佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」 <68年5月>と私たち 京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 特集
2018年6月1日

佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」
<68年5月>と私たち
京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録

このエントリーをはてなブックマークに追加
前号に続き〈68年特集〉をお送りする。5月10日、京都大学人文科学研究所で開かれた人文研アカデミー2018連続セミナー「〈68年5月〉と私たち―68年5月と現在、政治と思想を往還する」第1回の発表を載録させてもらった。発表は、佐藤淳二氏「68年から人間の終わりを考える」と小泉義之氏「1968年以後の共産党―革命と改良の間で」。小泉氏は自らの発表について、冒頭で「今回テーマとなる話は、公の場で話すのは初めてのことであり、今後話すこともない」、「『〈ポスト68年〉と私たち』(平凡社)に収録された王寺賢太氏執筆の論文への補足・補遺の形になる」と語った。
第1回
危機の記憶の「パンテオン化」

(ソルボンヌ中庭の)パスツール像の傍らで語りあう学生たち。1・3面掲載の写真は、故・西川長夫が68年当時撮影。現在は京都大学人文科学研究所に寄贈され、以下のサイトで閲覧可。http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/archives-mai68/index.php。またキャプションは、西川著『パリ五月革命 私論―転換点としての68年』(平凡社新書)による。
西川長夫による写真詳細説明
右手には「各国のプロレタリアよ団結せよ」の文字が読みとれる。写真には写っていないが、その右には毛沢東の大きな写真が二枚掲げられている。マオ派のグループであろう。(西川長夫『パリ五月革命私論』176頁より、以下同)

佐藤 
 1968年「5月革命」から50年、フランスでは回顧する催しやマスコミの特集が相次いでいます。本当には思い出せない記憶を、英雄を祀る霊廟(パンテオン)に収めるように、お決まりのように、学生に占拠されたカルチェ・ラタンのバリケードの風景や、A・ランボーばりに格好いい落書きの言葉が盛んに「記憶」として消費されています。ちょうど日本の全共闘運動などが、一つのファッションや流行として回顧されるようなものじゃないかと思います。

だが、最初にはっきりと確認しておきたいのは、1968年の5月革命と呼ばれる状況は、革命状況だったのであり、高度資本主義の中心をなす国、かつての帝国主義の代表的国家で生じた本質的な危機だったのだ、ということです。それは、断じて壁の落書きの叙情性に縮減することはできない。確かに、当時のフランスでは、大学生数の急激な増加によって、エリートの切符としての「大学生」という肩書きが、空手形になったという不満はあったでしょう。しかし、そのような社会学的・心理学的説明では見えてこない本質的事態があります。それは、高度資本主義国で前代未聞の大衆ゼネストが炸裂したことです。一千万人ともいわれるスト参加者による、広範な労働者ストの高揚。総人口五千万の国で、一千万人がストに突入するというのが危機でなくてなんでしょうか。比較できるのは、あの1989年の11月の光景くらいでしょう。堅牢を誇った秘密警察国家DDR(通称東ドイツ)が、瞬く間に消滅したあの時、東ベルリンでは警官も兵士も制服のまま職責を放棄し、すべての市民と共に目的もなくそぞろ歩きで街路を埋め尽くしていました。近代国家が消滅するのはこんなにも簡単なのだというあの衝撃的なシーンに、1968年5月のフランスは限りなく近かった。5月革命はたしかに革命であり、すべてのものの見え方が変わる「出来事」だったのです。組織されざるそぞろ歩きの革命性。労働組合や党によって組織された労働者の運動というのではなく、むしろ規律や規範からあふれ出てしまった未組織の大衆が、一挙に大量に現れ、国家と社会そのものを土壇場に追い込んだ。そこで垣間見えたのは、国家も社会も消滅するブラックホールだった。もちろん殆どの「革命」参加者は、その虚無を前にして尻込みし後ずさりした。その深淵を眩暈なしに覗き込めたのは、例外的な思想家たち――フーコー、ドゥルーズその他の例外者たち――だけだとも言えます。だからいまこそ、68年5月の思想を検討すべきなのです。

そこで、この革命が何をもたらしたのかという問いに移ります。それを今日は、「人間の終わり」の思考として考えたいと思います。人間の終わりは、狭い意味ではフランシス・フクヤマの書名(『人間の終わり』ダイヤモンド社)に見られるように、生理学の進歩で技術化された人間生命の現状を意味します。テクノロジーに管理される生命としての人間、ポスト・ヒューマンの問題は、現在の状況の中心に深く関与し、遺伝子操作どころか、iPSの技術によって再生可能な「理想的」身体をわれわれは間もなく手にするとされています。加えて人間の思考も人工知能(AI)に凌駕され、そのアシスト抜きでは未来もないと、さかんに宣伝されている。身体も脳も、マシンとなりテクノロジー化される状況にあるいまこそ、人間という観念を5月革命との連関の中で考えるべきではないでしょうか。
人間の終わりと三つの論点―歴史の終わり

フランス全国学生連合とフランス民主労働総連合が組織したシャルレッティ・スタジアムにおける三万五〇〇〇人の大集会(68年5月27日)

佐藤 
 人間の終わりには、三つの要素が絡み合っています。(1)歴史的政治的「人間」――歴史の終わり。(2)経済的合理的プレーヤーとしての「人間」――疎外の終わり。(3)身体としての「人間」――科学による終わり。この三つの終わりが、複雑に絡み合いながら、60年代の終わりに姿を現し、特にフランスで先鋭な形をとったということ、これがここでのテーマとなります。

まず一番目の「歴史の終わり」について話をします。欧州の左翼の歴史を簡単に振り返ると、事態はより鮮明になるでしょう。ロシア革命以降、今は亡きソヴィエト連邦と社会主義圏は、対ファシスト戦争勝利という威光を放ち、スターリン、毛沢東、金日成その他の指導者たちを勝利の後光が包んでいました。しかし転換点はすぐに訪れます。周知のように、1953年3月のスターリンの死去、続く1956年2月のソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフのスターリン批判です。このスターリン批判に続いて大きな事件が起こります。同じ年の10月に、ハンガリーの共産党独裁体制が揺らぎ、ソ連軍が軍事介入・侵攻したのです。この事件は、世界中の共産党とそのシンパ層に深刻な動揺を引き起こします。日本における旧左翼のソ連擁護と新左翼の分派、あるいは組織と無関係の独自な歴史観・社会政治観を構築する動きの顕在化など、今日にまで続く共産党とその対抗勢力の分岐点ともなったこと、日本では60年安保でそれが鮮明になっていったことは、知る人も多いのではないかと思います。ハンガリーがすぐ近くだったヨーロッパでの影響はもちろん深刻であり、ミッシェル・フーコー、ロラン・バルトあるいはエドガー・モランなどといった錚々たる現代思想のスターたちが、ハンガリー事件を契機にして共産党を去っていった(アルチュセールは党に留まりますが、これはまた別の問題となります)。

68年5月革命は、ハンガリー事件後、いわばポスト・ハンガリーだったことを銘記しておきたいと思います。重要なのは、ソ連公式の思想たる弁証法的唯物論が一気に色褪せたという点です。それは簡単に言ってしまえば、次のような物語だった。マルクスの『資本論』で資本主義は矛盾していることが証明された。しかるに、矛盾したものは存立しない。従って、資本主義は歴史の必然の中で必ず崩壊するのであり、その後は世界史の歩みとともに社会主義と共産主義が合理的な世界、矛盾なき世界として到来する。矛盾は段階を踏んで解消される。これが弁証法的な歴史観、大文字の歴史の物語です。ソ連は、世界史の歩み、進歩の橋頭堡である以上、帝国主義に対して防衛されねばならない、という更にコンパクトな物語がいくつも付随して、物語の数だけ分派化細分化が生じたのです。

では、合理性がいつか到来するという歴史への信念が失われた時に、その喪失を埋めたのは何だったのか? それが、人間という観念だったのではないか。これはマルクス主義の歴史では、疎外論革命や初期マルクスという問題としてかつて盛んに議論されました。これも簡単に振り返っておきます。ソ連を初めとする共産党は世界史の合理的な進歩を前提しますから、論理的連関のすべて見通せる「党」が想定される。だから「党」は、絶対無謬のものとして現れていた。ところが、1934年にアドラツキーの編集でようやく刊行された若きマルクスが1844年に残した草稿『経済学・哲学草稿』を見ると、どうも様子が違うわけですね。そこでは資本と人間主体(とりわけ何ものでもないもの、ゾンビともゼロ記号ともいえるようなプロレタリアート)との生々しい歴史、搾取と疎外の歴史が展開すると構想されていたからです。
「党」の無謬性、ソ連の進歩性の神話が崩壊したハンガリー事件以降、この初期マルクスが一つの拠点とも思想的根拠地ともなって、共産党公式思想に対抗する批判が展開されることになります。いや、その前にいち早く戦争直後の1946年に「マルクス主義と哲学」という疎外論、人間論を展開したメルロォ=ポンティの名を挙げておくべきでしょう。そこで彼は、世界でも最も早い時期に『経・哲草稿』を中心に本格的な哲学的思索を遂行し、主観性の哲学ではなく間主観性・共同主観性の戦闘的で特筆すべき哲学を見出していたのです。一言で言えば、大文字の歴史ではなく、一人一人の身体に根ざした人間の解放こそが重要だと、そういう人間主義が世界史主義、弁証法的唯物論に対抗して現れ、ハンガリー事件後に一気呵成に影響力を拡げていったわけです。人間主義的マルクス主義が、左翼の世界を席巻することになります。

ところが、60年代ともなると、とりわけ68年に直接繋がる時期に、フランスを中心に人間主義に対抗する思想が急速に広まっていきます。いまだ歴史に囚われていた「人間」に対して、いわゆる構造主義が鋭い批判の矢を放った。その代表的な例が、フーコーの『言葉と物』(1966年)の有名なフィナーレです。
「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。……人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう……」(渡辺一民・佐々木明訳、新潮社)

フーコーが消えるといった「人間」は、人間科学の知、言語学、歴史学、経済学、生物学、心理学などなどの諸科学が、矛盾した資本主義社会の中で経済的人間として合理的計算のもとに動く、そういう市場経済のプレーヤーとした人間であり、それを支えるものとして哲学が想定した人間的本質なるものだった。人間主義的マルクス主義では、人間に本来の姿を想定し、それが永遠不変な人間そのものだとされ、それを疎外から解放することが目的とされていました。しかし、構造主義以降は、そのような本質とされる人間など虚構であり、物語の登場人物のようなものに格下げされた。歴史の皮肉というべきか、この経済的合理性を生きるプレーヤーとしての人間、それがいまや市場経済しかないというポスト冷戦、ソ連崩壊後の資本主義の圧倒的覇権のもとでは、またもや人間の「本質」とされるに至っているわけです。人間というのは利潤を追求するものである、と。次にこの点を論じておきます。それは、68年に対する資本の側からの闘争とその勝利を物語ることになります。
2 3 4 5 6
2018年6月1日 新聞掲載(第3241号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
小泉 義之 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >