廣松渉の思想 内在のダイナミズム 書評|渡辺 恭彦(みすず書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月2日 / 新聞掲載日:2018年6月1日(第3241号)

本格的・意欲的な廣松論 
“ポスト廣松世代”の若手による

廣松渉の思想 内在のダイナミズム
著 者:渡辺 恭彦
出版社:みすず書房
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“ポスト廣松世代”による本格的な廣松論である。著者にとって廣松氏は、“古典”として思想史的な研究対象となっている。本書の帯には、「この[廣松渉という]独自な哲学者の人と思想と時代と影響関係の全体を思想史上に位置づけ」たとある。本書の一部は要旨が昨秋の社会思想史学会で報告されてもいる。折しも、廣松氏の主著の一つ『世界の共同主観的存在構造』が昨年一一月に岩波文庫で発行された。同文庫に収録されたということは、読み継がれていく“古典”の仲間入りをしたことを意味する。そこへ来て本書の登場である。著者ら若手の活躍に期待するのは評者だけではあるまい。

本書は全十章から成る。長くなるが紹介しておく。第一章 戦後日本の学生運動における廣松渉、第二章 廣松渉の革命主体論――物象化論への途、第三章 物象化論と役割理論――廣松渉の思想形成における『資本論の哲学』、第四章 廣松哲学はいかに言語的であるか――「認識論的主観に関する一論攷」の射程、第五章 役割存在としての主体性論――『世界の共同主観的存在構造』と『役割存在論』、第六章 役割理論からマルクス主義国家論へ、第七章 廣松渉の「近代の超克」論――高山岩男『世界史の哲学』、三木清の「東亜共同体論」と比較して、第八章 生態史観と唯物史観――廣松渉の歴史観、第九章 ソ連・東欧崩壊後におけるマルクス共産主義・社会主義の再解釈、第十章 『存在と意味』における内在的超越。

多岐にわたる廣松氏の著作群の全体をカバーするものではないにせよ――それは一著をもってしては不可能であり、複数の人々の協働を必要とするだろう――、浩瀚であることは間違いない。著者の意気込みが伝わってくる。評者が瞠目したのは特に第一章である。

第一章は廣松氏の学生時代の共著『日本の学生運動――その理論と歴史』を扱っているが、その前に少年・青年期の廣松氏の伝記的事項が誌されている。伝記的著作といえば、熊野純彦氏の『戦後思想の一断面――哲学者廣松渉の軌跡』(二〇〇四年)、廣松氏自身が病床で語った『哲学者廣松渉の告白的回想録』(小林敏明氏編、〇九年)がある。著者はこれらを参照することはもちろん、廣松夫人、廣松氏が少年時代を過ごした福岡県柳川の親戚、柳川の伝習館高校の同窓生らに独自に聞き取り調査も行なっている。さらに『資料・戦後学生運動』(三一書房)をも丹念に読み込むなどして新たな知見を盛り込んでいる。同章は社会思想史的手法がいかんなく発揮された箇所である。

ただ、評者としては本書に不満も残る。著者は「人間の能動性」「個人の主体性」といったものに強くこだわっている。そのせいか、廣松氏が決して使わなかった「共同主観」なる用語が「主観と共同主観」という対概念として無雑作に用いられるといった事例も見られる(一六三頁)。さらに、著者は疎外論にシンパシーを感じているようであり、「疎外革命論批判が〔……〕マルクスの革命論を疎外論に見出す解釈を廣松が乗り越えようとしていたこと」を「勇み足」と呼んでいる(四二頁)。本書が廣松氏のヘーゲル左派論を扱っていないことと無縁ではないと思われるが、疎外論批判が政治(革命論)に限定されて了解されているフシがある。こうした疎外論(批判)の理解は、物象化論の理解――評者にはやや平板に映じる――にも関わってくるだろう。

もう一つ。本書では科学論関係の論著が扱われていないせいもあってか、「事的世界観」の内容が像を結ばない。これも評者としては不満である。

とはいえ、“ポスト廣松世代”の若手による意欲的な廣松論であるという本書の意義はいささかも減じられない。今後、若手による解釈、反論など廣松論が活性化することが期待される。本書はその端緒を拓いたという意義を持つ。
この記事の中でご紹介した本
廣松渉の思想    内在のダイナミズム/みすず書房
廣松渉の思想 内在のダイナミズム
著 者:渡辺 恭彦
出版社:みすず書房
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