの活動を行っていたのだから、驚くべき行動力だ。

個人所有の住宅では維持管理や文化財指定が困難だが、二〇一六年に竹中工務店がCSR活動として聴竹居を所有することになった。長く後世に伝える体制が整い、ついに、二〇一七年に、昭和の住宅として初めて国の重要文化財指定を受ける。

松隈は、立場の異なる個人、会社、自治体を前に、幾度も幸福なセレンデピティに巡り会ったという。彼が「ご縁」と記すこれらは、喪失から学ぶ前向きな姿勢と、「建物は単なる不動産ではない」という信念が呼んだものだろう。

消失目前の名建築を再生・活用しようという呼びかけは、神戸・塩屋の「旧ジェームス邸」再生や住宅遺産トラスト結成にも繋がった。一人の熱意が周囲を動かし、歴史ある建物が社会に拓かれ、遺されていく。その現場からの報告書は、清涼感と未来への希望をもたらしてくれる。
この記事の中でご紹介した本
木造モダニズム建築の傑作 聴竹居 発見と再生の22年/ぴあ
木造モダニズム建築の傑作 聴竹居 発見と再生の22年
著 者:松隈 章
出版社:ぴあ
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