母・娘・祖母が共存するために 書評|信田 さよ子(朝日新聞出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年5月26日

被害者と加害者の分析
「力において差違がある」関係性に着目

母・娘・祖母が共存するために
著 者:信田 さよ子
出版社:朝日新聞出版
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AC(アダルト・チルドレン)という言葉は、一九九〇年代に「発明」された。そのときに、現在の生きづらさを親との関係に起因するといってもいいのだ、とほっとした人は多かったのではないか。信田さんは、カウンセリングを通じてACと深く付き合い、伴走してきた。

ACはそれでも、生きづらい子ども(チルドレン)の問題だった。二一世紀にはいってから、この問題はジェンダー化された。信田さんが「墓守娘」という言葉を作ったからだ。いまから一〇年ほどまえ、立て続けに「母と娘」の関係の著作が出された。信田さんの『母が重くてたまらない―墓守娘たちの嘆き』もまさにその「母―娘」ブーム(といってよいだろう)をつくったひとつだ。そこではむしろ問題は、「重くてたまらない」母の側にあるということを鮮やかに取り出して見せたのだ。

この本はまさに、ACから墓守娘にいたる(そして毒親・毒母も含む)これらの親子を問題化する概念が、日本社会のどのような課題から、そしてどのような時代を背景にして作られてきたのかを概観するつくりになっている。まさに当事者と一緒にこの問題に取り組んできた信田さんだからこそ、書かれた著作といえるだろう。

信田さんの分析は鮮やかだ。DV(ドメスティック・バイオレンス)にしろ、母―娘関係にしろ、そこに現れる表層的な現象の分析では終わらない。その関係の奥深くに埋め込まれた非対称性、「力において差異がある」関係性に着目しているからである。

DVにしろ、親子関係にしろ、被害者と加害者は逆転し得る。被害者は、自分は被害者なのか、自分のほうが原因を作り、相手を仕向けたのではないか、隙があったのではないかと、自問自答する。そして加害者と名指しされた側は多くの場合怒り、むしろ自分こそが被害者だと主張して、さらに被害者を責めるという悪循環が生まれると信田さんはいう。

「しばしば力を有する側は、自らのパワーに無自覚だからこそ、DVの加害者は、自分のほうが被害者だと主張するのだ。残念ながら力が付与されてしまっていること、自分が強者として存在しているという自覚を抜きにすると、親子・夫婦関係はたやすく支配と暴力に呑み込まれていくだろう」。被害者は自分の被害を認識することもできず、やっとの思いで「被害」を拠点として遡及的に記憶を組み立てたとしても、「加害者は加害記憶を喪失する」。加害者は加害者であり続けるのだ。

本書の興味深い点は、母―娘の関係に、今度は、祖母が付け加えられていることである。「娘」が子どもを産んだときに、娘は母に、母は祖母になる。よく考えれば当たり前のことだ。そのときに祖母は支配のターゲットを娘から孫へと移動させたり、「娘から祖母を奪う権利はない」と孫を手懐けたり、娘の罪悪感に訴えかけたり、祖母が娘と孫を支配し続けたりと、世代間連鎖が続き得ることになるのだ。離婚して娘が子どもを連れて実家に帰れば、母が攻撃をはじめたり、かつての虐待母が、無条件に孫には見せる愛情に、母になった娘がいら立ちを隠せなかったりもする。

終章ではその処方箋も、描かれている。娘から責められた時に、娘の宗教や病気(や付き合う男)のせいにしないだけでも、自分は上等な母親だと自信を持ってください、というくだりに、思わずクスリと笑ってしまった。それほどまでに、自分の子どもからの責めは受け入れにくいものなのだろう。
この記事の中でご紹介した本
母・娘・祖母が共存するために/朝日新聞出版
母・娘・祖母が共存するために
著 者:信田 さよ子
出版社:朝日新聞出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年5月25日 新聞掲載(第3240号)
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