権力vs市民的自由 表現の自由とメディアを問う 書評|韓 永學(花伝社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年5月26日

権力をメディアとともに監視 
機器の進歩により更なる緻密な分析検証が可能に

権力vs市民的自由 表現の自由とメディアを問う
著 者:韓 永學、大塚 一美、浮田 哲
出版社:花伝社
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上智大学をこの3月に定年退職した田島泰彦氏に指導を受けた研究者7人と田島氏の論稿を収録した著作である。

タイトルにある「権力vs市民的自由」の市民的自由は権力をメディアとともに監視しメディアを利用する市民の表現はSNSなどインターネットでの発信受信は活発に展開されている。一方で新聞放送接触は驚くほど激減している。朝夕の新聞配達のバイクは何軒もの住宅をとばしながら進んでいく。年々エンジン音は途切れることなく遠のいていく。

田島氏は冒頭に掲載された論文「特定秘密保護法とメディア」において、「特定秘密保護法の問題は、決して左右の問題ではなく、肝心の国の情報(事実)が市民社会やメディアに出てこないため、不十分な報道だけでなく、報道を踏まえたまともな言論も形成されなくなってしまうことだ」 その上で「いかなるメディアであれその立場を超えて、情報の秘匿とコントロールの構造そのものと闘うことが、やはり求められる」と記している。こうした状況は憲法をめぐる報道でもいっそう際立ってきている。

反論権をめぐり韓永學氏は、日本では否定的・懐疑的に捉えられているが、「反論権制度を有する国の実態に照らせば、(日本における)判例・通説は支持できない」「むしろ反論権が名誉毀損的表現等に対する現行の損害賠償中心の紛争解決方式を画期的に変えるとともに、思想の自由市場を活性化し、健全な民主主義の発展に寄与する、すなわちマス・メディアと市民のウィン・ウィン関係を築く」との指摘は市民的自由を拡大・確立していく上で重要な視点である。

フェイクニュースとメディアの信頼性を考察する大塚一美論文は、「インターネット時代の情報摂取は、検索を前提とした選択的なものである」そして「トランプ氏が糾弾することによって、マスメディアは力を落とすのではなく、力を増した」と米国内における調査データをもとに紹介している。ところで、日本の安倍政権による朝日新聞「罵倒」が朝日の購読者を増加させることに結びつくことはあるのか。     

安倍政権下のNHK加計学園報道を分析した浮田哲論文は「加計学園問題を巡る一連の報道は横並び報道が多いとされる日本において、珍しく各社の姿勢が分かれることとなり、いみじくもメディアと政権の距離を知らしめる結果となった」そして「二ユース7」などのNHKの報道は「加計学園」を「岡山理科大学」、「国家戦略特区」を「規制緩和」と「言い換えることで、ニュースの中から“安倍臭”を払拭している」など数多くの事例を上げ、問題点を指摘している。そしてこの論文の末尾で「今回曲がりなりにも1ケ月間の番組の検証をNHKだけでなく民放も絡めて1人で行なうことができたのは、ひとえに家庭用HDD録画機の進歩のおかげである。全チャンネル全番組の長期録画が可能となったために、今まで検証が難しいとされてきたテレビ番組の検証ができるようになったことは研究者として喜ばしいことであるが、これをどう活用していくかはまだまだ試行錯誤が必要である」と結んでいる。この浮田論文の末尾での吐露と同様、各論文のまとめや結論に現状への批判や、将来への危惧と期待が記されており、特定秘密保護法や共謀罪など権力による市民的自由への圧迫が強化される今日、田島先生の教育を受けた若手研究者の声があふれた著作になっている。

評者は立教大学社会学部ゼミで現在の皇太子結婚報道をめぐりテレビラジオ新聞雑誌を20名ほどの参加者とともに分析したことを思い出した。VTRでテープを擦り切れるほど再生を繰り返さなければならなかった。機器の進歩により更なる緻密な分析検証が可能になる。マス・メディア研究に関係する研究者はもちろんのこと学生諸君の奮起を期待したい。
この記事の中でご紹介した本
権力vs市民的自由  表現の自由とメディアを問う/花伝社
権力vs市民的自由 表現の自由とメディアを問う
著 者:韓 永學、大塚 一美、浮田 哲
出版社:花伝社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年5月25日 新聞掲載(第3240号)
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