国家非常時を背負い立つ岡田内閣|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年5月29日 / 新聞掲載日:2018年5月25日(第3240号)

国家非常時を背負い立つ岡田内閣

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海軍大将子爵齋藤實氏を首班とする第一次非常時内閣は、大蔵省事件に関する綱紀問題に就き全般的責任を負い、辞表を捧呈するに至った。かくて同月八日、海軍大将岡田啓介氏をその首班者とする第二次非常時内閣が成立を告げ、即日宮中に於て新任式を御挙行あらせ給うた。(『歴史写真』昭和9年8月号)

前列中央に座るのは、岡田啓介海軍大将。昭和九(一九三四)年七月四日、成立したばかりの岡田内閣の記念撮影、官邸での一枚である。

二年前に犬養毅首相が海軍将校たちに殺害されて、戦前日本の政党政治は終わった。

その後に成立したのは、齋藤實海軍大将が率いた内閣で、陸軍の反対を受けて、元老は政党人を首相にできなかった。

その齋藤内閣を倒したのが「帝人事件」、贈収賄の容疑で大蔵次官黒田英雄が召喚されたことを受け、内閣は綱紀上の責任を理由に総辞職し、岡田内閣が成立した。

帝人事件は、帝国人造絹糸(帝人)の株式売買をめぐる疑獄である。昭和二年、恐慌で鈴木商店が倒産し、子会社だった帝人の株式二十二万株はその担保として台湾銀行のものになった。これを買い戻そうとした鈴木商店の大番頭金子直吉らが、政財官界に働きかけた収賄事件として、『時事新報』の武藤山治が記事にしたことをきっかけに政治問題化し、黒田大蔵次官ら関係者が検挙された。
「公判は四年余つづき、判決は事件を『空中楼閣』として全員無罪となった。この事件はしくまれた「倒閣陰謀」だったのではないかという説がひろがり、政界の動向に影響と不安を招いた」(岩熊忠熊『西園寺公望』岩波新書)

倒閣を目的とした平沼騏一郎ら司法出身者の陰謀とされ、政友会内部の抗争や大蔵・司法両省の対立が背景にあったという。武藤は記事掲載の後まもなく銃撃されて暗殺されるが、帝人事件との関連は不明のままで、昭和史の闇が垣間見える事件である。

そして、政官財界は腐敗しているという国民の印象が、先鋭化する青年将校たちを刺激し、二年後の陸軍青年将校らのクーデター「二・二六事件」の一因となったと言われる。

「二・二六事件」で、岡田首相は決起した将校に殺害されたと思われたが、義弟が誤って殺された。

昭和九年は、皇太子が前年末に誕生した祝賀ムードが広がるなかで、じつは内憂外患、問題山積の年だった。この写真を掲載した『歴史写真』昭和九年八月号の記事では「第二次非常時内閣」と書いている。齋藤内閣が、すでに第一次「非常時」だったわけだが、この「第二次」がクーデターで倒れた後に成立する近衛文麿内閣は、もう「非常時内閣」とは呼ばれない。日中戦争に突入して、「非常時」が日常化してしまうのだ。

事件が起きて八十四年を経た今年、セクハラ問題から福田淳一財務事務次官が辞任した。

この間、大蔵事務次官がスキャンダルがらみで辞任したケースはほかにもある。

平成七(一九九五)年、信用組合理事長から同省幹部への過剰接待が明るみとなり、当時の斎藤次郎次官が退任した。さらに十年には「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件で、金融機関から過剰な接待を受けていた大蔵省職員の逮捕や自殺が相次ぎ、ついに蔵相と事務次官が辞任した。しかし、いずれも部下の不祥事の責任をとったものであるのに対し、帝人事件と今年のセクハラ問題は、次官本人がスキャンダルの罪を問われたものとして特筆される。

麻生財務大臣が、撤回しながらも「デッチアゲ説」をくりかえすのは、まさか遠い昔の疑獄になぞらえているわけもないと思うが、その発言が深刻な政治不信を増幅していることに気づいていない。
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