心に残る英文学の世界(2) 翻訳家・研究者・編集者 推薦の一冊|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月23日 / 新聞掲載日:2018年5月18日(第3239号)

心に残る英文学の世界(2)
翻訳家・研究者・編集者 推薦の一冊

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柴田 元幸

■エドワード・P・ジョーンズ『地図になかった世界』(小澤英実訳、白水社・二〇一一年)
南北戦争前のヴァージニア。一部の黒人はすでに自由の身になり、そのまた一部はかなり裕福になり、ほかの黒人を奴隷として所有することさえできた。そうした状況が生むドラマ、悲劇。幾人もの人物の視点から話は多重的に語られ、壮大な物語が積み上がっていく。一ページ目から楽々入っていける語り口ではないが、ひとたび入りさえすれば(そして百ページ進んだころにはきっと入っているはず)途方もない世界が広がっている。アメリカの黒人作家による最高の作品のひとつであり、二十一世紀に刊行されたアメリカ小説のなかでも(当方の狭い読書範囲の中では)ベスト・オブ・ザ・ベスト。最近刊行された、やはり十九世紀アメリカの歴史を扱ったコルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(早川書房)やレアード・ハント『ネバーホーム』(朝日新聞出版)などを読まれて惹かれた方は、ぜひ次はこれに進んでいただきたい。
山口 隆史

■デイヴィッド・ロッジ『小さな世界―アカデミック・ロマンス』(高儀進訳、白水社・一九八五年、新装復刊版・二〇〇一年)
今回の企画に本書をとりあげるのは時宜に適っているのか適っていないのか悩むところだが、読後には訳書のオビに謳われた「キャンパス・コミック・ノヴェルの最高傑作」という惹句を全面的に支持される読者は多いだろう。著者は文芸評論家としても名高いデイヴィッド・ロッジで、原作は一九八四年度のブッカー賞の最終候補に残った作品(ちなみに同年度のブッカー賞受賞作はアニータ・ブルックナーの『秋のホテル』)である。『サンデー・テレグラフ』紙の書評の一部を「訳者あとがき」から以下に孫引きさせていただく。「学会の内紛、感動的で恐るべき男女の愛、素晴らしいエピソード、暗いユーモア、鋭いウイット、純粋の笑劇(ファルス)―この小説には、この作家から期待し得るすべてがある」。浅学な私にとっては、本文中の随所にちりばめられた古今の文芸作品への言及を訳注を頼りにして楽しめるのも嬉しかった。サブタイトルの「アカデミック・ロマンス」は「学者を扱ったロマンス」と「伝統的なロマンス」という二重の意味を持つと作者は言っているそうだが、とにかく面白い「ロマンス」である。アカデミック疲れの方にはとくにお薦めします。
津田 正

■ウラジミール・ナボコフ『四重奏・目』(小笠原豊樹訳、白水社・一九六八年、新装版一九九二年)
若い頃、エレンブルグの翻訳者とジャック・プレヴェールの翻訳者とブラッドベリの翻訳者が同じ名前であるのを知って、同一人物なんだろうかと思ったものだ。ほどなくして、小笠原豊樹という人は詩人(「感情的な唄」)・小説家(『踊ろうぜ』)の岩田宏その人であることを知ってその多才ぶりにもっと驚いた。

ロシア語とフランス語と英語の文学作品を翻訳する小笠原豊樹さんが亡くなったのは二〇一四年一二月、もう三年が経つ。寡聞にして、翻訳者としての小笠原さんの業績を顕彰した記事などを見たことがないので、小笠原さんのお名前を挙げた次第。英語からの翻訳を挙げるというのが本アンケートの趣旨であり、筆者がナボコフを読み始めた最初期に読んだ思い出深い本なので、この作品を挙げたのだけれども、ブラッドベリでもファウルズでも実はどれでもいいのである。フランス語からの翻訳なら、伝記小説で知られるアンリ・トロワイヤの、伝記小説でない小説『サトラップの息子』『石、紙、鋏』などを挙げたいところだ。

岩田宏名義で発表している散文もすばらしい。とくに、書評集『渡り歩き』がいい。本との出会いをこれほど豊かに深く書いた書評集は少ないように思う。
原田 範行

■ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』(平井正穂訳、岩波文庫・一九八〇年)ほか多数
ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(一七二六)は、世界中に多くの愛読者を持つ英語文学の傑作と言ってよいだろう。児童文学としての抄録版や挿絵本はもちろん、映画やドラマに脚色されることも少なくない。小人国や大人国、空飛ぶ島、馬とヤフーの社会などを冒険する主人公の旅は、荒唐無稽に見えて、しかし実際には、人間社会の暗部を精緻に描き出す。比類なき大胆な発想と怜悧なまでの描写の確かさ、奇想天外な冒険がもたらす笑いと諷刺の毒――『ガリヴァー旅行記』をいま読んで欲しいと思うのは、現実社会への癒しがそこにあるからでもなければ、ファンタジーの内に現実逃避できるからというわけでもない。ガリヴァーの旅には、現実の人間社会を透徹する眼差しが常に宿っていて、それが時に読者を苛立たせ、しかし苛立たせることでその人生に強力な活力を与えてくれるからである。もう一つ、『ガリヴァー旅行記』を日本で読む意味は、日本がガリヴァーの旅の重要な舞台の一つになっていることにある。小人国や大人国と並んでなぜ十八世紀のイギリスで日本が描かれたのか。そこには、私たち日本人でさえ見逃してきた、豊かな東西交流の歴史が秘められている。
大串 尚代

■マリリン・フレンチ『背く女』上・下(松岡和子訳、編集発行パシフィカ・発売プレジデント・一九七九年)
昨年から「#MeToo」が注目されている。イタリア系アメリカ人女優アリッサ・ミラノのツイートをきっかけとして、セクシュアル・ハラスメントのサバイバーを応援する一大ムーヴメントへと発展した。このハッシュタグの起源は、二○○六年まで遡ることができる。MeTooの生みの親と言われるのは、性暴力被害者支援のNPO組織「ジャスト・ビー」の創設者であるアフリカ系アメリカ人女性カラナ・バークだ。

女性の連帯は、一九六○年代から始まった第二派フェミニズムでも見られたものだ。ベティ・フリーダンの『女性らしさの神話』(一九六三年)は、人種的観点には欠けるものの、多くの専業主婦たちがかかえる「名前のない不安」にスポットライトを当て、多くの共感を呼んだ。

マリリン・フレンチの小説『背く女』は、五○年代に大学を中退し、専業主婦としての結婚生活を経た主人公マイラが、六○年代に離婚を経て大学へ戻り、フェミニズム運動に触れ、ハーバード大学で博士号を取るまでの物語だ。「男性」という位置にいる人々から利用され、自分が置かれる立場に違和感を感じつつも、自分さえ我慢すれば――と思いながら過ごしていたマイラは、大学に入り直し個としての自分を模索する。四○年前に出版されているにもかかわらず、現在もなお性差間の問題が解決されないまま残されていることを示す一作である。
安藤 洋一

■チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』1~4(中野好夫訳、新潮文庫・一九六七年)ほか多数
私の幼少時は終戦直後で人々が皆頭から火を噴き走り回る混乱期でしたが、父親はどんなに貧しい家計の中でも子供たちに本を与えることを教育方針としていたようです。父が苦労して買ってきた厚手の本を一晩で読み終えてしまい、翌朝あきれかえられ、また買わねばならぬ出費を思わせて渋い顔をされました。夏休みは口減らしのため淡路島にある父の実家に一人預けられたのですが、その家の横丁に貸本屋があり小遣いを無駄にしまいと本選びに必死でした。大人になったら古本屋の主人になり読書三昧の人生を送りたいと本気で思っていました。長じて出版社を経営する仕事に就けたのは父のおかげ、本を買うための金は惜しむなというのも父の教えで、私は今なお本のためにだらしない浪費を続けています。この度の読書人の発題は難問で、私ごときが人様に読んで欲しいなど言える筈がなく、私の好きな一冊として『デイヴィッド・コパフィールド』を挙げさせていただきます。貧しい下町の路地を近所のガキ大将に引き連れられて駆け回り、一癖あるヤクザの兄さんや長屋の優しいおばさんたちに見守られ育った私の生育環境から、コパフィールドの舞台に思いを重ね人の世の機微を知らされました。
山田 文

■カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』(河野一郎訳、新潮文庫・一九七二年)
一九四〇年、作者が二十三歳のときのデビュー作。一九三〇年代アメリカ南部の町を背景に、疎外感と孤独を抱えた四人の男女が、ろう者の男性シンガーのもとをしきりに訪ねて自分の思いを語る。シンガーだけが自分のことを理解してくれると思い、愛の対象を彼に求める。しかし、その愛は一方通行である。シンガー自身も孤独な人間であり、彼のことを顧みない知的障がいを持つろう者男性をよりどころにしている。幻想の愛によって孤独から抜け出そうとする者の環が完結しないまま連なり、その最後にあるのは空白だ。

本作を政治的な寓話として読み、「寂しさの釣出し」と金子光晴氏が呼ぶものが生む体制の論理と心理をそこに見ることも不可能ではない。しかし、おそらくこの作品に示されているのは、われわれはそもそも孤独な存在だという神なき時代の人間の普遍的な条件であろう。そこでは、ことばに媒介された愛が切実に求められる――たとえそれがかみ合うことが稀であっても。話すことと聞くことの根源的な意味を再考させられる作品である。

四種類ある翻訳はいずれも古く、入手困難で、当然ながら時代の制約も受けている。村上春樹氏が新訳に関心を寄せていると聞くので、実現を期待したい。
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