対談=小杉亮子×福岡安則  東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために  『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月25日 / 新聞掲載日:2018年5月25日(第3240号)

対談=小杉亮子×福岡安則
東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために
『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社)刊行を機に

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第5回
〈予示〉と〈戦略〉、「運動」と「闘争」の二局面

本書の表紙は、一九六八年六月二十日の安田講堂前の抗議集会。ヘルメットもゲバ棒もなく、民青も新左翼もノンセクトも集っている。東大闘争を通じて対立が深まる前の学生たちの様子を写している。
福岡 
 本書の冒頭では闘争の二つのタイプとして、〈予示〉と〈戦略〉とを定義していますね。引用すると、「戦略的政治ではマクロな社会変革がめざされ、かつ社会運動における行為は道具的なものとして位置づけられる。予示的政治は、戦略的政治を批判するもので、社会運動における行為はそれそのものが変革を構成する自己充足的なものとしてとらえるために、よりミクロな次元での変化や創造に重要性を見出す」と。戦略はマクロで、予示はミクロだと、概念規定に入れてしまっています。

東大闘争の構造を示して見せるのに、戦略的政治と予示的政治という概念を出したのはお手柄です。でもこれをミクロとマクロに振り分けてしまうのは、定義の段階で、予示的政治では「革命は不可能だ」と言い切ってしまうことになる気がして、少し引っかかるな。

あの時代、学園闘争と全共闘運動のように、「闘争」と「運動」という言葉が、一つの事象を表すのにセットになって使われました。「闘争」は、自分の外部に獲得課題を設定すること。「運動」は、自分たちの生き方を問い直すもの。一つの事象に、「運動」と「闘争」の二局面は常にある。例えばセクトの人間はセクトの掲げた課題に、自己犠牲的に自分自身を従わせる形に主体化していくというところがあったと思います。戦略が先か予示が先か、どちらに重きをおくかの違いはあれど、社会をどう変えようかということと、その場にいる自分がどうあるかということは、必ずセットになっていた。そういう側面を考えると、ミクロとマクロとを割り振ってしまうことに、違和感が残るんですね。
小杉 
 そうですね。確かにはっきり区分けできるものではないので、第九章では予示的政治と戦略的政治は共存が可能で、ひとつの組織やひとりの参加者が、両者を使い分けたり、両者を行き来することがある、と加えています。私としては、ミクロで内的なアイデンティティ探究に政治性がないという評価をしたかったわけではありません。むしろ自分を問うことの中にある政治性や、政治を自分事とする重要性を論じなければいけないと。それが予示的政治の中にあることを強調したかったんです。
福岡 
 語り手Cの高口英茂さんは、「仲間が集まって、遊び、議論し、行動も自分たちで決めてする」その繰り返しのなかで合意に至るのが、理想の社会ではないか。運動や闘争のなかに、そうした理想の関係性が築けないならば、理想の未来社会など作れるはずがない。そういう確信を持っていたと。高口さんは、予示的政治が社会を変えると信じていたんです。ぼくはそこまでは思っていなかったけど、せめて、自分のいる東大を変えられないかと。

ぼくのなかで一貫してあるのは、権威を持つ人たちが過ちを犯したときには、反省して謝って欲しい、というその一点です。大学側は事態の収束のために、六八年十二月に、全共闘の「七項目要求」の六・五項目まで受け入れると言いました。でも誤った学生処分を撤回するのではなく、処分を取消して新しい処分制度のもとで再検討すると言うんです。それでは非を認めていないし、反省も謝罪もない。その己を問わぬ姿勢からは、その後大学当局と、改革のための話合いのテーブルについたとしても、何も実らないだろうと。

教授陣が、教授会の自治の名の下に医学部の誤認処分を見て見ぬふりをするのを、ぼくらはベトナム戦争への日本の加担を、見て見ぬふりをして平和に暮らす日本人の姿と重ねていました。悪いことをしたなら謝るのは人間として当然でしょうって、今でも思います。 原発事故でも、ぼくが関わってきたハンセン病問題も同じ。国は謝ろうとしない。そこが変わらなければ、何も変わらない。決してミクロなことを問題にしていたわけではない、という実感があるんです。
小杉 
 六・五項目というのはどういうことかというと、東大全共闘の「七項目要求」のうち、一九六七年十二月に文学部教授会が活動家学生に出した無期停学処分の白紙撤回を大学側は受け入れませんでした。教員と学生の協議機関「文学部協議会」をよりオープンにすることを求めて、学生たちが活動するなかで、学生が教員に暴行したとされました。この処分について、白紙撤回ではなく、処分を「解除」し新制度の下で再検討するという大学当局の回答は、一見譲歩しているようで、確かにただの言い逃れに思えます。

とても重要な論点ですが、そうした大学当局・教員の態度認識を正すべき問題と考えることは、ミクロではないですか。
福岡 
 それ自体はそうです。でも目の前のことが変わらなければ何も変わらない、という判断であって、それが社会変革の第一歩にもなると思うんです。
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この記事の中でご紹介した本
東大闘争の語り ──社会運動の予示と戦略/新曜社
東大闘争の語り ──社会運動の予示と戦略
著 者:小杉 亮子
出版社:新曜社
以下のオンライン書店でご購入できます
1968〈上〉 ――若者たちの叛乱とその背景/新曜社
1968〈上〉 ――若者たちの叛乱とその背景
著 者:小熊 英二
出版社:新曜社
以下のオンライン書店でご購入できます
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