対談=小杉亮子×福岡安則  東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために  『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2018年5月25日 / 新聞掲載日:2018年5月25日(第3240号)

対談=小杉亮子×福岡安則
東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために
『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社)刊行を機に

このエントリーをはてなブックマークに追加
一九六〇年代、世界の様々な地域で、ベトナム戦争に対する抗議と連動するかたちで、社会運動が拡大・多発した。
一九六八年はその絶頂年で“1968”は社会運動に関心を持つ人にとって特別なキーワードとなっている。
六八年から五〇年の今春、小杉亮子『東大闘争の語り―社会運動の予示と戦略』(新曜社)が上梓された。
東大闘争の当事者・関係者四四人に聞き取り調査を行い、東大闘争が問うたもの、その捉えがたい全容を検証した。
刊行を機に著者と、埼玉大学名誉教授で東大闘争の当事者である福岡安則氏に対談いただいた。
また次週は“1968”連続企画として、京都大学人文科学研究所で開催中の連続セミナー「〈68年5月〉と私たち」第一回を載録する。     (編集部)
第1回
東大闘争に関する多様な語りを聞き取る

福岡 安則氏
福岡 
 小杉さんがぼくの研究室に訪ねて来たのは、二〇一一年七月のことでしたね。今さらですが、なぜぼくのところへ?
小杉 
 私は当時から、一九六〇年代の運動史に興味を持っていたのですが、先生のHPの自己紹介に「これまでの人生のなかで、いちばん“楽しかった”のが、東大闘争の数年間」だと書かれているのを拝見したからです。初対面で六、七時間話してくださって(笑)。
福岡 
 そうそう、長時間、割と一方的にね(笑)。
小杉 
 ただそのときには私は、アメリカのハーヴァード大学に一年半の留学が決まっていて。帰国したのが、福岡先生が定年退職された年でした。少し時間ができたので、東大闘争の研究を続けるなら一緒に聞き取りに行きましょうと、早速、場をセッティングしてくださいました。
福岡 
 そのときはまだ、『東大闘争の語り』のもとになった博士論文をどう書くか、プランはできていなかった?
小杉 
 はい。方法論も、聞き取りにするのか、資料分析にするのか決めていなくて。対象は、学生運動を取り上げるなら、路上の反戦運動ではなく、大学で起こったものをやりたいと。東大闘争を取り上げることになったのは、大学闘争では日大闘争と並んで有名なのと、福岡先生に出会えた成り行きから、というぐらいの理由でしたが。

聞き取り対象者は、しばらく福岡先生の知り合いが続き、少しずつ、インタビューした方に紹介いただいたり、学生運動関連のイベントや記事で見かけた方に、直接あるいは手紙でお願いしたりして、四四人に辿り着きました(うち学部生・院生は三五人)。
福岡 
 そのうち、ぼく自身を含めて三三人の聞き取りに同席させてもらいましたね。四四人中氏名を明かしているのは十一人で、本書では全ての語り手に、アルファベットがふられています。

最初は文学部で東大闘争を一緒に闘った仲間、闘争の敗退局面でともに運動を進めた社共闘(社会学共闘会議)のメンバーを中心に、教員や院生も含め紹介しました。その後は駒場の同窓会で声をかけたり、高校、中学の同級生に遡ったり。かなり多様な立場の人を紹介できたつもりです。セクトに属していた人は、主に小杉さんが声をかけたのかな。
小杉 
 それぞれの体験や記憶は、面白いほど千差万別でしたね。東大闘争への関わりを雄弁に語る方もあれば、同じ時期に同じ場所にいても、闘争に無関心で、何も覚えていない人もいた。
福岡 
 聞き取り調査は、たとえ論文に直接使えなくても、データとしては意味がある。あるカテゴリーに入る人、ここで言えば「闘争に無関心だった」層が、ゼロか一かでは、事象に対する認識が全く違ってきます。史実を形づくっていくときに、無駄な聞き取り調査はないと思っています。

手間がかかる調査だけど、徹底して聞き取りをすれば、語りというデータとの対話が始まるはずだという信念を、ぼくは持っているのですが、小杉さんは手ごたえをつかめましたか?
小杉 
 当時の学生運動は、関わった方々の個々の内面性から掘り起こすべきだと思っていたので、語りはその意味で最適なデータでした。博論では、語り手たちの幼少期から青年期、東大闘争、その後の人生という流れで、時系列で描こうと構想していました。が、正直、博論提出の半年前まで、論がうまくまとまらず(笑)。ラストスパートで参加者の政治的な価値観を4タイプに分けました。その後博論を練り直すなかで、東大闘争とは、社会運動の〈予示〉と〈戦略〉、二つの政治原理の対立の中で形づくられた、という本書の結論に至りました。
福岡 
 苦労しましたか(笑)。予示と戦略については、後ほど話しましょう。


【東大闘争の経緯】

一九六八年一月、東京大学医学部生の登録医制度反対運動に対する大学側の学生誤認処分をめぐって始まる。処分に抗議するべく学生たちが安田講堂を占拠したのに対し、東大総長大河内一男が六月十七日、機動隊を学内に導入。大学の自治に国家権力を介入させたことへの批判が高まり、他学部にも抗議活動が広がることとなる。六月二十日には一日ストが行われ、安田講堂前の抗議集会には六千人が参加した。七月、東大闘争全学共闘会議(東大全共闘)が結成され、大学当局に対し、医学部処分白紙撤回、機動隊導入自己批判などの「七項目要求」を掲げる。学部ごとに学生たちは無期限ストを開始し、十月に全学が無期限スト状態となった。十一月には大河内総長以下学部長全員が辞任し、加藤一郎を総長代行とする新体制が発足、事態の収束をはかる。この時期からストライキの長期化を受けて民青系学生が方針を転換して、ストライキ反対の無党派学生と手を組み、全共闘と対立を深めた。民青系とストライキ反対派は、十学部中、七学部で代表団を選出し、統一代表団を結成。六九年一月十日、大学執行部と統一代表団は機動隊に守られた秩父宮ラグビー場で「十項目確認書」を取り交わし、ストライキ解除に向かう。全共闘は闘争を継続し、安田講堂等の占拠を続けたため、一月十八・十九日に機動隊が導入され、封鎖解除と学生の大量検挙となった。六八年度の東大入試は、佐藤内閣の決定により中止となった。
2 3 4 5 6
この記事の中でご紹介した本
東大闘争の語り ──社会運動の予示と戦略/新曜社
東大闘争の語り ──社会運動の予示と戦略
著 者:小杉 亮子
出版社:新曜社
以下のオンライン書店でご購入できます
1968〈上〉 ――若者たちの叛乱とその背景/新曜社
1968〈上〉 ――若者たちの叛乱とその背景
著 者:小熊 英二
出版社:新曜社
以下のオンライン書店でご購入できます
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >