ユリシーズを燃やせ 書評|ケヴィン・バーミンガム(柏書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年9月30日 / 新聞掲載日:2016年9月30日(第3158号)

ユリシーズを燃やせ 書評
文学における猥褻性をめぐる 騒動と裁判を活写した群像劇 

ユリシーズを燃やせ
出版社:柏書房
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自由な発言と表現を求める個人とそれを管理統制しようとする権威。自らの居場所を最も新しいメディアに探す先鋭的な言説。社会から隠ぺいされてきたセクシュアリティを露わにする者への体制からの過敏な反応。過激思想者による爆弾テロが発生し、その関係者の多くが移民であったことから盛り上がる移民排斥の機運。まるまる現代におけるグローバル社会の動向をまとめているようだが、これは、二十世紀はじめに一冊の書物が大西洋を挟んで引き起こした文学における猥褻性をめぐる騒動と裁判を、関係者たちの群像劇として活き活きと描き出したケヴィン・バーミンガム著『ユリシーズを燃やせ』の内容の紹介である。結局、我々は全く進歩していないのか。だがおそらく、こうした個人と権威の間の闘争は、人間の社会においてある程度避けられないものなのだ。そしてその結果として、時に驚くべき果実を我々は手にすることがある。それも一過性ではなく、永続性を備えた果実を。例えば、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』。

著者のバーミンガムはどのような立場の人々も一人一人、その行動と心情を丹念に描き出すスタンスを貫き、それが本書を非常に魅力的にしている。なにしろ出てくる人物がみな熱い。ジョイスその人はどちらかと言うとだらしなさの方が先に立つが、エズラ・パウンドは「火の玉」で、『ユリシーズ』の雑誌連載を断行したマーガレット・アンダーソンの気分は「世界征服」だ。こうした人々に支えられ、数々の妨害を乗り越えて『ユリシーズ』は出版され、現代の古典としての地位を勝ち得てゆく。本書はその様子を活写しつつ、新しい時代の精神的な潮流とそれに対抗しようとする権威が生み出す時代の雰囲気を伝えようとする。そしてバーミンガムの見事な語り口と構成は、現代人を変わらず取り巻く体制対個人という普遍的な対立の構図を読者に鋭く感得させるのだ。実際、この本を通読して背筋が寒くなるほどの強烈な印象を残すのは、猥褻を指標として反国家勢力を炙り出し、取り締まろうとした人々の信念と執念だ。猥褻という言葉は人目を惹くものだし、確かに人々は『ユリシーズ』の猥褻性について侃侃諤諤の議論を展開した。しかし取り締まる側にとって真に重要であったのは、その先にある(と彼らが勝手に仮定していた)反社会的で過激な思想であったのだ。

ジョイス学者の端くれとしては、原書の参考文献にブルース・アーノルドの『「ユリシーズ」のスキャンダル』が挙がっていないなど、実は言いたいことは多い。特に、おそらく出版上の都合もあって原著の注がばっさり切られているのは残念。『ユリシーズ』は執筆から刊行まで徹底的にリヴィジョンが施され続けたため、注がなくては本文で言及されているのがどの段階での『ユリシーズ』のテクストかわからないのだ。また、目につく序盤にあるので指摘しておくと、『ダブリン市民』の短編「姉妹」の神父が梅毒であるかどうかは、解釈として議論はできるが、テクストには、どこにもそうとは書かれていない。

それでも、この本ができる限り多くの読者に届いて欲しいと切に願う。特に若い読者に。この本は、若さのエネルギーに満ちている。題材も、作者も、訳者も、協力した研究者も。『ユリシーズ』を読み、文学研究に情熱を燃やすのは、今現在でも若者がやっていることなのだ。嘘だと思うならこの本を読んで欲しい。そして、『ユリシーズ』を。(小林玲子訳)
この記事の中でご紹介した本
ユリシーズを燃やせ/柏書房
ユリシーズを燃やせ
著 者:ケヴィン・バーミンガム
出版社:柏書房
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