佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」 <68年5月>と私たち 京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月1日 / 新聞掲載日:2018年6月1日(第3241号)

佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」
<68年5月>と私たち
京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録

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第5回
大衆運動の分立、知識 人党員の離反 1970年代

ソルボンヌ広場を臨む
西川長夫による写真詳細説明
サンミシェル大通りとヴォジラール通りの交差点から撮影。同書149頁「パヴェの下には砂浜が……」以下を参照。
小泉 
 ここからは、1970年代から80年代にかけて、ざっと辿ります。1970年代を通して、共産党中央は、その指導下にある大衆運動や労働運動から新日和見主義的傾向を排除するだけではなく、「トロツキスト」ないし「ニセ左翼暴力集団」の排除を主たる名目として、社会党の影響下にある大衆団体や労働団体とは別の組織を分立させていきます。それは党内での新日和見主義批判の党外版にあたります。その幾つかを列挙しておきます。

第一に、70年6月、共産党は、部落解放同盟内の党員を中心に、「部落解放同盟正常化連絡会議」を結成しました。そして、70年代を通して、部落解放同盟と共産党系解放団体の対立は、全国の大学や地域で同様の組織的対立を生みだし、その後も多くの負の遺産を生んできました。第二に、障害者運動においては、68年に共産党系の全国障害者問題研究会が結成されていましたが、これに対抗して76年に新左翼系の全国障害者解放運動連絡会議が結成され、70年代を通して、養護学校義務化の問題などをめぐって対立し、これも負の遺産を生んできました。第三に、74年、共産党は、統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)を結成しました。その後、統一労組懇は、社会党傘下の総評の右傾化に対して、別のナショナル・センターを樹立することを目指し、幾つかの単産レベルでも別の組合を分立させていきます。そして、70年代の終わりになって、革新自治体が次々と失われ、共産党の国会議員数も減少し、民主連合政府の樹立の可能性が遠のいたまさにその時期に、共産党中央は、統一労組懇をナショナル・センターとして確立すると宣言します。

このような党中央の方針は、社会党と共産党を中軸とする民主連合政府構想に対し、当の社会党が公明党や民社党との連合政権を構想していたために、社会党批判を強めなければならなくなった事情を背景としています。例えば、79年9月、宮本顕治委員長は、都道府県委員長を党本部に集めて、次のように社会党批判を述べています。
「今や、統一戦線結成の妨害者となっている社会党に対する厳しい批判が必要である。社会党の裏切りによって、革新自治体は音を立てて崩壊している。つい最近では東京の例がそれを物語っている。革新統一戦線が結成されれば、保守勢力に大きな打撃を与えることが可能な時期に、社会党の不決断がその妨害となっている。今度の総選挙で、社会党は国民に対する泣き落とし戦術で現議席の防衛に懸命になっている。我々はこの社会党の弱腰にけりをつけ、「大阪、京都、横浜、そして東京の裏切りを反省せよ」のスローガンで、社会党の姿を国民大衆に大きく印象づける必要がある。社会党を徹底的に叩くことによって、「真の革新は共産党だけ」を全党組織を挙げて訴えよう」

この宮本顕治の方針は、明らかに、社会党との連合政府構想の放棄であり、共産党と大衆団体や労組団体との「統一戦線」を国政選挙の基盤とする政府構想であり、それはまったく実現可能性のない共産党単独政権の構想でした。この路線は、当時、社会民主主義主敵論の再版であると批判されましたが、共産党中央が、党内外の両翼の日和見主義を排除して採用しうるほとんど唯一の革命路線であったと言えるかと思います。

そして、ここにいたって、70年代を通して共産党中央といわば蜜月期間を過ごしていた構造改革路線やユーロコミュニズムを旨とする知識人党員や文化人党員の離反が決定的となっていきます。そして、共産党中央は、その右翼日和見主義の排除を進めていきます。例えば、77年、宮本顕治は、民主集中制・組織論について、イタリア共産党の「無原則性」を批判し始めます。これを受けて、不破哲三が、ユーロコミュニズムを導入した田口富久治に対して名指しの批判を開始します。最終的に田口富久治は離党することになります。また、例えば、共産党中央は、スターリン主義批判・民主集中制批判を進める知識人党員の潮流を退けていきます。77―78年に、共産党系出版社から出されていた『現代と思想』誌上で、シンポジウム「スターリン主義の検討」が掲載され、それに前後して、反スターリン主義・反民主集中制を名目として共産党中央批判を示唆する一連の書物が刊行されています。これら知識人党員は、それぞれ経緯は異なるものの、1980年代にいたって除名処分を受けたり自ら離党したりしていきます。

このように、共産党中央は、70年代半ばから、右翼日和見主義の傾向を退けるために、党内外の知識人に対する思想闘争を強め、80年代に入ってからも、89年のソ連崩壊以前にすでに、多くの知識人党員を離党へ追いやったのです。
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