対談  白山眞理×竹中 朗 幻のグラフ雑誌、その知られざる全貌 『復刻版 週刊サンニュース』(国書刊行会)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月25日 / 新聞掲載日:2018年5月25日(第3240号)

対談  白山眞理×竹中 朗
幻のグラフ雑誌、その知られざる全貌
『復刻版 週刊サンニュース』(国書刊行会)刊行を機に

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太平洋戦争終結後の一九四七年、連合軍の占領下におかれた日本で創刊された総合グラフ誌『週刊サンニュース』。そこには名取洋之助、木村伊兵衛をはじめ写真史に名を残す写真家たちが携わり、当時の占領政策や社会問題、風俗などをリアルに写し出していたが、刊行から一年四ヶ月、四一号で幕を下ろす。知られざるその全貌は、このたび創刊から七〇余年を経て『復刻版 週刊サンニュース』(全4巻+別冊1、八八〇〇〇円)として甦った。これを機に国書刊行会の担当編集・竹中朗氏を聞き手に監修者の白山眞理氏(一般財団法人日本カメラ財団(JCII)調査研究部長)にお話を伺った。『週刊サンニュース』に先立ち同社で復刻された対外宣伝グラフ誌『NIPPON』との関連、また復刻版を刊行する意義などをお話いただいた。(編集部)
第1回
占領下の『週刊サンニュース』 報道写真史におけるミッシング・リンク

竹中 朗氏
竹中 
 占領下の日本で刊行されていた『週刊サンニュース』の復刻版が完成しました。パンフレットの推薦の言葉に佐藤卓己さんも書かれていますが、占領期研究が発展して基礎資料も充実しつつある中で『週刊サンニュース』は報道写真史におけるミッシング・リンクでした。そもそも『週刊サンニュース』がミッシング・リンクたる意味合い、またどのような価値がある刊行物なのか、基礎的なことを説明していただけませんか。
白山 
 まずは、占領期自体がミッシング・リンクですね。帝国日本と高度経済成長の間に何があったのか、世情を反映する刊行物は貴重な資料です。『週刊サンニュース』もその一つですが、希少な上に、この時期の紙質は粗悪で捲るとホロホロと紙粉が落ちてくるような状態で、現物に巡りあっても内容を読み込むことができませんでした。勿論、このグラフ誌に携わった人々の戦前と戦後の空白をつなぐミッシング・リンクでもあります。編集長格は名取洋之助、写真家は木村伊兵衛や藤本四八、小柳次一、薗部澄、デザイナーは多川精一。それぞれに一時代を築いた著名写真家やデザイナーが関わっていました。名取は組写真で語るグラフ記事としての報道写真概念を推進しようと、主宰する日本工房から対外宣伝グラフ誌『NIPPON』を一九三四年に創刊し、木村が仲間と立ち上げた東方社は一九四二年に『FRONT』を創刊しています。藤本、多川などは日本工房や東方社にいて、戦中の対外宣伝のエキスパートたちが戦後になって結集して作ったのが『週刊サンニュース』でした。

携わった人の顔ぶれから写真やデザインの分野では語り伝えられていた幻のグラフ誌『NIPPON』は、本文は英語・仏語・独語・スペイン語で記されていて、同時代の世界潮流の中で見ても全く遜色のないグラフ誌でした。対外宣伝の方向を探るための資料でもあり、近年の復刻出版で執筆者も長谷川如是閑、柳宗悦、与謝野晶子など一流であったことが見えてきました。この『NIPPON』が成功して、名取と日本工房は日中戦争勃発後に図られた対外宣伝の波に乗り、戦中には彼が中心になって水準の高い対外宣伝グラフ誌が多数制作されたんです。

戦後の名取は写真で語る『岩波写真文庫』の編集長格になって打ち込みました。一九五〇年から五八年まで二八六冊刊行され、判型は小さいけれど充実した内容で重版もあるヒット企画です。敗戦後に、報道写真は対外宣伝から国内向けの教養企画へと方向転換したわけですが、その間に刊行された『週刊サンニュース』がどんなものかはよくわかっていませんでした。
竹中 
 しかし敗戦の断絶は残酷なもので、実際に全貌が明らかになって『NIPPON』と『週刊サンニュース』を比較すると、内容は別として現物のクオリティの落差には少々驚きます。同じく名取洋之助が主宰してその技術の伝承があったにもかかわらず、また『NIPPON』では一号ごとに名取家の資産から家一軒が消えたと言われるほどのお金のかけ方ではあったにしても、仕上がりの落差には素朴に驚きますね。印刷所も同じ共同印刷ですが。
白山 眞理氏
白山 
 紙やインクの違いは大きいですね。『NIPPON』の二年後にアメリカで創刊された『LIFE』では紙とインクを新しく開発して制作されました。『NIPPON』では、共同印刷が協力して保科清春という印刷のプロが付いていました。でも、敗戦後は新聞同様の紙と質の悪いインクで作っています。名取は『週刊サンニュース』制作にあたって「日本の『LIFE』」を目指すと言っていますが、編集姿勢はともかく、品質は競う状況にありませんでした。
竹中 
 当たり前ですが他の産業同様、印刷や用紙の環境は敗戦でリセットされて何年も逆戻りしますね。『NIPPON』は戦前にあって名取の理想とした雑誌がほぼ実現できていたのではないかと思います。写真印刷のクオリティを見ても、『NIPPON』の方が『LIFE』に近い。ただ『NIPPON』は工芸品のような作りですからね。
白山 
 『NIPPON』は、若くしてドイツで報道写真家になった名取が、日本では活躍の場たるグラフ誌がないから創ったんです。報道写真を仕事にする先行投資の意識もあったでしょうし、彼が納得するまで作り直す環境にありました。認められて一年後には国際文化振興会から補助金が出るようになり、次第に官費を使っての制作になりました。一方、サン・ニュース・フォトスという私企業の『週刊サンニュース』では雇われ編集長でした。また『NIPPON』は季刊で、『週刊サンニュース』は週刊ですから、その違いはありますよね。
竹中 
 そうですね、比較が難しいものかもしれません。『週刊サンニュース』は誌面から刊行のスピード感や報道の生々しい視点は伝わりますし、レイアウト自体は斬新で、図や表を使って立体的に記事を構成するあたりは『NIPPON』からの名取イズムの継続を感じます。内容も当時の俗っぽいグラフ誌とは一線を画している部分があり、逆にそれが窮屈すぎて最終的には大衆の支持を失ったのでしょうか。
『週刊サンニュース』創刊号より「古バス住宅」の記事。撮影は木村伊兵衛が担当

白山 
 『週刊サンニュース』は写真が主体ですが、供米や農地改革など堅い内容も多いですね。『NIPPON』も外国に近代国家日本をアピールするための工業や軍隊の記事がありますし、読者を啓蒙しようとする編集スタンスは変わらないですね。
竹中 
 佐藤さんは「占領期は、厳密にいえば日本が軍事占領下にあった戦中である」とも書かれていて、戦中に引き続いて今度はGHQの検閲の圧迫がある中で、バランスを取りながらここまでやったことをもっと評価した方がいいのでしょうね。
白山 
 プランゲ文庫資料で『週刊サンニュース』の検閲状況を調べたことがあるのですが、雑誌自体は「リベラル」と評価されていました。でも『週刊サンニュース』が創刊する直前のサン・ニュース・フォトスでは社長の山端祥玉が戦犯指名を受けています。ということは、会社自体がその後どうなるかわからない。『週刊サンニュース』は民主主義や労働者の権利、女性の権利を大衆に啓蒙していくGHQの方針と合致していますが、それは編集長格であった名取の考えを反映していると同時に、サン・ニュース・フォトスが会社として占領下で生き延びるための編集方針でもあったでしょう。
竹中 
 山端祥玉の名前が出たので彼について伺いますが、山端自体も現在の写真史の中ではミッシング・リンクそのものですね。
白山 
 写真制作会社の社長だった山端祥玉よりも、息子の庸介の方が原爆投下直後の長崎を撮った写真家として有名ですね。祥玉は、高速輪転機械を使って写真を大量に制作するジーチーサン商会を一九二七年に立ち上げています。例えば、陸軍の演習があると、全国各地から集まった軍人たちの集合写真を撮って、写っている何百人もの軍人が帰るまでに写真を納品するんです。軍隊ですからお金の取りっぱぐれもなかったでしょうし、一度食い込んでしまえば仕事は継続的にあったようです。戦中の一九三八年には陸軍の対外宣伝写真制作機関であるプレス・ユニオン・フォトが上海にできますが、山端は高速輪転機を使っての海外配信用写真制作を依嘱されました。実は、ここで名取が写真の撮影と海外配信を依嘱されていて、二人は戦中からの付き合いでした。軍需会社になっていたジーチーサンは一九四五年八月末に解散しますが、山端は一〇月に、日本の真の姿を海外に伝えるという名目で写真通信社のサン・ニュース・フォトスを立ち上げます。年末には『LIFE』が天皇を撮りたいと宮内省に打診して、山端がそれを受け持って庸介などが撮影して、一九四六年二月四日号の『LIFE』に「ヒロヒト邸の日曜日」として掲載されます。家族との食事風景や顕微鏡を覗く姿など天皇が「良き家庭人、科学者」であると読める写真で、「国体護持」に貢献する写真です。戦中には、帝国を率いる総督として白馬に乗った軍服姿の天皇が『LIFE』の表紙になっていますが、山端も軍部の依嘱で天皇を威厳の象徴として撮影しています。山端は一貫して愛国的対外宣伝の仕事に携わっていて、戦中の帝国主義から戦後の民主主義へ転換した天皇像の発信に、何の矛盾も感じていません。
竹中 
 写真報国というか、いずれにしろ企業人としては一貫していますね。
白山 
 一方で名取は一九三七年に『LIFE』の契約写真家になっていますが、日中戦争勃発後は日本工房を指揮するプロデューサー的な仕事が多くなり、山端同様に社長業に勤しんだとも言えます。でも、名取は、戦中に自分がやってきた報道写真はイコール宣伝写真であり、軍報道部に協力して写真を製作する過ちを犯したと、自書に反省を書き残しています。報道写真が戦争によって発展したことは事実だとも記していて、彼の働きは日本のためではなく、自ら切り拓いたメディア、報道写真発展のためだったと考えられます。
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この記事の中でご紹介した本
復刻版 週刊サンニュース 全4巻/国書刊行会
復刻版 週刊サンニュース 全4巻
監修者:白山 眞理
出版社:国書刊行会
以下のオンライン書店でご購入できます
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