佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」 <68年5月>と私たち 京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月1日 / 新聞掲載日:2018年6月1日(第3241号)

佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」
<68年5月>と私たち
京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録

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第6回
革命と改良の狭間

小泉 
 東京大学教養学部自治会は、新入生に対する政党支持アンケートを行っていましたが、1972年総選挙での共産党躍進を経た73年新入生の支持政党は、それまで一位であった自民党に代わって、共産党が一位についています。後にも先にもこの年だけです。73年は、安保闘争・沖縄闘争を経て大きな闘争は終息し、新左翼諸党派に対する失望が広がっており、退潮傾向を示し始めていた社会党に代わって、共産党への期待が最も強くなった時期でした。この時期の共産党に大きな期待を寄せた非共産党左翼の学生の一人であった小島亮は、次のように発言しています。
「だいたい、共産党にみんなが票を入れたのは〔……〕何も前衛党としての共産党を支持したのではなく、新しい市民社会の現実に目を向けて、「いのちとくらしを守る」というスローガンを実現してくれそうだからでした。自民党政権が一切見捨ててしまったような弱い人間の立場を守ると多くの人は期待したのです。前衛党による革命などほとんどの人はごめんだと感じてはいなかったでしょうか。新しいタイプの共産党を、みんなが期待して支持をしていました。それに応えるかたちで、共産党も党原則みたいなものを思い切って修正しつつあるなという、期待感あふれる蜜月と言いましょうか、自由の空気が一瞬流れ込んできたような感覚というのが、1970年代の中後期にあったと思います」(諏訪兼位他『伽藍が赤かったとき』風媒社)

しかし、この期待は、失望に変わっていきます。その変化について、小島亮は、次のようにまとめています。
「70年代前半から中期に至る「人民戦線」への夢想と期待は、後半の保守の劇的回復、決定的には80年6月22日の日本史上初の衆参同時選挙での自由民主党圧勝によって完璧に逆転するに至る」(同)

では、1980年に自民党はどうして勝利できたのでしょうか。言いかえるなら、80年に至って、70年代の左翼再編の時代が、反革命・反動の勝利に終わったのはどうしてでしょうか。

ここで強調しておきたいことは、小島亮のいう「いのちとくらしを守る」政治、「弱い人間の立場を守る」政治、「新しいタイプの共産党」と「人民政府」が実行したであろう政治は、他ならぬ自民党政府によって実行されてきたということです。しかも、単に「受動的」にではなく「能動的」に、です。これは、しばしば指摘されてきたものの重視されてこなかったことですが、自民党政府は、73年を「福祉元年」と位置付け、それまで幾つかの革新自治体で実行されてきた老人医療費無料化を全国規模で実現します。この自民党の福祉政策は、単なる「弱者」救済の政治ではなく、退職後高齢者の負担を軽減することを通して企業の年金負担を軽減し、ひいては企業内福祉を保証する政治でもありました。つまり、自民党は、新旧左翼からの攻勢に対して、社会民主主義や平等主義的リベラリズムの政策を取り込みながら、ひいては70年代に始まる各種の社会運動を取り込みながら、企業を中心とする「新しい市民社会」を再編することに成功していくのです。この70年代の自民党の政治史は、しばしば日本型福祉社会であるとかネオリベラリズムの先駆けであるとか、その限りで反福祉国家的で反ケインズ主義的であると評されることが多いのですが、そのような見方では、68年に対する反革命期・反動期としての70年代を十分に分析することはできないと思います。

ここから振り返るなら、70年代に共産党を離党した知識人党員の多くは、少なくとも政策的には、「戦後民主主義」を擁護する「良心的」な保守主義者や官僚と変わることのない立場に立っていたと言うことができます。裏から言うなら、共産党は、そうした知識人党員を切り離しながら社会党批判を強めていわば「名誉ある孤立」を選ぶことによって、政権と統治に関与する道を自ら塞いでいったのです。他方で、共産党は、新日和見主義批判を通して、急進主義的で極左的な傾向、近い将来の革命を展望する路線を切り捨てていきました。そのようにして、共産党は、改良と革命の間で孤立の道を歩み、逆説的にも、そうであるからこそ、1989年の東欧革命の衝撃をかわして、先進諸国には珍しく、その党名を維持して存続することもできたわけです。

1968年以後の歴史を振り返るとき、それが何を意味するのであれ、革命を希求すること、それを維持すること、それを議会主義の戦略や戦術として定式化することがいかに困難であったかということがあらためて確認することができます。そして、それは今日の課題、68年に対して勝利した反革命・反動の命脈が尽きかけている今日の課題でもあります。

結語として、エンツォ・トラヴェルソの言葉を引用して終わりにします。「革命的経験が世代から世代へと伝わるのは、敗北によってなのである」(『左翼のメランコリー』法政大学出版局)。まさしくその通りであり、日本の68年は革命的情勢において敗北しました。そこで何を求めていたのか、そして何に負けたのかを改めて今日的に考え直すということが、68年以降の歴史の教訓であると思います。 (おわり)
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